騙される検事
「相撲は負けて覚えるもの。勝って覚える相撲はどこにもない」(朝青龍明徳)
「悪いやつを一人残らずやっつけてやりたい」という動機で検事の道を選び検事総長にまで上り詰めた伊藤榮樹(しげき)の著書『だまされる検事 立花書房』に、伊藤がだまされた事例として取り上げられているのは,彼が検事任官の初日に,窃盗犯の妻と称する女性の泣き落としにだまされたという他愛もない話がたった一つ載っているだけで,後は全て彼の手柄話,自慢話ばかりです.
ところが彼が検事になった年には弘前事件(1949年、再審無罪77年)、以後、財田川事件(1950年、同84年)、松山事件(1955年、同84年)、島田事件(1954年、同89年)と、四大死刑冤罪事件が全て起こっています。
さらに88年に彼が亡くなる前に3件で再審無罪が確定しており、残りの島田事件も86年の時点ですでに抗告審の東京高裁は再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻していました。どんな失敗も絶対に認めない、典型的な検事魂を持っていたからこそ、検事総長まで上り詰めることができたのかもしれません。
「引き返す勇気なんて言う腰抜け野郎には検事の資格はない」と、あの世から叱責の声が聞こえてくるようです。当のご本人は検事総長までに上り詰めるお手柄となったロッキード事件で、偉いお医者様にまんまと騙されていた大失態も知らずにこの世を去っています。
では、なぜ検事総長まで上り詰めた秋霜烈日検事さんともあろうお方がたかが一人の脳神経外科医にだまされてしまったのか?それは不思議なことでも何でもありません。検事という職業は「騙されたい」という欲望をむき出しにして仕事をしているからです。その強烈な欲望にほだされて、嘘だと知りつつ、それほどまでに言うのなら(あるいは拷問するのなら)と、自分の職業はもちろん、命や人生を投げ打って、様々な人が検事の欲望に迎合します。
無実の被疑者は「俺を騙せ」という検事の強烈な欲望に普通は抵抗します。「嘘を言ってはいけない」と幼い頃から教えられているからです。正義の味方は無実の人間を罪に陥れるようなことは決してしないと信じているからです。しかし、検事はそんな「常識」が通用する相手ではありません。検事の目の前に現れるのは、ほとんどの場合、本物の犯罪者です。だから、確率から言って今日も目の前にいるのは、本物の犯罪者である可能性が「極めて」高いわけです。検事は医師と同じように忙しいから、忙しい医師が乱診乱療するのと同じように、本当は無実の被疑者に対しても、本物の犯罪者と同じように接する。否認すればするほど検事魂が刺激されて、何としても自白させようとする。それがたとえ嘘でもいいから。
不眠不休で食事もろくろく取らせない取り調べを続けて、拘禁反応状態に追い込み、思考能力を奪えってしまえば、こっちのもの。無実の被疑者も「俺を騙せ」という検事の欲望に負けて、「嘘を言ってはいけない」との親の教えも引き裂いて「自白する」。これが一般によく知られている冤罪シナリオ作成の手口です。
しかし、それだけでは有罪を立証できません。必ず物的証拠が必要とされる。その時に検事の期待に応えてくれるのが、似非科学捜査であり、似非医学なのです。
→失敗から学ぶ文化 vs 引き返す勇気
→法的リテラシーとは?