「空気」が生んだ薬害アビガン
PM. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Poison
Abe's arm-twisting of bureaucrats paved way for Avigan blunder. Nikkei Asia June 14, 2020
山本七平の予言
アビガンの裏口承認を無謀とする人びとにはすベて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準のはずだからである。(読み人知らず)
大和の出撃を無謀とする人びとにはすベて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束して
いる「何か」があるという証拠であって、その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準のはずだからである。(『山本七平「空気」の研究より』)
「空気」の研究の魅力
”「空気」の研究”を行う場合、必ずしも山本七平の著書を読む必要はない。なぜなら、研究対象になる事例は誰の周囲にも満ちあふれているからだ。では、なぜそれ程ありふれたことを研究する必要があるのか? 答えは簡単だ。ありふれたことだからこそ研究する意味がある。「空気」はありふれたことだから、我々の傍にもある。そして我々の日々の生活に影響する。そしてその影響が積もり積もって我々の人生を左右する。だから「空気」は決して他人事ではない。だからアビガン事件も(もちろんも北陵クリニック事件も)他人事ではない。
百害あって一利もなかった錠剤が「健康食品ブーム」以上の期待感を以て迎えられた。あらゆる思考停止の根源にある、この「空気」について、我々の当事者意識を呼び起こし絶好の研究対象を提供してくれるのがアビガン事件である。
時間・空間を超越する「空気」
戦艦大和の特攻は1945年、『「空気」の研究』の初版出版は1977年、そしてアビガン事件が起こったのは2020年である。山本七平ともあろう者がノストラダムスのようなイカサマ野郎であろうはずがない。大和特攻の75年後、『「空気」の研究』出版の43年後の2020年10月に作成された上記の盗作文は、彼が本物の予言者だったことの動かぬ証拠である。彼が研究対象とした「空気」は、時間も空間も超越する。しかも、如何なる変容も拒否したdeja vuとして。「空気」のこのような絶対的頑健性は一体全体何に由来するのか?そう考えると、必然的に大和とアビガンの特攻(裏口承認)に共通したスローガンに行き着く。それが「戦(いくさ)」である。
愚かな行いほど「空気」が決める
大和の特攻もアビガンの裏口承認も、どちらも典型的な愚行だった。特に我が国では、組織だった愚かな行いは全て「空気」が決める。決して特定の人間が決めるわけではない。大和の特攻にせよ、アビガンの裏口承認にせよ、そんな馬鹿げた行動の責任を誰が好んで負うものか。それが証拠に、我が国の歴史上最悪の愚行と言われる大東亜戦争の開戦を決めたのも「空気」だった。それは山本とは全く独立に猪瀬直樹が立証している。以下は『昭和16年夏の敗戦』からの抜粋である。
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第二章 イカロスたちの夏 (1982年8月15日に、企画院総裁として石油が3年は持つという数字を御前会議で出した鈴木貞一(当時93歳)を千葉県山武郡芝山町に訪ねての取材)
――十一月五日(池田注:昭和十六年、つまり1941年。この1ヶ月後に開戦となる)の御前会議の報告はどういう気持でしたか。
「僕は腹の中では、アメリカと戦争をやって勝てるとは思っていなかったから、とても憂鬱な気持ちで読み上げましたよ……。あの時はねえ、陸軍が戦争をやるといっていたが、実際にアメリカとやるのは海軍なんだ。海軍が決心しないとやれない、陸軍は自分でやるんじゃないから腹がいたまない、それで勝手なことをいっていたんです。海軍は自分がやるんだから、最終的な決断は海軍がすべきだったんだ。ところが海軍は、できないとはっきりいわんのだ」
(中略)
――企画院総裁の提出した数字は「やる」ためのつじつま合わせに使われたと思うが、その数字は「客観的」といえますか。
「客観的だよ。戦(いくさ)にならないように、と考えてデータを出したつもりだ」
――でも石油は南方進出した場合のみの「残る」と出ていたが・・・・。
「戦争を何年やるか、という問題なんだ。仕掛けた後は緒戦に勝利して、すぐに講話に持って行く。その戦はせいぜい一年か二年。そうすれば石油は多少残る、と踏んでいたんだ」
――しかし、三年間分の数字が提出された。
