ケーキの干物を売る店の話
ーサイレントクレーマー認知能力と危機管理能力についてー
ショーケースの中にカビの生えたケーキを陳列しているケーキ屋があったとしたら、あなたはどうするだろうか。(ツィッターにそれを載せるかどうか
は別として)貴重な写真を撮るために出かけることはあっても、その店でケーキを買うことはないだろう。たとえそれがカビの生えていないケーキで
あったとしてもだ。そして、カビの生えたケーキ屋は避けて、おいしいケーキを売る店と思うだろう。サイレントクレーマーなどと、大げさな表現はこ
れっぽっちも必要ない。一般市民のごく普通の行動だ。しかし、それがケーキ屋ではなくて、裁判所で、そこで行われる裁判が100年以上前に制定さ
れた法律で行われているとしても、あなたに他の選択肢はない。裁判は裁判所でしかやっていない。あなたが好き好んで住んでいるのはそういう国だ。
業務上過失を定めた刑法が制定されたのが1907年である。刑法はこの間の医学の進歩を全く考慮していない。百余年は、カビどころか、ケーキの干物を保存
したタイムカプセルを開けるのにふさわしい年月である。にもかかわらず、医事裁判に対するクレーマーの人数は両手の指があれば十分なよう
に思える。これは一体どういうことなのだろうか。
ビジネスの世界では一般にサイレントクレーマーの数は氷山の一角を形成するクレーマーの10倍と言われる。一方、ビジネス以外の分野、特に法曹分
野でクレーマー/サイレントクレーマー比率の疫学調査が行われたとは寡聞にして知らない。しかし、その比率は簡単に、しかも相当の確実性を以て判
断できる。1907年に制定された刑法が定める業務上過失を根拠に、肋骨の本数も知らない警察官と脈の取り方も知らない検察官が医師を取り調べて
調書を創作し、診療録を読解できない裁判官が99.9%の確率で有罪を言い渡す。そういう裁判に満足している医師がまだこの世に存在するとした
ら、是非ともお目にかかりたい。それはニホンオオカミよりも、いや、ヒマラヤ山脈の雪男、あるいはUFOよりも貴重な存在であろうから。
全ての医師が現行の医事裁判に対して不満を持っている。つまり、私のようなクレーマー医師以外は全てサイレントクレーマーである。サイレントク
レーマーはクレーマーよりはるかにやっかいな存在である。炭鉱のカナリアを自ら買って出るクレーマーは、お店にとって極めて有り難い存在である。
親切にも音声で警告を発してくれるからだ。ところがサイレントクレーマーときたら、無言のままいきなり実力行使となる。氷山どころではない、暗礁・機雷の類いである。
これほど怖いサイレントクレーマーだが、彼らがいつ実力行使に出るか、それは誰にもわからない。しかし、サイレントクレーマーの存在を意識するこ
とはできる。サイレントクレーマーがいつ、どんな形で実力行使に出るか予知はできなくても、サイレントクレーマーの存在を認知し、彼らが実力行使
に出るリスクを低減することはできる。実際にビジネスの世界では、クレーマーの警告に耳を傾けることにより、サイレントクレーマー達の暴発リスク
を最小化する知恵が共有されている。
ところが検察にも裁判所にもサイレントクレーマーの認知能力はない。もし認知していれば、サイレントクレーマー達が爆発するリスクを少しでも低減
しようと、私を含めた北陵クリニック事件再審弁護団の請求を認めるはずだが、こともあろうに検察も裁判所も全く逆の行動を取った。STAP細胞な
ど足下にも及ばない極めつきのイカサマである科捜研土橋鑑定を支持し、国の認定基準に従ってミトコンドリア病を診断した神経内科医を藪医者呼ばわ
りする決定を出した河村俊哉裁判長を始めとする仙台地裁の裁判官
達の頭の中には、危機管理のきの字も存在しないことになる。
当然と言えば当然である。刑法(1907年制定)にも。刑事訴訟法(1948年制定)にも、危機管理はおろか、危機という言葉すら載っていない。
刑事裁判には、危機という概念はないのだった。
参考
井
口文彦 再審請求審は可視化せよ…裁判員時代にふさわしい「誤審救済システム」構築のために:井口氏の主張は下記の江川
紹子氏の主張よりもさらに具体的である。再審制度をこのままにしておいては、裁判全体に対する不信感が増大するばかりだとの危機感がひしひしと伝
わってくる。警察・検察・裁判所に極めて共感的な論陣を張ってきた井口氏にして、この危機感である。
江
川紹子 名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う
北陵クリニック事件再審請求棄却の内情(診
断編)
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