医師と一般市民のための法的リテラシー: 中世裁判による被害を最小化するためのワクチン接種
ー自分は決して間違わないと信じる人間の暴走を抑えられるのは、自分が間違えることを知っている人間だけです。
一般市民としての医師と法のページも参考になさってください

目次:はじめに なぜ法的リテラシーなのか? なぜ,医師と一般市民なのか? なぜ医師と法的リテラシーなのか? 特に若手へ 当事者意識とユーザーレビュー 当事者意識を取り戻すには? 新聞・テレビを世界一信用しているお目出度い我々 Watch dog, for whom?  法的リテラシー速習法  メディアから身を守る 
法医学者達から身を守る 裁判の公開・透明性の問題 参考資料

はじめに

「民主的であろうとなかろうと,まともな社会は自分たちが担うことによってしか成立しないから,その義務と責任を自覚する」ということからしかすべては始まらなくて,そういうことが「明けない夜はない」ということなんだろうと思い,それを放棄した時,誰の得にもならない長い夜は長い夜のまま続くのだろうと思う.(橋本 治 明けない夜 遠い地平,低い視点 ちくま No. 526 2015年1月より)
みなさん、法的リテラシー legal literacyという言葉に出会ったことがなくても、それが何を意味するかは、メディア・リテラシーという言葉をご存じの方には容易に想像がつくでしょう。それは決して憲法を勉強することではありませんし,ましてや六法全書を読むことでもない.法的リテラシーはカルチャースクールの科目ではない.リテラシーとは「騙されない能力」です。法的リテラシーとは、現代日本のゲシュタポや中世裁判から自分の人生を守るための必須アイテムです.

我々は立法府(政治家)や行政府(役人)を批判します。そして公務員である国会議員、地方自治体の議員、地方自治体の長を選挙で選ぶこともできます。しかし、同じ公務員である検察官、裁判官、検察・裁判所を決して批判しようとしなかったし、彼らを監査する人も仕組みを作ろうともしませんでした.市民が裁判に参加する貴重な機会である裁判員裁判さえも回避しようとする市民がまだまだ多数派を占めています。ノバルティス社を告発してEBMが何の略号かもわからない特捜に媚びを売る薬害オンブズパーソンはいても,法害オンブズパーソンはいません。メディアは検察の走狗となり、有罪率99.9%を誇り再審請求棄却を乱発する裁判所を批判するどころか賞賛してきました.我々一般市民は、鉄道,医療,食品衛生・・・何事にも病的なまでに完璧な品質を求め、何かというと「法的には・・・」「法的手段に訴える」と言う一方で、検察・裁判所・そしてメディアに肝心の裁判を白紙委任してきました。その結果、現代日本では、検察・裁判所が思うがままの中世裁判が行われています。

医師も一般市民です。法は社会で生きていく人間が自分の幸せを守るために使う重要な手段です。手段ですから、あくまで法と法曹は使うものであって、使われるものではありません。そこを取り違えて、法と法曹の下僕となり、自分で勝手に不機嫌・不安・不幸になっている人の何と多いことか。このページはそんな人のために書かれています。
多くの市民同様,もちろん私もその一人でした。でも、北陵クリニック事件に関わっ て、神様気取りの検察官や裁判官から藪医者と呼ばれるようになってから、「あいつら、脈の取り方一つ知らないくせに、なぜ国の認定基準に従ってミトコンドリア病と診断した神経内科医を藪医者よばわりできるんだろう?」、 そんな「素朴な疑問」から出発して、その「真相究明」にとりかかるようになりました。(2014/11/27)

