北陵クリニック事件再審弁護団長の阿部泰雄さんと打ち合わせをしていた時のことです。懐かしい名前が出てきました。
「池田先生、この再審請求審の最大の特徴をご存じですか?」
「最大の特徴ですか?うーん、特徴がたくさんありすぎて、どれが最大なんだか、さっぱり見当がつきませんね」
「最大の特徴、それは御用学者が一人も出てこないことです」
「えーっ、だって阿部さん、質量分析と臨床診断の両面で、これだけでっち上げがはっきりしていれば、誰も出て来られるわけないですよ。御用学者が出て来ないのは特徴でも何でもない。検察官みたいな素人だからこそドクターGを藪医者呼ばわりできるんであって、仮にも医師免許を持っていれば、のこのこ出てきたら私に蜂の巣にされることぐらい、誰だってわかりますって」
「そう思うでしょ、ところがひどいもんですよ、他の冤罪事件では、必ず御用学者が出てきて、言いがかりをつけるんです。それが再審請求棄却の最大の根拠になるんです。元祖御用学者の古畑種基なんか、いくつ冤罪を作ったことか」
「やっぱり、有名なんですね。彼のことは」
「そりゃあ、もちろんですよ、法曹資格を持っている人間なら古畑の名前は誰でも知っていますよ。医学部でも習うでしょ、日本一有名な御用法医学者として」
「いやあ、私は学生時代、古畑の直弟子に法医学の講義を受けたものですから、彼の名前は“禁句”だったようで(苦笑)」
「ああ、直弟子だっただけに師匠の悪行の数々を知り抜いていたわけですね?」
「まあ、そういう見方もあるかと(再び苦笑)」
「それにしても古畑のことを教えない日本の医学教育って一体どうなっているんですか!?」
「自らの教育能力に謙虚な教授達が、学生達の独立自尊の姿勢を尊重しているんですよ。我々みたいな無能な教官など当てにせず、大切なことは自分で勉強しなさいってことで(我ながらうまい言い訳(?)を考えるものだと悦に入ったのも束の間)」
「さすが池田先生、医学部教授を経験しているだけあって、医学教育の実情もよくご存じですねえ」
(苦笑するだけでツッコミ返せず終了)
古畑種基(1891-1975)は、23年32歳の若さで金沢医科大学(旧制)法医学教授となり36年には東京大学教授、47年学士院会員、56年には文化勲章を受章した、日本で最も有名な法医学者です。しかし彼の死後、その輝かしい経歴は完全に暗転しました。77年弘前事件(那須事件)(確定判決53年、懲役15年)、84年財田川事件(確定判決57年、死刑)と松山事件(確定判決60年、死刑)、89年島田事件(確定判決60年、死刑)と、彼が鑑定を行った4つの殺人事件が、いずれも冤罪だったことが彼の死後にようやく認められたのです。
特に弘前事件の再審は非常に興味ある経過をたどりました。71年に真犯人が名乗り出て鑑定がでっち上げだったことが判明していたにもかかわらず、74年12月に仙台高裁刑事第一部は再審請求を棄却しました。ところがなんと同じ仙台高裁の刑事第二部が、わずか1年半後の76年7月に棄却決定を取消し、再審開始を決定、同年9月には再審開始、翌77年2月に再審終了という神速で無罪が確定しました。裁判所の冤罪の判断根拠は古畑鑑定の真偽ではな く、彼の没年だったのです。これほどまでに古畑の冤罪の関与は明確に示されているにもかかわらず、彼の威光はいまだに衰えを見せません、少しネットを検索しただけでも、古畑の薫陶を受けたお弟子さん達が、今でも冤罪事件の再審請求棄却のために活躍をしていることがわかります。以上の事実は全てネット上で複数のサイトで公開されており、独立自尊の姿勢を持っていらっしゃる方は、誰でもその真偽のほどを確認することができますが、誠に奇妙なことに、古畑のことは医学部では決して教えてもらえません。
政治家が恐れる大手メディアを走狗として使う。そしてその政治家を逮捕・起訴し、有罪にして刑務所に送り込む。検察は現代日本の最強国家権力です。メディアがその時代・その時の最強の国家権力の走狗となる実例は古今東西枚挙に暇がありませんが、医師や医学系研究者が最強国家権力の意向に従って「業績」を上げた事例も決して希ではありません。法医学者ばかりを糾弾していては公平とは言えませんので、ここでは私と同じ神経内科医で、ナチの民族浄化政策実行役を務めて得た「学術的に極めて高い評価」をゆえに戦後の追求を免れた事例を紹介します。
アカデミアの沈黙と医学教育
光は影を消してしまいます。古畑の冤罪への関与が今日まで封印されているのも、彼が血液型に関して世界的な業績を上げ、文化勲章までもらったことと決して無縁ではありません。さらに学会が長期間沈黙を守ってきたことも、日独両国に共通しています。戦後も大切に保存され続けていたHallervordenとSpatzの「研究資料」を、Max
Plank研究所が丁重に埋葬し犠牲者達を追悼したのが、惨劇開始から50年も経った90年、二人を含む学会泰斗達の名のもとに、ナチ政権下で行われた強制移住,強制断種,強制研究の被害、そして殺人に対し、ドイツ精神医学精神療法神経学会が謝罪したのは、それからさらに20年、70年もの沈黙の後でした2)。一方、49年に弘前事件が発生してから66年経った今日でも、古畑の冤罪への関与は医学部では決して教えてらえません。また、日本法医学会を始めとした関連学会のホームページにも、古畑の冤罪への関与については一切触れられていません。
77年に弘前事件の再審で古畑の鑑定がでっち上げだったことが判明した後、岩波書店は古畑の「法医学の話」を絶版にしてしまいました。私が大学2年の時です。幸い私は大学図書館で読むことができましたが、一般市民は古本でしか手に入れることができなくなってしまったのです。今でこそ古本をネットで安価に手に入れることができますが、だからといって、絶版という愚行の責任を岩波書店が免れるわけではありません。
「悪い奴の書いた本は絶版にする」それはユダヤ人の書いた本を焼いたナチの焚書坑儒そのもの、出版社の自殺行為です。私がナチの歴史を学ぶようになったのは、中学3年でゲッベルスの伝記を読んでからです。「わが闘争」が今でも世界中の誰でもが読めるようになっているのは、リテラシーは負の歴史を学んで初めて芽生えることを世界中の市民が知っているからです。国家権力が市民に対して是非とも忘れてもらいたいと願っている本を絶版に留めておくことは、市民への敵対行為に他なりません。裏を返せば「法医学の話」の復刻は、裁判に対する一般市民のリテラシー向上に大きく貢献するのです。そういう地道な努力を怠っている限り3)、自分達と国家権力との利益相反問題について、法医学者達は100年でも200年でも沈黙を保ち続け、御用学者達が専横を極める中世裁判が延々と繰り返されていくのです。
参考資料
1. Shimazawa R, Ikeda M. Conflicts of interest in
psychiatry: strategies to cultivate literacy in daily practice. Psychiatry Clin
Neurosci. 2014;68:489-97
2. 岩井一正 70年間の沈黙を破って ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN )2010年総会に おける謝罪表明
精神神経誌2011;113:782-96
3. 法的リテラシー