「・・・・・とにかく、僕は憂鬱だったんだよ。やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ」
――「やる」「やらん」ともめている時に、やる気がない人が、なぜ「やれる」という数字を出したのか。
「企画院総裁としては数字を出さなければならん」
――「客観的」でない数字でもか。
「企画院はただデータを出して、物的資源はこのような状態になっている、あとは陸海軍の判断に任す、というわけで、やったほうがいいとか、やらんほうがいいとかはいえない。みんなが判断できるようにデータを出しただけなんだ」
――質問の答えになっていないと思うが、そのデータに問題はなかったか、と訊いているのです。
「そう、そう、問題なんだよ。海軍は一年たてば石油がなくなるので戦はできなくなるが、いまのうちなら勝てる、とほのめかすんだな。だったらいまやるのも仕方ない、とみんなが思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せ、そいうわけなんだな」
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以下は同書の『巻末特別対談 日米開戦に見る日本人の「決める力」(文庫のための語り下ろし 2010年5月7日)』より
(この前段では、満州から拡大した帝国陸軍の支配地域が富を生まない不良債権化してしまっていたという猪瀬の説明がある。冒頭の勝間のコメントはそれを受けてのものである)
勝間:投資とリターンという発想では、とても語れなかったのですね。冷静な議論ではなく、そういう「空気」によって物事が決められていくのは恐ろしいことです。
猪瀬:ひとつにはテロが怖かったんです。
勝間:五・一五事件や二・二六事件ですか。
猪瀬:当時は今以上に格差問題が深刻で、富める財閥や、財閥と縁の深い重臣は怨嗟の的でした。五・一五事件で犬養毅首相を暗殺した青年将校は、国民から助命嘆願の声があがったため、死刑になっていません。そんな世論の中で、軍部の意向に逆らってまで、損得勘定で戦争を語れる空気ではなかった。総力戦研究所の模擬内閣が「日本は負ける」という結論を引き出せたのは、そういう「空気」の縛りがなかったからとも言えます。「総力戦研究所でも、実際に日米開戦を決めた大本営・政府連絡会議でも、いちばん問題となったのは石油です。
(中略)
勝間:ご本人も(注:鈴木貞一)、恣意的につくった数字であることをよくわかっていたんですね。
猪瀬:ただ、その数字を提出した自分が、開戦の最終責任者だとは思っていなかった。どんな数字を出そうが、すでに「開戦やむなし」の空気ができあがっている以上、仕方がなかったという認識だったんですね。
勝間:そのくだりを読んでいて、ミルグラムの実験を思い出しました(下記注)。一九六〇年代にアメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムが、「閉鎖的な環境において、人間は、権威者の指示にどのくらい服従するものか」をテーマに行った実験です。(中略)かなり強固な意思の持ち主でないと、オーソリティからの指示に対して「人道上の問題があるから」と拒否することはできない、という結論が出たわけです。
猪瀬:しかも鈴木元総裁の場合、命令されて間違った数字を捏造したわけじゃない。
勝間:ご本人にしてみれば、罪の意識は大きくないのでしょうね。
(後略)
(池田注:ミルグラム実験についての勝間のコメントに関しては、「私の内なるアイヒマン」も参照のこと)
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薬害アビガン裁判における「空気」の威力
かといって薬害アビガン裁判で「空気」が被告席に座るわけではもちろんない。座るのは人間と相場が決まっている。でも誰が座るかなんて、私にはどうでもいいことだ。誰一人として被告に味方する人間はいない。それどころかついこの間までは味方だと思っていた人々が、掌を返したように原告側に回る。ついこの間までアビガンヨイショ祭りの音頭を取っていた裸の王様を含め、官邸の政治家・経産官僚は全て逃亡した。アビガン祭りに嬉々として参加していた「ジャーナリスト」達も、いざ裁判となれば「よくも我々国民の皆様を騙したな」とばかり、一斉に「ヒト対象非臨床試験」に参加した今様アイヒマン達を猛攻撃する側に回る。「空気」を利用した者はこうして「空気」に利用される。それもまた、紛れもなき「空気」の威力である。
→アビガン薬害の元凶とは―能天気なお医者様達へー
→「アビガンは毒薬」を立証した「観察研究」
→アビガン事件:目次
→コロナのデマに飽きた人へ
→表紙