インフルエザと予防

H17.9/2

超過死亡数"excess deaths or mortality "でみる限り、抗インフルエンザ薬のリレンザやタミフルが使用できる前も後も日本の死亡者数は少なくて済んでいた。それでも、要介護者265万人、介護病棟に入所している人口が75万人強と、弱者が増えれば抵抗力が落ちた分だけ、肺炎の死亡者も増える。

3万6千人が全米でインフルエンザで死亡

米国の衛生機関 CDCのインフルエンザのページ 

日本は15,000~1,000名

日本は1999/2000シーズンは13,846人、 2000/01シーズン913人、 2001/02シーズン1,078人、 2002/03シーズン11,215人、2003/04シーズン2,400人、2004/05シーズン15,100人
IASRによる日本の統計グラフで見る。
死亡統計としては直接死因だけを拾うので多くて1400名少なくて100-200名(人口動態統計)(社会実情データベースグラフ
§04/05シーズンは超過死亡は15,100名であった。高齢者のワクチン接種は47%と推計されている。流行規模1770万人に比して死亡数は少なくて済み、以前200例から報告された小児の脳症は03/04シーズン99例、04/05シーズン51例と限局されていた。これは、一つは04/04シーズンの主体はB型であってAH3型が半分で済んだ事にも拠ると思われる。

ドイツでは6900 -13600 名

Emerg Themes Epidemiol. 2005 Jun 21;2:6

英国は保健統計がイングランドとウェールズでスコットランドと北アイルランドは除外

イングランド+ウェールズでは1999/2000シーズンは17,359人、 2000/01シーズン検出限度以下、 2001/02シーズン4,626人、 2002/03シーズン4,015人、2003/04シーズン2,012人
イングランドとウェールズでは65歳以上の816万人中579万人(71%)がワクチン接種を受けたとされる。小児は勧奨されておらず、小児の死亡者は03/04シーズンで二十四名とされている。

http://www.hpa.org.uk/cdr/archives/2004/flu2003_4.pdf
flu2004_5.pdf

人口動態統計

H17年のインフルエンザに伴う超過死亡数は出ていないが(下記に追記)、初めて人口が減少に転じたくらい、3月のインフルエンザを含む肺炎の流行は激越であった。
定点あたりの流行の規模:もう流行が終わったから、検査キットの仕入れを止めようかと思った矢先に3月に入りH3型のinfuruenza AとBが流行った。
感染研のHP http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/01flu.html

例年死亡者数は、1月がピークで2月、3月の進むにつれて下がるのに、3月がピクンと跳ね上がっている。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/sokuhou/m2005/06.html 2005年上半期
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/m2005/03.html 2005年3月
インフルエンザと特定はしていないが肺炎ではH17年3月12,714名に対してH16年3月8,885名と43%増。全体でも17%増であった。

 インフルエンザウイルスワクチン接種1回の接種で米国の統計だと300名打つと1名の死亡が防止できる。それ以外にも肺炎球菌ワクチン(ニューモバックスなど)も推奨される。日本では99年のシーズンで死亡者が突出したので老人にインフルエンザウイルスワクチンの接種への補助がでるようになった。ただし白血球型HLA-DRによってはワクチン接種でも抗体の出来ない人がいる。

副作用の報告として末梢神経麻痺(ギランバレー症候群)や中枢神経麻痺(急性散在性脳脊髄炎)などがある。金田議員の質問主意書に副作用例が列挙してある。
99年や02年をみるとワクチンの副作用も許容範囲かもしれないとおもわれる一方で、02年や04年のシーズンは打っても過剰死亡が減っていないのではと後ろ指が刺されてしまう。しかも、タミフルやリレンザを使ってもである。
脳症のワクチン接種者率は発症児24%に対して非発症児28%と差はない。脳症の発症数は減っているが、脳症を特に起こし易いA香港型の流行規模をワクチンで抑制しているために脳症が減っているという見解が示されている。[ワクチン接種に関する審議会第五回目]


[追記2009-08-20]米国とカナダでの春から夏までの経験によると、死亡率は0.5%ではないかとされているメキシコ風邪(swine flu)。
昭和32年春からアジア風邪があり、夏までの第一波と冬の第二波が日本にも来たが、死亡者は第1波の1695人に対し、第2波は5593人であった[47news 2009-07-07]。
この時の死亡率が0.5%くらい、と、されている。昭和30年代の年間死亡者数では、67~72万人のところ、昭和32年だけは752,445人死亡し、5万人程も死者数が多かった。
当時は十分な抗生剤がなく、黄色ブドウ球菌による二次性細菌性肺炎による死者がおおかったとされるが、団塊の世代が小学生だった一方で、高齢者は少なく、今の65歳以上24%という惨状とは医療事情は大きく異なっている。人工透析がない分、ハイリスク患者が生き残れなかった頃の話であるので、ハイリスク群が多い分、死者は多くなると推察される。


   


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