ガダルカナル開発からの撤退
Aβを標的分子にしたアルツハイマー病治療薬開発がガダルカナル化しているのは、もはや誰の目にも明らかである。だとすれば、この典型的なコミットメントのエスカレーションは停止させることは、全ての関係者にとっての幸せに繋がる。そのために必要なのは、撤退する合意を促す理由作りである。
もちろん、silent majorityは、アミロイドが墓石に過ぎないことを、検察と裁判所がそれぞれ大本営の陸軍部と海軍部に相当するのと同程度に確信している。しかし、「アミロイドこそが呆けの真犯人である」と、今日まで30年あるいは40年以上にわたって旗を振り続けてきた人々は、臨床試験が悉く失敗したという事実を目の前にしても、その旗を決して降ろそうとしない。私にはそういう人たちを説得する能力を持ち合わせていない.ただし、彼らに対して、今一度立ち止まって考えてもらうために、素朴な疑問を問いかけることはできる。
1. 臨床試験レベルの疑問:組み入れた被験者の中に嗜銀顆粒性認知症が入っている可能性は除外できるのか?今後も開発を進めるのならば、嗜銀顆粒性認知症を除外するのか?だとするのならば、どのような手段によって除外するのか?
2. Biologyレベルの疑問:アルツハイマー病では、症状が明らかになるにつれて、脳内でAβが蓄積する一方、脳脊髄液中のAβは減少していく。一方、タウオパチーによる認知症では、タウは脳内でも脳脊髄液中でも増加する(河月 稔 脳脊髄液検査 医学検査 2017;66:39-46)。このことは、認知症の発症との関係において、Aβはタウと同様に捉えられないことを示唆している。すなわち、タウはその蓄積と認知症の進行が関係している可能性が示唆されるが、Aβの場合には、Aβの蓄積と認知症とは関係なく、Aβの蓄積とは全く別の何らかの因子により認知症が進行する可能性が示唆される。抗悪性腫瘍薬の開発では、いくつかの教訓が示されている。今後ともガダルカナルに留まろうという勇気の有無に関わらず、これらの教訓は有用であろうと思われる。
2-1.ゲフィチニブの場合:ハーセプチンではHER2の発現量によってその有効性が左右されるため、当初はそれと同じ文脈で、EGFRの発現量と有効性の関係ばかりを検討し、EGFRの変異が有効性の有無に直接関係することが明らかになったのは、2002年7月に手術不能、または再発非小細胞肺がんを適応に承認されてから、IPASS試験(Mok T. NEJM 2009;361:947)が発表されるまで、7年も待たなければならなかった。
2-2. セツキシマブ・パニツムマブの場合:これらの抗EGFR抗体薬の有効性は、EGFRの発現量とも変異とも関係なく、KRAS遺伝子野生型の症例での有効性であり、RAS 遺伝子(KRAS/NRAS 遺伝子)変異を有する患者は、利益(延命効果、腫瘍縮小)が得られない可能性が高いことが、これも承認後に判明した。
3.根本的な疑問:結果論とはいえ、試験に協力してくれた多くの被験者の期待を裏切ってきた。それでもまだ撤退せずにガダルカナルに留まり、闘うのだろうか?その理由はどこにあるのだろうか?
参考
アルツハイマーは不沈艦か?
Escalation of commitment-part ∞-
失敗の費用対効果
畳か墓石か
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