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『金匱要略』古版本の研究


(*本稿は修 士論文に一部修正を加えたものである)
04LM202G 野口大輔


要旨


 『金匱要略』は『傷寒論』とならび後漢の名医、張仲景の治療法を伝える古典として尊重されている。しかし、北宋代までに伝承された仲景の雑病に関 する書は節略写本『金匱玉函要略方』のみであった。北宋・治平三(一〇六六)年、林億ら宋臣はこの節略写本をもとに他書に散在する仲景の雑病に関する論説 と処方の佚文を補い再編集し、大字本『金匱要略』を出版した。その後、北宋末にも小字本の刊行形跡がある。これら北宋版『金匱要略』は現在に伝わらない が、現存する版本はすべてこの宋臣の校訂本に由来する。

 現伝する『金匱要略』の版本は何十種もあるが、すべて元明代の古版本、鄧珍本・無名氏本・兪橋本・徐鎔本・趙開美本の系統に基づいている。『金匱 要略』の研究に際し、その底本と参校本の選定が必要不可欠である。そこで本研究では、これら五種の古版本を比較・検討することにより、各古版本の特徴とそ の関係・価値を明らかにしてゆく。

 無名氏本は刊年・刊行者とも未詳であるが、明の正徳・嘉靖間(一五〇六~六六)頃の刊行と推定されている。一方、兪橋本は明・嘉靖年間(一五二二 ~六六)頃に兪橋が序を付して刊行したものである。無名氏本と兪橋本には共通する祖版(X本)の存在が推定されている。そこでX本の旧姿を探るべく無名氏 本・兪橋本を比較検討したところ、以下の知見が明らかになった。(一)X本には鄧珍本の版木摩耗で印刷不鮮明な字句を脱する例が見られ、鄧珍本の後印本を 底本としている。(二)X本には鄧珍本以外の版本を参照した形跡が見られない。(三)X本には鄧珍本を踏襲しなかった字句があり、多少の校訂が施されてい る。(四)X本には鄧珍本を踏襲しなかった処方名があるが、これは省略によるもので北宋祖版の旧態ではない。(五)以上より、X本の底本に鄧珍本より古い 版本は使用されていないと判断された。

 徐鎔本は徐鎔が明・万暦一三(一五八五)年に校訂し、万暦二六(一五九八)年に呉勉学が校刻したものである。徐鎔識語には「古本(旧本)」「新 本」の二種の版本によって校訂されたことが明記されている。そこでさらに検討したところ、以下の知見が明らかになった。(六)無名氏本の脱文等を踏襲して おり、無名氏本が底本の一つである。(七)鄧珍本と本文の書式・字句が類似している。(八)鄧珍本の改変や脱文を踏襲しており、徐鎔本の底本に鄧珍本より 古い版本は使用されていないと判断される。(九)以上より、徐鎔本の校訂に使用された「古本」は鄧珍本の先印本、「新本」は無名氏本であると推定される。 (一〇)徐鎔は校訂によって宋臣注の不備を訂正し、一部の脱文には『千金方』『傷寒論』などを校訂に利用している。したがって、当版は古版本というよりむ しろ校訂本としての性格が強いといえる。

 趙開美本は、明・万暦二七(一五九九)年に趙開美が『仲景全書』中に『傷寒論』『注解傷寒論』『傷寒類証』とともに編入し校刻したものである。趙 開美本について他の古版本と比較・検討したところ以下の知見が明らかになった。(一一)鄧珍序が付刻され、また鄧珍本と一致する字句も多い。したがって鄧 珍本の先印本ないし鄧珍本に基づく写本か刊本が底本の一つである。(一二)一部の箇所で無名氏本の脱文を踏襲しており、無名氏本も底本の一つになってい る。(一三)趙開美本は独自の見解に基づく校訂は少なく、体裁を整える程度のものが多い。(一四)鄧珍本の問題箇所を訂正しておらず、鄧珍本より古い版本 は使用されていない。

 以上より、現存古版本は鄧珍本、X本を祖版とするX本系版本(無名氏本・兪橋本)、鄧珍本系と無名氏本を校合した混合系版本(徐鎔本・趙開美本) の三種に分類され、また鄧珍本以外の古版本はすべて鄧珍本より派生していることが判明した。したがって、現行の『金匱要略』はすべて鄧珍本から派生してい ることがわかる。

