メンデル文庫

「メンデル文庫」創設の辞

長田敏行

2022年7月にはメンデル生誕200年を迎える。それに備えて、(公財)日本メンデル協会も様々に企画を準備しているが、その中に「メンデル文庫」を開設し、会員への便宜を図りたいと考えているので、その意図を紹介したい。理由の一つは、遺伝学はメンデル(Gregor Johann Mendel)に始まるが、そのメンデルの活動については、余りにも分かっていないことが多いからである。それはメンデルが亡くなった時、修道院長として亡くなったのであり、決して科学者メンデルとして亡くなったのではない。更に、わが国においては、メンデルについての紹介文献も少なく、私はそのことを最近「メンデルの軌跡を訪ねる旅」を上梓した折に特に強く感じた。また、世界を見回す時、ダーウィン(Charles Darwin)について書かれた本は数多あるが、メンデルについてはその数は限定されている。メンデル紹介本の中には翻訳したら面白いと思われるものもあるが、それらは実行されていない。そのいくつかの収集を始め、協会に備えることとした。そのいくつかを紹介し、それらに興味を持たれる方には貸出の便宜もはかるつもりである。ご興味を持たれた方は協会事務局へご一報をいただければと思う。

1.Simon Mawer:  Mendel’s Dwarf.  Thorndike Press, Maine (1998)

これはメンデルの子孫と想定される背丈の低い分子生物学者の出くわす様々の出来事のフィクションであるが、通読して、遺伝学の原理を尊重して書いており、けっしてそれをゆるがしにしていないことが印象的であった。ところが、2018年のメンデル記念メダルの受賞者ドイツオルデンブルク大学のヴァッカーナ―ゲル(Wilfried Wakkernagel)教授も、受賞記念講演でそのことを指摘されたので、改めて筆者の読後感との一致に驚いた。にもかかわらず、日本では話題にもなっていないことは大いに指摘すべきことと考える。これについては、翻訳があってもおかしくないと思うので、ここにそのことを述べたいと思う。

2.Simon Mawer: Gregor Mendel. Planting the Seeds of Genetics. Abram, New York, (2006)

これは上記書の著者が、遺伝学の発展をメンデル以前から始め、メンデルの役割、そしてその後の遺伝学の発展を要領よくまとめている。更に、その後の分子生物学の発展に至るまでをまとめているが、鮮明度の高い写真が伴っていることも印象的である。大変教育的配慮の高い本であるが、それと納得できるのは、科学の啓蒙活動で定評のあるシカゴのField Museumとの共同作業であることである。これも訳されたら興味あるところであるが、知る限りそれはなされていない。なお、この著者は元々イギリスで、生物学の教師であったが、現在はイタリアで広範な執筆活動を行っている。

3.Robin Marantz Henig: A Monk and Two Peas.  The Story of Gregor Mendel and the Discovery of Genetics. Weidenfeld & Nicholson, London (2000)

科学史に関心を寄せる著者は、メンデルに関係ある場所の訪問とそこであった人々とのインタビューをもとに、メンデルの生きて、活動した情況を再現している。これは、アメリカでの科学史家が対象とした人物を描写する際に取られる常套的手法であると思うが、著者はこれに成功している。見受けられた若干のミスもそれほど瑕瑾にはなっていない。ただし、再現されたメンデル像がどれだけメンデルの実像を再現しているかは、検証の必要があることである。関心のある方には、直接見て確かめていただきたいというのが筆者の感想である。

なお、タイトルが異なるが、下記の本とこの本は内容的には、全く同じである。下記の本は筆者所有である。
Robin Marantz Henig: The Monk in the Garden. The Lost and Found Genius of Gregor Mendel, the Father of Genetics. Houghton Mifflin Co., Boston (2000)

4.Hans Stubbe: History of Genetics. MIT Press. (1972)

この本は元々ドイツ語で発表された遺伝学史の本の英訳であるが、古典古代から始め、メンデルに先立つ人々、メンデルの貢献、そして、メンデル法則の再発見までが大変よく書かれており、その記述は他著書に見られない点が特徴である。遺伝学の成立を辿るには優れた本であると思う。ただし、英訳のためか、若干読みにくい点もあるが、それは必ずしも瑕瑾であるとは言えないと思う。なお、この著者は旧東ドイツにあって、遺伝学を推進していた著名な研究者であり、かつて遺伝学雑誌MGGの編集者として、メルヒャース(Georg Melchers)教授と共に活動されたことは、筆者の記憶に強く残っている。また、1970年のブルノでの「メンデルコロキウム(Gregor Mendel Colloquium)」を組織した中心人物であり、当会保有の篠遠喜人博士により制作された映画に登場して、会の趣旨を説明されており、メンデル法則の意義について力説していることを申し添える。