なぜ法的リテラシーなのか?
法は我々が幸せを実現するための重要な手段です.法曹は法を遂行するシステムと人です.我々は毎日,法に守られ,法を守り,法に縛られて生活しています.法曹とは,水道,ガス,電気,郵便,鉄道,ごみ収集といった公共サービスと同様,生活に欠かせない公共サービスなのです.だからこそ,我々は裁判官や検察官に給料を払っている.実は我々の生活に密接に関連しているが,我々が普段意識していない法曹.毎日,法に守られ,法を守り,法に縛られて生活している我々の人生を法曹が脅かす事態を想像するのは簡単です.トイレが詰まった時,コンピューターがクラッシュした時,家族が急病になった時・・・ そうです。法的リテラシーとは、冤罪や支離滅裂な民事裁判の被害に対して免疫力を高めるためのワクチンなのです。
日本の多くの公共サービスが世界一のパフォーマンスを誇っているのは何故か?それはユーザーが極めて厳しい目で評価しているからです.しかし,とんでもない例外がある.それが法曹です.何しろ,日本の法曹は中世だと嘲 笑されても,「シャラップ」と連呼するだけで,裁判官も検察もメディアも,そして我々も,全く反論できないのですか ら.では,公共サービスの中で法曹だけがなぜ中世の水準に留まっているのか?「我々」つまり肝心の法曹ユーザーは,シャラップと連呼することしかできなかった上田秀明人権人道大使を嘲笑することしかできなかった.それは法曹ユーザーである我々が我々自身を嘲笑すること,我々自身の当事者意識の喪失を意味しています.

冤罪は国家の本態
トマス・モアはイングランドの法学者で最高位の大法官でした.その彼がどういう運命を辿ったか,あなたはご存じですか?ヘンリー8世に「反逆罪」の言いがかりをつけられて、断頭台に送られたのです.冤罪は何も日本にだけあるわけではないのです.国家がある限り冤罪は生まれます.どの国・地域でも,いつの時代でも、市民は国家による冤罪のリスクを意識し,そのリスクを最小化する努力をしてきました.日本の市民が例外でいいわけがありません

なぜ,医師と一般市民なのか?
法曹は医療と並んで最も大切な公共サービス(=市民に奉仕する公的活動)です.なぜなら,法曹も医療も人の人生,人の命に関わるサービスだからです.サービスは提供する人と受ける人の間の対話によって成り立っています.サービスの品質改善も提供する人と受ける人の間の対話によって成り立っています.そういう観点で法曹と医療を比較すると,その歴然たる対照が誰の目にも明らかです.医療は患者と医師の対話で成り立っています.しかし法曹では弁護士と顧客の関係を除き,サービスを提供する人と受ける人との間に対話は全くありません.そこあるのは一方的な判断と通告だけです.この点に多くの市民は何の疑問も抱いていません.日本の司法が中世の水準に留まっている根本的な原因は市民の間に法的リテラシーが全く芽生えていないからです.
その点,医師は医療の世界でサービスプロバイダとして患者と対話することを本務としていますから,法的リテラシーの必要性を容易に理解し,学び, 自分の中で育てることができるのです.そして医師が持つ法的リテラシーを患者や家族や地域住民と共有していけば,地域全体の法的リテラシーがどんどん向上していくことになります.

なぜ医師と法的リテラシーなのか?
といっても市民の間で良質な法的リテラシーが共有できるようになるまでは十年単位の時間がかかります.私自身が生きているうちは無理かも知れない.でも,そうやって「できない理由」を見つけるのは,どこぞの木っ端役人に任せておけばいいことです.そんなことより自分に何ができるのかを私は考えたい.他の人はいざ知らず,私自身が法的リテラシーを身につけて,自分が不幸になるリスクを下げたい.そして,より幸せになりたい.それが私の当事者意識です.

