報道しない自由と子供だまし
-そこに「存在しないこと」に注目する能力のお話し:随分と長い前置きとアミロイドベータ真理教によるEscalation of Commitment

失敗するのはいつも他人ばかり
”D’ailleurs, c’est toujours les autres qui meurent.” Marcel Duchamp 
不完全な死体」を意識した寺山修司は,このマルセル・デュシャンの警句を愛したそうな.自分が死ぬことから目を背けたい気持ちの強弱にかかわらず,死ぬのはいつも他人ばかりである.
それと全く同様に,アルツハイマー病治療薬の開発で失敗することから目を背けたい気持ちの強弱にかかわらず,失敗するのはいつも他人ばかりである.

そこに存在しないことに注目する能力
Autrement qu'être ou Au-delà de l'essence 存在するとは別の仕方で (内田 樹 エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について
Press releases are incomplete substitutes for the detailed information contained in complete response letters. (BMJ 2015;350:h2758)

もし,あなたがゴディバの詰め合わせをもらった時,そこに箱の半分ほどにクッキーだけが入っていて,残りの半分が空っぽだったら,どう思うだろうか?怒りの感情の程度には個人差があるだろう.しかしからっぽのところに入るべき品物が何かと考える点については誰しも共通だろう.たとえそれが子供であっても.

「子供だましに騙されるなんて,騙される奴の方が悪い」.詐欺師あるいは検察官ならずとも,そう考える人は多い.ただ,それを口に出さないだけだ.
そこに「存在しないこと」に注目する能力は,リテラシーを構成する必須要素の一つである.リテラシーは「大人」と認めてもらうための不可欠の常識である.

子供だましの報道で「語られていないこと」に注目する能力
FDA generally issued complete response letters to sponsors for multiple substantive reasons, most commonly related to safety and/or efficacy deficiencies. In many cases, press releases were not issued in response to those letters and, when they were, omitted most of the statements in the complete response letters. Press releases are incomplete substitutes for the detailed information contained in complete response letters.
これは,上記のBMJ掲載論文 Comparison of content of FDA letters not approving applications for new drugs and associated public announcements from sponsors: cross sectional study. BMJ 2015;350:h2758の結論である.FDAのcomplete response letterの内容でさえ,自分たちに都合の悪い部分は隠蔽してしまうのだから,ましてや自社の開発での失敗など,報道発表するわけがない.しかし,この論文の表現さえもimcomplete substituteとなっている.決してfraudではない点に注意すべきである.洋の東西を問わず,隠すことは詐欺とは認定されない.→参考:報道発表の「隠し味」

随分と長い前置きになってしまった.次の報道発表を読むにあたっては,上記の「大人の常識」を踏まえる必要がある.
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AD治療薬BAN2401、重要エンドポイント達成 国際P2試験、18カ月の最終解析で エーザイとバイオジェン 日刊薬業 2018年07月10日
 エーザイと米バイオジェンは6日、早期アルツハイマー病(AD)治療薬として、日本を含めたグローバルでの共同開発を進めている抗アミロイドβ(Aβ)プロトフィブリル抗体BAN2401について、日米欧などで実施した臨床第2相(P2)試験(201試験)の18カ月時点の最終解析で、プラセボ群に対して臨床症状の評価指標であるADCOMSでの進行抑制と脳内アミロイド蓄積量を統計的有意に減少させ、重要エンドポイントを達成したと発表した。
 Aβの除去や凝集阻害を行う疾患修飾薬については各社が開発を進めており、開発中止を決めたケースもあるが、今回の重要エンドポイント達成について、両社は「臨床症状、脳内Aβ蓄積の両エンドポイントで疾患修飾効果を世界で初めて後期臨床試験で実証した」としている。今回の試験結果を基に承認申請に向け、P3試験の実施を含めて規制当局との相談を進めていく考えだ。
 201試験では、脳内アミロイド蓄積が確認されたプロドローマルおよび軽度AD(早期AD)患者856人を対象に実施。被験者はプラセボ群と実薬群(2.5mg/kg/隔週から10mg/kg/隔週までの5用量5群)に振り分けられ、ADAS-cogなど3つの臨床評価尺度を組み合わせた評価指標(ADCOMS)で、事前に設定した伝統的な統計手法で評価した。
 最高用量投与群は、ADCOMSによる評価ではプラセボ群比で有意な症状の進行抑制を示したほか、アミロイドPETでの脳内アミロイド蓄積量の減少と、PETイメージ読影診断の陽性から陰性へのコンバージョンに関して有意な改善を示した。
 同剤に関しては昨年12月、ベイジアン解析に基づく成功基準を主要評価項目とする中間解析で、独立データモニタリング委員会が主要評価項目未達を報告。18カ月時点での最終解析結果が待たれていた。
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※当初は、見出しと記事で「主要評価項目」を達成としましたが、「重要エンドポイント」に修正しました.←注:ここに注目!!
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 上の記事を読むと,201試験は失敗だったことがわかる.理由は簡単である.12ヶ月時点での中間解析だけでなく,18カ月時点での最終解析でも主要評価項目が未達だったからである.もちろんそんなことはどこにも書いてはいない.書いていないからこそ断言できる.主要評価項目について一言も触れていないからこそ,この報道が,台湾沖航空戦北陵クリニック事件,そして血友病HIV問題に勝るとも劣らない,典型的な大本営発表であることがわかる.