そこで鄧珍本について検討したところ以下の知見が明らかになった。(一五)鄧珍本には北宋版から鄧珍本刊行に至る伝承過程で生じた訛誤がある。(一六)鄧 珍本刊行の際にも多少の改変が行われた。また北宋祖版そのものにも宋臣注などに不備があったと推測される。これらの箇所は他の古版本も踏襲しており、他の 古版本を校勘に使用するだけでは正しえず、北宋版『金匱要略』を引用する宋・金・元代の書を校勘資料とすることで若干補正しうるのみである。また北宋代に 刊行された他の医書との比較により、宋臣がいかなる校訂を行ったかを把握することも、『金匱要略』を含む宋臣の校訂を経た医書の旧姿を推知する上で重要で ある。(以上、四〇字×五〇行)


目次

緒言

 一 研究の目的
 二 研究の対象版本
 参考文献と注

第一章 無名氏本と兪橋本の研究Ⅰ―字句の検討―

 一 無名氏本と兪橋本について
 二 北宋版の旧態について
 三 X本の書式
 四 X本と鄧珍本の関係
 五 小結
参考文献と注

第二章 無名氏本と兪橋本の研究Ⅱ―処方名の検討―

 一 鄧珍本とX本における処方名の相違
 二 処方名の異同について
 三 「用後方」等について
 四 小結
 参考文献と注

第三章 徐鎔本の研究

 一 研究の目的
 二 徐鎔本の書式
 三 徐鎔本の底本について
 四 徐鎔の校訂とその特徴
 五 小結
 参考文献と注

第四章 趙開美本の研究

 一 研究の目的
 二 『仲景全書』の書誌―内閣文庫本と中医研究院本の比較―
 三 趙開美本の書式
 四 趙開美本の底本について
 五 趙開美の校訂とその特徴
 六 小結
 参考文献と注

第五章 現行本『金匱要略』の問題点

 一 現存古版本の関係
 二 鄧珍本の問題箇所
 三 宋・金・元代医書との比較
 四 小結
 参考文献と注

結論

付 『金匱要略』古版本校記



緒言

一 研究の目的

 『金匱要略』は『傷寒論』とならび後漢の名医、張仲景の治療法を伝える古典として尊重されている。『傷寒論』が傷寒という急性熱性病の治療を記載 するのに対し、『金匱要略』はそれ以外の雑病とその治療を論じている。『金匱要略』『傷寒論』の双方に収載される処方を相殺すれば、今日繁用される漢方処 方は『傷寒論』より『金匱要略』を出典とするものの方が多く、現代においても重要度の高い医学古典といえる。

 しかし本書は現代までに佚伝の危機を乗り越え、からくも伝えられた。『金匱要略』の宋臣序によれば、北宋代までに仲景の雑病治療を伝えた書は、節 略写本『金匱玉函要略方』のみであったという。そのため、宋臣は次の方法で北宋版『金匱要略』を校刊した。①『金匱玉函要略方』は傷寒・雑病・処方・婦人 病が記載されていたが、傷寒部分は既に校刊した『傷寒論』『金匱玉函経』に比べ節略が多いため削除した。②救急の便に供すため下巻にまとめられていた処方 を主治条文の後ろに配置した。③他書に散在する雑病の処方を補い各篇末に「附方」として載せた。

 こうして北宋・治平三(一〇六六)年、林億ら宋臣はこの節略写本を再編集した大字本『金匱要略』を出版した。その後、北宋末に小字本が刊行された 形跡があるが、これら北宋版『金匱要略』は現伝しない。しかし現存する版本はすべて①②③の形式で記載されており、宋臣による再構成を経て伝わったもので あることがわかる。

 現在において『金匱要略』は最重要医学古典の一つであり、『傷寒論』ほどでないにしろ、すでに多数の研究・注釈書が存在している。しかし、版本研 究の数はそれほど多くなく、未解決な問題も少なくない。近年、真柳・小曽戸によって現存最古の版本である鄧珍本が発見・報告された(1)。 この鄧珍本は現存最古版であると同時に最善本と目されており、この発見により版本研究のみならず文字・解釈の研究がさらに進展する可能性が広がった。これ ら『金匱要略』の研究には、底本と対校本の選定が必要不可欠である。しかしその後の版本研究は前掲の真柳・小曽戸によるものが唯一といってよく、鄧珍本と 他の版本との関係は十分には把握されていない。そこで本研究では、鄧珍本と他の古版本との関係を明らかにしたい。