医師は法的リテラシーを学ぶ上で、当事者意識を獲得・育成しやすい(人の振り見て我が振りを直しやすい)、非常に有利な立場にあります。まず、かつての医 療界&現在の医療界と法曹界にはいくつもの共通点があります。
●白い巨塔体質
●金銭よりも、その職業集団の中での名誉・昇進を追求する体質
●崇高な使命を果たす専門性の高い職業として一般市民から特別な目で見られている
●個々の構成員はユーザーからの非難・攻撃の対象となることはあっても、まれな事例である。
●職業集団が一般市民から批判されることは、まずない。
●弁護士を除いて職能集団に監査制度がないので、質の悪い構成員を処罰・教育することができないし、排除することもできない。

医師が法曹よりも有利な点は社会とのつながりを持っていること、peerreviewシステムがあるということです。
●イレッサ訴訟や血友病HIV訴訟など、トンデモ医事裁判の事例が分析できる。
●科学を仕事の手段として使うので、自分の仕事に客観的に見られる。
●論文活動などの対外的な活動によっても、他の構成員や外の社会から批判を受けるpeerreviewシステムがある
●目の前の患者からもフィードバックを受けられる。患者が良くなる・悪くなるというアウトカムによるフィードバックを受けて、自分の仕事の質の向上を図る ことができる

以上のような理由で、医師は法曹を批判的に捉え、その問題点から自分自身や医師集団に対して、より質の高い仕事ができるような方策を提案できるのです。

特に若手へ
老い先短い私あるいはそれ以上の人間は,若い人ほど法的リテラシーを必要としていません.なぜなら,法的リテラシーがゼロても,死ぬ場所が塀の中か外かの 違いでだけですから.若い人は違いますよね.自分の生きる場所が塀の中に限局されるかどうかの問題ですから.自分が巻き込まれるであろう医療事故につい て,医賠責に加入して真面目に診療していればそれで大丈夫と思っていませんか?民事訴訟だって,誰も弁護士を探してくれませんよ.民事訴訟だって,病院は あなたを助けてくれませんよ.だって,病院にとっては,あなたは不始末を起こした不良社員なんですから.早く辞めてもらいたい奴に誰が弁護士なんか世話す るもんですか.法的リテラシーは,キャリアリスクマネジメントの必須アイテムだっ てこと,ここを読んでいるあなたなら,すぐにわかるでしょう.
ましてや業務上過失で刑事事件なんて.もちろん医賠責は対象外.業務上過失は組織の責任は一切問わず,個人の責任だけを問いますから,病院はあなた一人に 責任をなすりつけて知らんぷりですよ.嘘だと思ったら佐 藤一樹先生の貴重な体験談を是非呼んでください.病院はあなたを守りません.逆に組織防衛のためにあなたに濡れ衣を着せるのです.女 子医大が例外と思ったら大間違い.だって北陵クリニック事件で は,いまだに東北大学のお医者さん達が自分たちの不始末を隠すために守大助さんを刑務所に閉じ込めたままなのですから.「医 師法第21条は、原則として無視します」なあんて,かっこいいこと言ってくれる社長は例外中の例外だってことを忘れないでください ね.
法的リテラシーなんて,初めて聞くでしょ.大学でも習ったことはないし,臨床研修でもそんな言葉は出て来なかった.それはもちろん,あなた方を教育・訓 練・指導してきた人々に法的リテラシーが全くなかったから.では医者には法的リテラシーは必要ないのかというと,決してそうではない.なぜなら,法的リテ ラシーが必要だったと心の底から後悔している人は,あなた方の前には決して現れることがなかったから.あなた方を教育・訓練・指導してきた人々に法的リテ ラシーが全くないのは,たまたま法的リテラシーの必要性を学習する機会に恵まれなかった幸運(あるいは不運)の持ち主ばかりだったから.あなた方は受けて きた教育にはそういう強烈な「バイアス」がかかっていたから.

