トンデモ医事裁判の被災者に学ぶ
ー震災・津波・そして災害としてのトンデモ医事裁判と法的リテラシーー

全ての医事裁判がトンデモになる三重構造
1)そもそも業務上過失では医療事故の真相究明などできない
現代の医療における事故とその原因究明がどんなに複雑かは→こちらをお読みください。 と言っても、複雑すぎて読みたくないですよね。
現代の医療は、医師、看護師だけでなく、薬剤師、臨床検査技師、放射線技師といった複数の職種の人々の貢献があって初めて成り立ちます。そして看 護師だけでも、一人の患者に一日何人もが交代で関わります。さらに人間だけでなく、点滴ルート、ボトルから始まって、数々の臨床検査機器、画像機 器、放射線治療機器、透析機器、人工心肺・・・・現代医療における事故はシステムエラーとヒューマンエラーが複雑に絡み合って生じており、一つの 医療事故の「責任」が100%一人の医師の過失に帰せられることなど、全く不可能な構造になっています。業務上過失はあくまで個人を対象としま す。会社や病院や診療科を業務上過失に問うことはできないのです。
2)脈の取り方一つ知らない警察官・検察官が書く「自白調書」は、でっち上げにならざるを得ない
警察官や検察官が、自白調書を作るためには当然一次資料である診療録を読み込む必要があるが、それは旧約聖書の注釈書を作るよりも難しい という か、不可能な作業だ。なぜなら、警察官も、検察官も(そして裁判官)も、旧約聖書は読むことはできるが、診療録は、何が書いてあるかわからない、 つまり読めない。読めもしない診療録から自白調書を作成しようとすれば、でっち上げにならざるを得ない。そりゃ、こういう時代になっても、検察側 に立つ奇特な「正義感」を持つ医者はいるだろう。その医者が検察側に「助言」することもあるだろう。しかし、その助言は常にいかがわしいものにな らざるを得ない。少なくとも業務上過失で被告人となった医者には絶対に敵わない。理由は簡単だ。検察側の医者は患者を診てないから。
教室の症例検討会での教授の批判に対して、「実際に受け持ってもしねえのに、勝手なこと言いやがって。いい気なもんだぜ」と思ったことが一度もな い医者などいない。担当医というのはそれだけ絶対的な自信を持っている。ましてや肩書きだけは教授でも、どこぞの馬の骨ともわからない医者が野次 馬気取りで診療録を読んだって何もわかるわけがない。肺炎を尿毒症性肺水腫と誤診するとまでは行かなくても、検察のご依頼に沿うように適当にお茶 を濁したコメントで誤魔化すのが関の山だ。それでも、検察官には例によって「××先生はお前のような藪医者の嘘をお見通しだぞ」と被告人を恫喝す るだろう。そんな素人の恫喝を素直に受け入れて冤罪作りの共犯者となるのか、それとも、××先生の意見書を「検察に媚びへつらう犬の遠吠え」と思 うかは、それこそあなたの法的リテラシー次第だ。
3)家庭医学書の知識どころか肋骨の本数も知らない裁判官が判決文を書く
どの裁判官も非常に多くの案件を抱えています。資料を家に持って帰ってサービス残業の毎日です。たとえ医事裁判を担当することになっても、そんな 生活を送っている裁判官には、家庭医学書の目次に目を通す暇さえありません。もちろん裁判官は医学教育を受けていませんから肋骨の本数さえ知りま せん。本当のことを知らない人間はどんなひどい嘘をつかれても、それが嘘だと見抜けません。つまり、右側には肝臓があるから、その保護のために左 より1本多く13本肋骨があると検察官が説明すれば、その話をそのまま信じてしまうのです。有罪率99%とは、このようにな裁判官のリテラシーに よって支えられてきた数字なのです。

法的リテラシーの必要性
法的リテラシーがあなたにとってなぜ必要なのか?それはもちろんあなた を,そしてあなたの大切な家族や仲間を救うからだ.そしてあなたはお金よりも大切なことは何かを知っているからだ.よく言わ れるように,誰でも,どんなに安全運転していても,交通事故に巻き込まれる可能性があるのと同じように,どんなに腕のいい医者でも,医療事故に巻 き込まれる可能性がある.その可能性を考えて,ほとんどの臨床医は医賠責に加入している.もちろんそれと同じ意味で臨床医たるもの法的リテラシーを磨いておく必要がある.しかし,法的リテラシーの意義は保険よ りもはるかに深く,大きいので,医賠責の喩えでは説明しきれない部分も多い.医賠責で説明できるのは金の部分だけだ。法的リテラシーの意義は金と は全く別のところにある。

トンデモ医事裁判の被災者に学ぶ法的リテラシー
再び国内で大災害が起こった時,あなたが被災地に入ることを考えるとしたら,それは何故だろうか.「被災者を助けたいから」だろうか?確かにそれ は理由の一つにはなるかもしれない.しかし,本当に助けられるかどうかはひどく怪しいことは,被災地に入った人間なら誰しも知っている.

