第45回学会後記
北海道大学医学部 瀬谷 司
2008年7月10~12 日に第45回補体シンポジウム研究集会を北海道大学学術交流会館で開催させて頂きました。本年は3学会合同集会に長野インターフェロン発見50 年記念講演を含めて企画させて頂きました。延べ340名の参加者と107 題の演題登録がありました。活発な会を支えて下さった会員の皆様のご協力に心から感謝申し上げます。
初日は長野泰一(当講座出身、北大医学部7期)の功績を顕彰し、インターフェロンの領域からJohn Hiscott (McGill Univ., Montreal), Charles Samuel (UC Santa Barbara), Tadatsugu Taniguchi (Univ. Tokyo), Takashi Fujita (Kyoto Univ.) の記念講演を企画致しました。宇野賀津子、小島保彦両先生の長野先生のご紹介も頂きました。
生体防御学会、日本インターフェロンサイトカイン学会、補体シンポジウムの合同集会は初めての試みであり、個性を尊重しつつの合同集会を目指しました。結果は大変活発な文化交流となりそれなりの成果と好評でした。合同学会というと何か政治の匂いが流れ、実際そのような意図でこれまでも何度か補体シンポジウムと合同学会が組まれました。しかし、「自然免疫」という共通部分以外に各学会にはそれぞれの特有な文化基盤があり、そこに集う研究者の思想背景があるものです。それらの独立性を損なわない範囲においての合同であるという趣意を遵守して今回の開催に至りました。良い点ばかりでなく、遺憾な点は、2日目以降ランチョンセミナー(アミノアップ化学)、ワークショップ、シンポジウムと盛りだくさんな内容で、会員の真摯な発表を聞き分ける時間が十分採れなかったことが悔やまれました。このような配慮は大きい学会ではできにくい、本研究会の長所ですので、次回からの反省として是非生かしてほしい点です。
学会評はこれくらい、後は学会についての私見です。論語の一節に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という説語があります。学会に群れて仲良しを装うことより真に理解しあう基盤の養成が如何に大切かを説いているように聞こえます。全く同感なのですが、人間性の理解には時間がかかりますから会を飛び回っている暇など無くなります。今日の研究環境でこれを実践しますと人付き合いが悪くなり研究費に困ります。孔子も今でこそ盛名ですが当時はどの国からも受け入れられず貧乏していたようです。中国には伝統的に己の信じる志意を貫くのが美とされ、伯夷叔斉の故事(征服王朝の周に仕えるのを潔しとせず蕨のみを食し、餓死した)、史記の刺客列伝(士は己を知る者のために死す、が有名)など心胆を震わせる多くの伝説があります。日本は明治を境に西洋化しましたが、文化の原風景は2000年来のアジアの風土であって、100年程度のアメリカではないはずです。学会はよろしく人智の理解を育むものであって、統一見解で政治行動を行うなどは最小限にして欲しいと思います。ともかく学究に生きる人材が世俗にまみれて苦しむ時代ではあります。
この反省からか、科学者が経営学や投機の実際を学んで実業家に転身するようなプランを国が実行してくれるからあきれます。そういう問題ではない。人間は本来限られた地球環境に適応して世代を終えるようにプログラムされていますが、人が100 人いれば2〜3人は研究そのものを楽しめるという天賦の才を与えられます。このような人は自分と社会の価値観のギャップのために血みどろの苦難を舐め、人智未踏の素晴らしい作品を残します。こういう人が何人生き残れるかでその時代の活力が査定されます。ギリシア文明しかり、ルネッサンスしかりです。逆に中世や戦争の時代が不毛の暗黒時代であったのは政府が教条的で実利以外の価値観を迫害し排除したからです。今の大学は中世かルネッサンスか考えさせられます。国は大学内に実業家を養成するのではなく天賦の才を涵養することを目指すべきでしょう。北海道のような僻地にあっては大学の中世化は由々しい問題です。
無事に学会開催を終えましたので社会的な責任も少し減りました。大学に赴任して5年、大学は不思議な所で学生はいつも若く教員とは世代が離れて行きます。余生は多くありません。せめて世俗の価値に惑わず真に価値ある研究を残りの人生に託したいと気を引き締めています。(2008.9.4)
謝辞に代えて、本合同学会の企画・運営を支えてくれた講座のメンバーにお礼申し上げます。
北海道大学医学研究科免疫学分野 2008.7.12