当事者意識とユーザーレビュー
ユーザーが当事者意識を喪失すれば,ユーザーレビューは生まれません.ユーザーレビューのない公共サービスは腐ってカビが生えるだけです.日本の法曹が中 世に留まっているのは,我々の当事者意識の喪失が原因です.民間サービスは競争原理が働けば,サービスの水準はある程度以上は保たれます.それでも,書 籍,高額商品,宿泊施設,飲食店といったサービスで典型的に見られるように,一度だけで,「はずせない」サービスの場合には,ユーザーレビューが欠かせな い.ネットが普及する以前から,「暮らしの手帖」のような伝統的な紙媒体によるユーザーレビュが人気を博したことからもわかるでしょう.一方で当事者意識 が明確であれば,”ソディウムクロライドが添加されている食品は危険だ”と主張する,「買って はいけない」のような,愚劣なユーザーレビューを認識するリテラシーも育ちます.

みなさん、たとえ書籍を購入するときでも、ユーザーレビューは熟読するでしょう。ましてや高額な電気製品や、大切な旅行の宿を決めるときも、ユーザーレビューを見ますよね。その中でやたらと褒めちぎるようなレビューと、感情的な誹謗中傷満載のレビューを排除して、長所短所ともに記載したバランスの取れたレビューに重点を置いて、ユーザーレビューをレビューするでしょう。そうです。ユーザーの当事者意識さえあれば、ユーザーレビューの善し悪しを本気で見極めようとします。これがリテラシーの原点です。法的リテラシーの獲得・育成も全く同様で何も難しいことはありません。

当事者意識を取り戻すには?
電気製品や旅行の際に泊まる宿について当事者意識を持つのは簡単です。では法曹に対する当事者意識を取り戻すためにはどうしたらいいでしょうか?それは簡単です。自分はバカになりたくない。バカのままで損ばかりしたくない。賢くなりたい。賢くなって得をしたい。賢くなって幸せになりたい。誰でも持っている そういう素直な願望を掘り起こせばいいのです。

電気製品や宿のレビューを見ると、世の中にはいろいろな人がいることがわかります。バカもいるしお利口さんもいる。たとえば「買ってはいけない」のレビューを見ると、やたらと褒めちぎって5点満点をつけている人がいる一方、「この食品にはソディウムクロライド、つまり食塩が添加物として入っているから買ってはいけない」という、この本の文章から、適切に評価できる人もいることがわかります。あなたがどのレビューを読んで気に入るか?それが、その本についての当事者意識です。
「でも私は裁判なんかに縁が無いから」ですって?いやいや、裁判に一生縁がなくても、法曹について当事者意識を持つことはできますよ。あなただって、新聞 ぐらい読むでしょう。テレビだって見るでしょう。芸能欄を読まなくても、バラエティ番組は大嫌いでも、社会面を読み、報道番組を見るでしょう。刑事物が大 好きな方もいらっしゃるかもしれません。それすなわち法曹についての当事者意識の芽生えなのです。

新聞・テレビを世界一信用しているお目出度い 我々
「テレビの刑事物は現実とはおそらく違うだろう」と思っていらっしゃる方は多いと思います。でも、刑事物と現実は、どこがどう違うのか?考えたことがありますか?「テレビの刑事物は現実とはおそらく違うだろう」と思っていらっしゃる方でも、新聞報道と現実の違いを考えたことがあるでしょうか?日本人の新 聞への信頼度は世界一です。信頼している人の割合から信頼してない人の割合を差し引くと、調査対象26カ国中、日本が45.5%で トップです。あの中国でも34.3%、韓国22.2%で日本の後塵を拝しています(笑)。ドイツは-10.3%(プラスではなくマイナス!)ですが、それ でも10位、最下位(?)オーストラリアは-65.4%、ウォーターゲート事件を報じたニューヨークタイムズを擁する米国はブービー賞で-52.8%。で はテレビはどうかっていうと、これも大健闘(笑)で、フィリピンの52%、中国の39.3%に次ぎ。37.6%と韓国の29.6%を大きく引き離し堂々世 界三位(笑)。ふだん、あれだけマスコミをバカ呼ばわりしていてこれですから、日本人は本当にお人好しというか、バカな子ほど可愛いのか(爆笑)。