自社がスポンサーとして行った試験結果について,何を開示して,何を隠す(非開示とも)か,検察の証拠開示と全く同様に同様,その会社の勝手である.その報道発表を垂れ流すだけしか能が無い業界紙が,「報道しない自由」をどう謳歌しようと,業界紙の勝手である.

調査報道という言葉が一般メディアだけでなく,業界紙でも死語になってから久しいが,ゴディバの詰め合わせに残された空間に何が入るかべきかは「調査」なんぞしなくても,「大人の常識」さえあればわかることである.つまり,上記記事の書き手は,最終解析でも主要評価項目が未達だったことを知りながら,それを書かなかった.だからといって,この記事の執筆者や業界紙が責められることは決してない.これが,報道しない自由である

「子供だましに騙されるなんて,騙される奴の方が悪い」.詐欺師あるいは「ジャーナリスト」ならずとも,そう考える人は多い.ただ,「大人の常識」ゆえに,それを口に出さないだけだ.

そして肝心のエーザイ・バイオジェンの報道発表でも,主要評価項目の最終解析については全く触れていない.「主要評価項目」という言葉が出てくるのはたった一カ所だけ.末尾に「disclaimerらしきも」のが記されている部分である.
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 尚、2017年12月に、BAN2401は、12カ月時点において、より早期に臨床第Ⅲ相試験の開始を可能とするために設定したベイジアン解析に基づく成功基準である主要評価項目は満たさなかったことを公表しています。今回、18カ月時点での最終解析では、事前設定した伝統的統計手法による評価において、重要な臨床エンドポイントであるADCOMSについて、12カ月時点でも、最高用量投与量群でプラセボ群に比較して統計学的に有意な改善を示していることを確認しています。(2018年7月6日 エーザイ報道発表 BAN2401は18カ月の最終解析において、統計学的に有意な臨床症状の悪化抑制と脳内アミロイドベータ蓄積の減少を証明 より抜粋)
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この日本語を行間を含めて翻訳すると次のようになる.

「中間解析では未達だった主要評価項目について,今回全く触れていないのは,最終解析でも未達だったからだよ.そのぐらい,大人だったらわかるだろ.だからこの報道発表は子供だましにはなっても,決して分別のある大人まで騙してしまうような「風説の流布」ではない.ましてや詐欺ではない.この率直な報道発表は,我が社は立派な大人の投資家達を騙すような悪徳企業なんぞでは決してない,何よりの証拠なんだよ」

