土橋鑑定への自爆テロ
ー「m/z258はあります」!?ー
要約:「STAP細胞はあります!」って記者会見で雌叫びを上げた方は、落書きと評価された実験ノートを
公開したことで自爆した、つまり捏造と認定された。この「失敗」から「学んだ」検察官は名案を考えた。「m/z258はあります!」と法廷で証言した土橋
が行った鑑定が絶対に捏造ではないと「立証する」ために、「実験データなんて、俺の知ったことか。実験ノートが提出できない鑑定(*)のどこが捏造なんだ!言い
掛かりもいい加減にしてもらおうじゃねえか」と検察官意見書で雄叫びを上げたのである。
*「実験ノートは,実験者が実際にその実験を行ったことを示す唯一の物的証拠となるものです」.(野島高彦 実験ノートには何を記録するのか?)
はじめに:「土橋鑑定は捏造に決まってるじゃないですか。だって生データを一切出せないんですから」。2010年1月に阿部泰雄弁護団長から手紙をもらって北陵クリニック事件に関わることになり、診療録と裁判資料を読み込んで臨んだ最初の面談の席上だった。「えっ、診断だけじゃなくて、鑑定も捏造だったんですか?」「そうですよ。橋本は診断を捏造したんじゃなくて、土橋に騙されただけですよ」「まあ、橋本はさすがにベクロニウム中毒ではないとわかっていながら診断を捏造した確信犯だったと思いますけど。でも、生データが出てないって・・・ そんな・・仮にも鑑定でしょ・・」「そうでしょう。誰でも驚きますよ。でもそれが日本の裁判の現実なんですよ」
→土橋鑑定の全貌
「実験データがない=即座に捏造と認定」ってことも知らなかった検察官
今や最高裁判所でさえ,「科学的証拠を,科学としての到達点と証拠としての適性を見極めた上で,刑事裁判に正しく採り入れて適正な事実認定をしていく」と宣言している.にもかかわらず,岩崎検事はたかだか20ページのパンフレットさえ読もうとしなかった.このように科学リテラシーの欠如した検察官,裁判官は,極めて普遍的な存在である.検察官・裁判官を対象にした科学教育プログラムはいまだどこにも存在しない.科学教育同様,彼らに対する職業倫理教育も存在しない.科学も倫理も知らなければ,科学研究倫理は理解できない.研究倫理が理解できなければ実験ノートの必要性を理解できるわけがない.かくして土橋鑑定のような捏造が象徴する研究不正に対する,彼らの感度の閾値は無限大となる。
事態をここまで深刻にした責任を個人あるいは特定の組織に帰することには何の意味も無い.検察官,裁判官に対する教育の欠如,より包括的,そして本質的な表現をすれば,法と科学の対話の
欠如は,科学が生まれた時から始まった.我々が明確に意識できるのは,コペルニクスの事例だろうか.しかし,500年あるいはそれ以上にわたって,法と科
学の対話の欠如が続いているからといって,その欠如から生じる,今,我々の目の前にある問題を放置してもいいということには決してならない.少なくとも私
の場合,私に対する藪医者呼ばわりは別としても,適切な診療を受けられずに,今日も突然死の恐怖の中に放置されている神経難病の患者さんを放置するわけにはいかないのだ.
実験データだと?そんなもん,俺の知ったことか
北陵クリニック事件再審弁護団は、本年4月21日,裁判所に提出した意見書の中で、新証拠に基づき土橋鑑定が捏造であることを明らかにしている。しかしそれは今回が初めてではない。弁護団は2001年7月11日の一審初公判から、土橋鑑定は捏造以外の何物でもないと16年にわたって言い続けている。その理由は簡単だ。実験ノートが提出できないからだ。小保方晴子でさえ,(その内容は別として)実験ノートを提出したというのに。
ないないづくしの三点セット: 鑑定は個人の尊厳・人生・命を左右する.それゆえ鑑定には一般の科学研究以上に厳密な科学的妥当性が求められる.科学研究は実験データが命である.それゆえ,実験データなんぞ知ったことかと公文書である検察官意見書で宣言することは,土橋鑑定が捏造であることを宣言することに他ならない.弁護団だけでなく,検察官の自爆テロによっても土橋鑑定は捏造と認定されたのである.(正確に言えば,1)実験データを提出していない& 2)鑑定資料を全量消費=再現性を喪失させ& 3)鑑定資料受渡簿も提出しないの,ないない尽くしの三つ揃い捏造鑑定の張本人は土橋氏自身なので,自爆テロというより,「心中」という表現の方が正確なのだが)
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なお,弁護人が開示を求める上記実験データ一切については,土橋鑑定終了後も,大阪府警科学捜査研究所において保管していたところ,確定審第一審における土橋吏員の証人尋問の際,弁護人の求めに応じる形で,確定審裁判所に持ち込まれ,これに基づいて土橋吏員が証言をしたのであり,その際,必要に応じて弁護人も それを見ていたと認められる(確定審記録1876,1904〜1906丁等)上,当該実験データについては,その後間研究所に戻されたことから,検察官の手持ち証拠には存在しない.
当該実験データについては,同研究所が,宮城県警察から嘱託を受け,第三者機関として鑑定を実施するに当たり,必要に応じて同研究所が自らの判断と責任の下で作成等した ものであり(その意味で,民間の研究機関に鑑定を嘱託した場合に当該機関が作成等したデータ類と異ならない),土橋吏員らは司法警察員ではなく,本件事件の捜査に従事したものでもないから,これら実験データについては,刑事訴訟法246 条によって検察官に送致しなければならないものでもない。
同研究所が当該実験データを現在も保管しているか否かは確認が取れていないが,上記の通り,志田意見書等に証拠の明白性がないことが明らかとなっている上,既に確定審における証人尋問の際に使用されていることにも照らせばこれについて証拠開示の必要がないことは明白であるから,その存否を改めて確認するまでもないと思料する。
5 結語
以上詳述したとおり,弁護人が再審請求原審において提出した各証拠には新規性または明白性がなく,再審請求を棄却した原決定の結論に誤りはないから, 本件即時抗告は棄却されるべきものと思料する。(仙台高等検察庁 検事 岩崎吉明 平成26年(く)第24号 再審請求棄却決定に対する即時抗告事件意見書 平成29年4月28日 P68)
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→岩崎意見書(志田鑑定に対する意見の部分)
注:ご存じと思うが,検察官意見書は判決と同じく公文書である.だからすべからく市民に公開されなくてならない.岩崎検事はその公文書で,実験ノートも研究倫理も俺様の知ったことかと正に公言しているのである.同様に検察官意見書で藪医者呼ばわりされた本人が言っているのだから間違いない.
→実験ノートには何を記録するのか?
→科学捜査と研究不正
→土橋鑑定は土橋自身によって否定されていた
→法的リテラシー