ユーザーが信頼している=全く批判しない。信頼してない人は見捨てて=全く批判しない。マスコミの方は、批判されなければ、それで認められているのだと信 じ込みます。ユーザーレビューのないサービスは腐ってカビが生えるだけです.かくして日本のマスコミは機能を停止し、警察や検察の伝声管と化しました。彼 らのやっていることは警察・検察の広報活動に他なりません。「警察も検察もこれまでもそしてこれからも常に間違いの無い正義の味方である。神である」 と の新聞報道を信じていたければ、どうぞご自由に。

誰のための番犬か?(Watchdog, forwhom?)警察・検察の飼い犬たちと、実はひどく暇な我々と、 増税とインフレとの関係
本来メディアは一般市民のために働く務めがあるはずです。その務めの中で最も重要なのは、最も強い国家権力に対する番犬の役割です。現代日本の最高権力は どの組織にあるのか?それは政党・政治家ではありません。その政治家達を逮捕・起訴できる警察・検察です。しかし、日本のメディアは大東亜戦争の時は軍部 という最強国家権力の犬になって市民を監視し、自ら自由な言論を封鎖しました。そしてその体質はポツダム宣言受諾の前後で全く変わっていません。本来メ ディアは帝国陸海軍に代わって、政治家を恫喝する最高権力となった警察・検察を監視する役割を担うべきなのに、全く逆に、警察・検察の犬として、彼らのケ ツを嘗め,そこから垂れ流される報道発表を有り難く頂戴し(あのおきまりのセリフ”関係者によると”は全てその垂れ流しです)、正義の味方でございとふん ぞり返っているのです。へっ、何がジャーナリストでございだ。何が評論家だ。お前らのご主人様は誰だと思ってる(私は新聞も購読していませんし、テレビ ジョンの受像器も置いていませんが)。

こんなメディアに誰がした?もちろん、新聞、テレビを世界一信用している我々自身です。「バカなマスコミ」と言いながら、毎月新聞とNHKと合わせて大枚6000円も払って警察・検察の広報のお手伝いをしているのです。忙しいと言いながら、実は暇なんですね、皆さん。
しかし、そんな暇な我々と警察・検察の飼い犬達との蜜月がいつまで続くのでしょうかね。アベノミクスのおかげで税金は上がるはインフレになるはで、市民は 無駄な支出に敏感になっています。その際、真っ先に切られるのがタバコ、次が新聞、その次がテレビです。ネットは必需品ですからね。最後まで残ります。

法的リテラシー速習法
私は「法的リテラシーを身につけるのは長年の地道な学習が必要である」なあんて嘘八百は決して言いません。何事につけても、基本的な学習法が効率が良いものです。だって、初心者が学び始める時に効率が良くなければ誰も学ぼうとはしないから。そして優秀な人ほど忙しくて時間を大切にします。だから優秀な人は効率よく学習しています。つまり良質な法的リテラシーを身につけるには、法的リテラシーを持たない人を見極めて自分の学習範囲から排除し、良質な法的リテラシーを持っている人の真似をすればいい。では法的リテラシーを持たない人はどうやって見分けるか?見分ける必要なんかありません。堂々と「自分は検察の犬です」天下にと公言して憚らない悪臭ふんぷんの人間が新聞社の編集委員をやっていますから。
一方、良質な法的リテラシーを持っている人はというと、ジャーナリストの中では全体から見るとごく少数ですから目立ちます。村木厚子さんの事件で本を書いた江川紹子さん、私が関わっている北陵クリニック事件では魚住 昭さん。古巣検察を決して見捨てず、蘇ってもらいたい一身で必死に恩返しをしようとしている(笑)郷原信郎さん