このような行間のメッセージを,エーザイ,バイオジェンの株主達はそれぞれどう受け取っただろうか?ドラッグ・ラグが消失した時代に,太平洋の両側で,投資行動に違いはあっただろうか?
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エーザイのストップ高が首位に 認知症薬、治験で効果確認 日本経済新聞 2018年7月13日
同社は開発中のアルツハイマー型認知症治療薬の臨床試験(治験)で効果を確認したと発表。将来の業績拡大に貢献するとの期待から買いが入り、株価は6日、9日に2日連続で制限値幅の上限(ストップ高水準)まで上げた。
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<米国>バイオジェンが続落 「認知症薬への期待は過剰」との指摘 日経新聞 2018年7月10日
【NQNニューヨーク=川内資子】(米東部時間10時35分、コード@BIIB/U)10日の米株式市場でバイオ製薬大手のバイオジェン株が続落して始まった。一時は前日比4.2%安の339.15ドルを付けた。ロバートWベアードが10日、バイオジェンが前週にエーザイと共同開発中の認知症治療薬の臨床試験で効果を確認したと発表したことを受けた株価上昇は行き過ぎと指摘。投資判断を3段階中で最上位の「アウトパフォーム(買い)」から「中立」に1段階引き下げ、売りを誘った。
 ロバートWベアードのアナリストは10日付のリポートで、バイオジェンが発表した臨床結果は「非常にあいまい」とし、「結果の詳細をみると開発成功を宣言するのはあまりにも早過ぎる」と指摘。結果発表後の株価急伸でバイオジェンの時価総額は130億ドル増えたが、そこまで熱狂する理由はないとの認識を示した。一部の試験手法が規制当局が正式採用するものでない可能性があるほか、試験の複雑さが誤った結果を示すリスクを高めていると分析した。目標株価は323ドルで据え置いた。
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それから8ヶ月経っても,日本では次のようなアミロイドベータ真理教の教祖様談話が報道されていた.そしてその日(2019/3/7のエーザイの東証終値は9287円だった.
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AD3剤成功なら「25年にはROE20%達成も」  エーザイ・内藤CEO アデュカヌマブやレンビマ併用に期待 2019/3/7
エーザイの内藤晴夫CEOは7日の記者懇談会で、アデュカヌマブなど早期アルツハイマー型認知症(AD)を適応とする疾患修飾剤3剤の上市や抗がん剤「レンビマ」の製品価値を最大化できれば「(現中期経営計画最終年度の)2025年にはROE(自己資本利益率)が20%レベルに達するのではないか」との見通しを示した。中計ではROE15%レベルの達成を掲げている。
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しかしこのお目出度いCEOによるお目出度い報道発表のわずか2週間後には,エーザイの株価は1500円ストップ安の7565円となった.最も先行していたアデュカヌマブが最も先に斃れたことになる.ガダルカナルの第一次攻撃を彷彿とさせる.
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AD治療薬アデュカヌマブ、P3試験中止  米バイオジェンとエーザイ 2019/3/21 22:54 
 米バイオジェンとエーザイは21日、アルツハイマー病(AD)治療薬として共同開発している抗アミロイドβ抗体アデュカヌマブについて、臨床第3相(P3)試験(ENGAGE試験、EMERGE試験)を中止すると発表した。独立データモニタリングコミッティーの解析で、主要評価項目が達成される可能性が低いとの解析結果が出たため中止を決めた。
 アミロイドβ仮説に基づくAD治療薬の開発は各社で行われていたが、2016年11月に米イーライリリーが、17年2月には米メルクが相次いでP3試験の中止を発表。今回アデュカヌマブも中止となり、AD治療薬開発の難しさが露呈した格好だ。
 今回中止となった2つの試験の主要評価項目は、プラセボと比較したアデュカヌマブの臨床的認知症重症度判定尺度による認知機能・臨床症状の低下抑制の効果だった。
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そしてさらにEscalation of Commitmentは続く.第二次攻撃隊がBAN2401,第三次攻撃隊がエレンベセスタットというわけだ.下記の二つの記事のいずれもまた,BAN2401の第Ⅱ相試験(201試験)が失敗だったことには一切触れていない.この報道姿勢はミッドウェイ海戦のそれを彷彿とさせる.ならば,エーザイは,第三次攻撃が失敗した暁には,以後の開発方針を「転進」と表現するのだろうか?
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エーザイ、別の認知症薬に望みつなぐ 最終治験を開始 日経 2019/3/22 12:44
エーザイは22日、アルツハイマー型認知症の治療薬候補「BAN2401」について、臨床試験(治験)の最終段階にあたる第3相治験を始めたと発表した。エーザイはこれまで3つの認知症治療薬候補の治験を進めてきたが、21日にはうち1つの治験を中止すると発表した。新薬の実現へ、BAN2401など残る2品の開発を続ける。
エーザイはアルツハイマー型認知症の治療薬を米バイオジェンと共同開発している。BAN2401の第3相治験は世界で約1500人の早期認知症患者を対象に、プラセボ(偽薬)と比較して効果を確かめる。既存の薬は症状を一時改善する効果にとどまるが、BAN2401は進行自体を抑えることを狙っている。2018年に発表した第2相治験の結果で有効性を示していた。(以下略)
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AD薬BAN2401のグローバルP3開始エーザイ/米バイオジェン日刊薬業2019/322 20:02
エーザイは22日、米バイオジェンと共同開発している抗アミロイドβプロトフィブリル抗体BAN2401について、早期アルツハイマー病(AD)を対象とするグローバル臨床第3相(P3)試験(Clarity AD/301試験)を開始したと発表した。2022年にトップラインデータが得られる見通し。
アミロイドの脳内蓄積が確認されたADによる軽度認知障害と軽度ADの患者1566人が対象。主要評価項目は投与18カ月までのCDR-SB(臨床的認知症重症度判定尺度)で、BAN2401を体重1kg当たり10mgを隔週で投与する実薬群とプラセボ群を比較する。
エーザイと米バイオジェンのAD治療薬開発を巡っては、21日に抗アミロイドβ抗体アデュカヌマブに関するP3試験を中止することが発表された。ほかの共同開発品としては、今回のBAN2401や、BACE阻害剤エレンベセスタットがある。後者は2つのP3試験が進行中で今年度中の患者登録完了を目指している。
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参考 英国における「報道しない自由」そして反朝日もいなくなった:報道しない自由に対する市民の復讐戦台湾沖航空戦今昔

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