二 研究の対象版本

 現行の『金匱要略』の版本は何十種もあるが、すべて以下に挙げる元明代の古版本の系統に基づいている(2)といわれてい る。

 [元・鄧珍本]

 元・鄧珍の刊行によるもので、後至元六(一三四〇)年の鄧珍序を付刻する。現存最古の版本である。本研究には北京大学蔵本の影印本(3)を 用いる。

 [明・無名氏本]

 刊行者が不明であるため本版を無名氏本と称す。江戸後期、多紀元簡らが校勘資料として用いていたが、その後行方不明となり、本版の現存が危ぶまれてい た。近年、真柳・小曽戸が本版を再発見して学会に報告している(4)。本研究には中国科学院図書館所蔵本(5)お よび台湾故宮博物院所蔵本(6)の複写を用いる。

 [明・兪橋本]

 明の兪橋が嘉靖年間頃に刊行したものである。『四部叢刊(初編)』に影印収録されているが、原本の所在は現在確認されていない。本研究では燎原書店によ る『四部叢刊』所収本の再影印本(7)を用いる。

 [明・徐鎔本]

 明・万暦一三(一五八五)年に徐鎔に校訂され、万暦二九(一六〇一)年に呉勉学輯『古今医統正脈全書』に編入刊行されたものである。本研究では『四部叢 刊(正編)』所収の影印本(8)を用いる。

 [明・趙開美本]

 明の趙開美が、万暦二七(一五九九)年に刊行した『仲景全書』中に編入したものである。この『仲景全書』は既に数種の版本が存在することが確認されてい る。本研究では内閣文庫所蔵本(9)および北京中国中医研究院所蔵本(10)の影印本を用いる。



 本研究ではこれら五つの現存古版本について、その関係・特徴を明らかにする。第一、二章では無名氏本と兪橋本に注目し、これらと鄧珍本との関係を 探る。無名氏本と兪橋本には相似した特徴があり、共通祖版から派生していると考えられているため、両版を比較して共通祖版の旧姿を明らかにしてゆく。

 第三、四章では徐鎔本、趙開美本の底本をそれぞれ明らかにする。さらに両版は校訂本としての性格が強いため、校訂の特徴についても言及する。

 なお本稿は原則として旧漢字は常用漢字に改め、異体字は保存した。人名への敬称はすべて省略した。また『金匱要略』は『金匱』と略した。ただし書 名を正確に明示する必要がある場合はこの限りでない。『金匱』の引用はその版本の葉次をもって示す。例えば上七bは巻上第七葉ウラ、下一一a一〇は巻下第 一一葉オモテの第一〇行をあらわす。本稿は毎頁四〇字×三〇行の一二〇〇字で印字する。

参考文献と注

(1)    真柳誠・小曽戸洋「『金匱要略』の文献学的研究・第一報―元・鄧珍刊本『新編金匱方論』」、『日本医史学雑誌』三四巻三号、四一四~四三〇頁、一九八八。

(2)    小曽戸洋『中国医学古典と日本』、三〇六頁、塙書房、東京、一九九六。

(3)    『〔元鄧珍本〕金匱要略』、燎原書店、東京、一九八八。

(4)    真柳誠・小曽戸洋「『金匱要略』の文献学的研究・第二報―明・無名氏刊『新編金匱要略方論』とその版本系統」『日本医史学雑誌』三五巻四号、四〇八~四二 九頁、一九八九。

(5)    北京・中国科学院図書館、子四五二・○○八号。

(6)    台北・故宮博物院、故観〇三四四二・〇三四四三。

(7)    『〔明刊影印〕金匱要略』、燎原書店、東京、一九七三。

(8)    『四部叢刊(正編)』、商務印書館、上海、一九三五。

(9)    『〔仲景全書〕金匱要略方論』、日本漢方協会、東京、一九八五。

(10)    『仲景全書』、中医古籍出版社、北京、一九九七。