書籍では下記がお勧めです。
瀬木 比呂志 ニッポンの裁判 (講談社現代新書) 日本の裁判は本当に中世並みだった!
市 川寛 検事失格 毎日新聞社 まずはこの本からいかがでしょうか。検察=ブラック企業=皇軍は死なず!
郷原信郎  検察が危ない(ベスト新書)KKベストセラーズ 贈収賄 政治資金規正法が関連した事件の説明が多いのですらす らは読めないかもしれないが、ロッキード事件=日本海海戦以後、政治家逮捕=大艦巨砲主義 が出世への近道と固執する特捜が、ガダルカナルと化していく経過など、随所に検察という病の組織病理的(Histopathologyではなく、Organizationalpathologyという意味です)側面が克明に記されています。
森 炎 司法権力の内幕 筑摩書房 新書なので、同じ著者の手になる「教養としての冤罪論」(下記)より手軽に手にとって読めます。2冊は互いに内容も異なり、こちらの新書の方はより一般市民向けの入門書という感じです。両方買っても重複はありませんし、違った角度からトンデモ裁判を理解することができます。
森 炎(もりほのお) 教養としての冤罪論 岩波書店 冒頭から「刑事裁判はすべて冤罪である」「裁判は真実発見の場ではない」といった一見過激なキャッチコピーが登場するのですが、東京地裁、大阪地裁などの裁判官を経て弁護士となった著者の書いた内容はむしろ硬派・正統派そのもの。上記の三冊に比べて硬すぎて読みにくいと感じる部分もあるぐらいです。しかし、そんな部分は飛ばして、読みやすい事例検討の部分から読めば、興味が沸いてきて、結局は通読してしまうことになるでしょう。
20人の識者がみた「小沢事件」の真実―捜査権力とメディアの共犯関係を問う!鳥越俊太郎(編集),木村朗(編集) 日本文芸社 本書の最大の難点は,まだまだ世の中の大半を占める小沢アレルギーの人々が手に取れないこと.ゆえに評価は5点満点で3点です.本書の本質は副題に示唆されているように,「検察とメディアの共犯関係」にあり,いわゆる小沢事件はその事例の一つ(しかも市民にはその内情が理解しにくい)に過ぎない.実は本書には,三井環氏,仙波敏郎氏,鈴木宗男氏,佐藤栄佐久氏といった,小沢事件とは全く関係のない検察とメディアの共犯事例も少なからず掲載されている.こういう事例は小沢事件よりも理解しやすく,小沢アレルギーの有無に関係なく,興味深く読める.本家「水戸黄門」が終わった後,いつまで検察は水戸黄門役を演じ続けるつもりなのだろうか.税込みで1728円ですが、実はお財布に優しい本です。つまりこの本を買って(一ヶ月の新聞購読料の半分の値段)読めば、それ以降、新聞を購読する気も、テレビの受像器を所有する気もなくなりますから。今や新聞、テレビは、タバコと同じ、頭にも体にも悪い「嗜好品」です! 新聞・テレビは運動量を減らすから確実に体に悪い。もちろん頭にも悪い。タバコの脳血管障害も有名です。

メディアから身を守る
楠見 孝 科学リテラシーとリスクリテラシー 日本リスク研究学会誌 23(1):29 − 36(2013)

今や必要なのは法害オンブズパーソン
検察・裁判所といった国家権力に媚びを売って,企業や厚労省などの弱い者いじめを趣味とする時代錯誤な破廉恥集団にもはや用は無い。今や必要なのは薬害ではなく法害オンブズパーソンである。

法医学者達から身を守るcomingsoon
古畑種基によるでっち上げ鑑定の数々についても、北陵クリニック事件の質量分析に対しても「完全黙秘」を決め込み、司法解剖をするマンパワーもない現状で、診療関連死もこっちの仕事だ、医師法21条にひれ伏せとのガイドライン掲げ続ける破廉恥な人々 どういう神経しとるんじゃ。

えん罪事件と誤った科学者の鑑定:一読の価値があります.日本法医学会がこうした指摘に何の反論もしていないということは,それを認めているということに他なりません.