十分な食料とテントを持ち,被災地で自活できる体制を整えていったとしても,途絶された道路をどうやって迂回するかもわからず、無駄に走り回った 挙げ句、車のガソリンが足りなくなるかもしれない.そこで、「自分は”人助け”に来た偉いお医者さんなのだから、貴重なガソリンを分けてもらえる 権利がある」と、あなたは被災者に向かって堂々と宣言できるのだろうか?そもそも自分の排泄物の処理からして被災者の手を煩わせなくてはならな い.そもそも職場で自分が抜ける穴を誰かにカバーしてもらわねばならない.何が人助けだ.聞いて呆れ る.まともな感受性を持った人は,実際に被災地に入ってそう感じたはずだ.

あなたが再び国内で大災害が起こった時,被災地に入ることを考えるのは「人助けをしたい」からではない.被災地で学ぶ,被災者に学ぶためだ.研修 なのだ.だから職場で上司に同僚に頭を下げて留守を頼み,出かけなくてはならないのだ.そうやって被災地に入り,自分の排泄物一つ被災者にお世話 にならな ければ生活していけない無力な自分を知り,「人助け」は独りよがりだったと思い知る。そういう「研修」は実際に被災地に入らないと絶対 にできない。

そうやって学んだことを自分で独占するのではなく、家族や友人や職場の仲間と共有し、お互いに、より不幸のリスクを低減し、相対的に幸せになる可 能性を高めていく。そして次回、大災害が起こったときは、より効率的に被災地で学べるように、被災者の手を患わせ、足手まといになるリスクをより 低く準備をした上で、また研修に出かけていけば、今度は何とか支援・援助らしきものができるだろう。

トンデモ医事裁判事例検討の意義
トンデモ医事裁判は今日も日本のどこかで行われていることを考えれば、あなたが大地震や大津波の被災者になる可能性とトンデモ医事裁判に関わる可 能性のどちらが高いかを説明する必要はないだろう。しかし、可能性が高い事例ほど、学ぶ優先順位が高いわけではない。自分が実際に当事者になる可 能性の低い事例にこそ、その当事者から真摯に学び、そしてその学んだことを仲間と共有して、お互いに幸せになっていく。そういう普遍的な学び・成 長・相互扶助の仕組みが大災害とトンデモ医事裁判で共通している。そのことが認識できれば、北 陵クリニック事件の当事者から学ぶ必要性もすんなりと理解できるだろう。

トンデモ医事裁判の被災者は被告(人)だけではない。多数の被災者が出る。たとえば、北陵ク リニック事件では、誤診された患者さんやその家族の人権が蹂躙されたままだ。警察・検察・裁判所・東北大学医学部の信用も失墜した。 国家権力に媚びを売るメディアの体質も露見した。彼らの立場は様々だが、トンデモ医事裁判という大災害の被災者という面では共通している。さらに やっかいなのは、地震や津波と違って、守大助氏が刑務所に入っている限り、北陵クリニック事 件の被災者の数も個人の被害の程度もますます拡大するばかりだ。

阿部泰雄弁護団長を含めた弁護団や私の活動は、その被害の拡大を防ぐために行っている。決して検察や裁判所の信用を失墜させるために行ったいるの ではなく、むしろ逆に彼らの「再犯」を防ぐために、北 陵クリニック事件という、典型的な失敗事例の検討を、何年もかけて詳細に行っているが、これはトンデモ医事裁判の被災者である警察・ 検察・裁判所のためでもある。検察OBで検察を愛する郷原信郎さんが、検察の再生を願って検察批判活動を展開しているのと全く同じように、私も検 察・裁判所の再生を願っているからこそ、国の基準に従ってミトコンドリア病を診断した神経内科医を藪医者呼ばわりするような馬鹿げた真似は即刻止 めるよう、強く警告を発している。

トンデモ医事裁判という風土病
トンデモ医事裁判被災者の貴重な経験に学び、法的リテラシーを身につけることは、あなた自身のためだけではない。トンデモ医事裁判の被害は広範囲 に及ぶ。あなたが直接の当事者になった場合は言うまでも無く、あなた自身が事故現場にいなくても、あなたの仲間が巻き込まれたら、あなたの家族、 あなたの友人,あなたの仲間、あなたの地域の人々・・・トンデモ医事裁判の恐ろしさは、地震や津波のように発生時に一瞬にして被害の大きさが見え る形で規定されるわけではな い点だ。中世水準のトンデモ医事裁判は、長期に渡って、多くの有為な医療者の生活を、人生を、蝕んでいく風土病であり、脈の取り方一つ知らずに医療者を断 罪する人々はその風土病の病原体である。

インフルエンザに対してさえ予防接種を怠らないあなたが、法的リテラシーに 対して全く無頓着でいられるはずがない。今まで無頓着ようなふりをしていたのは、忙しい毎日の中で、わかりやすい教材がなかったからだ。しかしも う大丈夫。私がとってもわかりやすい教材の数々を用意しましたから。

ここまで読んできて,警察・検察・裁判所が,東京電力と同じような重要な公的インフラに見えてきたら,それは素敵な成長の一里塚と言えましょう. それがわかれば,株式会社である東京電力と違って,警察官・検察官・裁判官はすべて公務員であること,それゆえ彼らの仕事は市民を恫喝することで はなく,市民の幸せのために市民に奉仕することである。そのことが理解できるようになるでしょう。

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一般市民としての医師と法