トンデモ裁判はこうして創られる
裁判の「公開」とは何か~法廷メモを解禁させたレペタさんに聞く:1989年というと、今から四半世紀前になりますが、ここをお読みの方の中には既に生まれていらっしゃる方や、私のように社会に出て働いていた方もいらっしゃるでしょうから、それほど「昔」とは思わない方も多いでしょう。 ちょうどバブルの頂点の時期で、私は千葉県東部にある有名研修病院で日本電気製のパソコンを使って論文を書いていました。十枚以上のCDとなった米国医学図書館のデータベースを使って英文の文献検索もできました。ですから、少なくとも「中世」ではありませんでした。ところが、その1989年3月8日まで、日本の裁判所では、「メモの騒音で裁判ができない」という理由で傍聴人のメモが禁じられていました。そう、正に中世の裁判です。今、ここでそれを初めて知った方は、自分の無知を恥じるかもしれません。でも、それはあたなだけではないのです。諸外国に比べて日本人が裁判所に寄せる信頼度の抜群の高さは、日本人の多くが裁判所に白紙委任状を提出していることを意味しています。建前では日本でも裁判は公開されていますが、市民が監視せずに白衣委任してしまえば、結果的に中世の秘密裁判と同じことになってしまうのです。日本には実際に公開されていない裁判もあります。それが再審請求審です。ですから再審請求審は中世裁判そのものとなっています。

再審請求審は可視化せよ…裁判員時代にふさわしい「誤審救済システム」構築のために
名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う

参考図書
郷原信郎 検察が危ない KKベストセラーズ
森 炎 司法権力の内幕 筑摩書房
瀬木比呂志  ニッポンの裁判

参考資料
「皆さん、こんなの許せますか!?」~裁判が「バラエティ番組」になっていく(日経ビジネスオンライン)
楠見 孝 科学リテラシーとリスクリテラシー 日本リスク研究学会誌 23(1):29 − 36(2013)
北陵クリニック事件:医師が法的リテラシーを獲得 し、育てていくための格好の事例検討です。
法的リテラシー事例検討集:主にお役立ち外部リンクを集めてあります
「医師法第21条は、原則として無視します」:過失があったとしても、犯罪ではないから、全力で国家権力から職員を守る。「医療事故が起きたときに、君たちを警察に売るということは絶対にしない。その代わり、そうした事態を招かないように、真摯に業務に取り組んでくれ」
えん罪、 自白強要、異常な長期身柄拘束…歪んだ刑事司法の元凶は裁判官?元裁判官が告発
井口文彦 再審請求審は可視化せよ…裁判員時代にふさわしい「誤審救済システム」構築のために
ケーキの干物を売る店の話ーサイレントクレーマー認知能力と危機管理能 力についてー
亀井静香 死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ
他者の生命の犠牲の上に立つ幸福や安全などない
佐藤優 誰が主権者を吊るせるか?

「科学捜査は科学的」という迷信
シャ ロン・ベグリー 科学捜査ドラマの魔法は幻想だ ニューズウィーク 2010年5月21日
科学なき科学捜査 日経メディカルオンライン 

検察の走狗としてのメディア
迷犬 村山治(朝日新聞編集委員):特ダネ記者が今語る特捜検察「栄光」の裏側←こいつの書いた記事は、全部最高検の犬になって汗をかいてケツを嘗めたって自慢話。大本営のご意向を受けた従軍記者気取りには吐き気がする。今時こんなカビの生えたチンピラは小さくなって奥に引っ込んでいるかと思いきや、「編集委員」とやらで高い給料もらって鼻高々なんだから,すげえ会社だぜ。社長が何人替わろうが何百回謝罪しようが、大東亜戦争以前からの大政翼賛体質は永久に不滅ですな。
リテラシーは誰のため?

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