失敗否認型認知症 DDM: Dementia with Denials of Misconduct

人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇 (チャールズ・チャップリン)

DDMとは?
失敗否認型認知症 DDM: Dementia with Denials of Misconductとは、失敗の中でも特に自分がやらかす失敗に特異的な認知障害 and/or 記銘力障害を基礎として、失敗否認を主張とする特異な認知症である。DDMは,以下の特徴的な症状から,容易に診断できる。

1.主訴は「私、失敗しないので」。ただし、この主訴は本人にとってはあまりにも当然なために、音声言語として表出されるよりも,行動として暴走しまくる方が目立つ。
2.過去の失敗場面・状況に対する強い拒絶反応。失敗の記憶は完全に欠落するわけではなく,大脳皮質レベルに留められないだけで,辺縁系に埋没する.つまり失敗の記憶が意識下に埋め込まれる結果, 自分がかつてとんでもないへまをやらかした場面では,過去の記憶を想起する代わりに「いたしません」という奇妙な日本語に象徴される拒絶反応や完全黙秘が見られる.
3.他者の失敗には健常人以上に敏感なくせに,自分の失敗だけを徹底して否認する。
4.病識はもちろん完全に欠落している

さらに、DDMは以下に述べるような様々な二次障害により、職場や地域社会に多大な損害を与える
1.自分の失敗を否認することにより、自分は人間ではなく神であると信 じる妄想性障害
2.失敗から学べない学習障害
3.失敗の証拠を突きつけられた際の言い訳としての作話。つまり平気で嘘をつく。
4.他人の失敗に対しては健常人以上に敏感で、自分の失敗に基づく好ましくない結果の原因を全て他人に押しつ ける責任転嫁。
5.周囲の協力のおかげで得られたわずかな成功体験を全て自分の手柄であるかのように吹聴する、ほら吹き男爵症候群(*)
*ミュンヒハウゼン症候群と区別するため、あえて「ほら吹き男爵症候群」とした。なお、この症状は男性に特異的に出現するわけではない。

DDM患者組織とは?
DDMによる問題行動は結果的に極めて反社会的な性格を帯びるため,同様に反社会的行動が目立つ前頭側頭型認知症(FTD)と混同する向きもあるかもしれないが,DDMは発症年齢がFTDよりもさらに若いこと,上記のような特異な二次障害を伴う点で極めて容易に鑑別できる.ただし、病識が完全に欠落しているため、本人は決して医療機関を受診しない。それどころか、他の認知症と異なり,就労可能年齢層を冒し,身体機能は保たれるので,その問題行動の破壊力は他の認知症よりもはるかに凄まじい。しかし大手メディア各社は検察、裁判所といったDDM患者組織による被害に対して、厳しい報道管制を敷いてきた。というのは大手メディアにとって、検察、裁判所といった司法機関の国家公務員から成るDDM患者組織は、無料でコンテンツを提供してくれる大切なお得意様だからだ。大手メディアと検察・裁判所は、ともに自らの収益や無謬性信仰を守るため、一般市民の法的リテラシーを中世レベルにとどめておく愚民報道を、戦前から今日まで徹底して継続してきた。

検察・裁判所及び関連する学会では、DDMが職業習慣病となってしまっている。彼らのDDMの根底には、「失敗を認めたら職業生命が絶たれる」という個人レベルと、「無謬性信仰が破られれば組織が崩壊する」という組織レベルの両方で、非常に強い失敗恐怖(atychiphobia)がある。それもこれも、彼らが紛れもない正義の味方でありDDM患者などとは夢にも思っていない、そんな純朴な(つまり法的リテラシーのかけらもない)国民の皆様のご期待を裏切ったら大変なことになる、そう思っているからである。そして現代も冤罪が多発させて実際に国民の皆様を裏切っているから、近い将来きっと大変なことになる、だから一部の定年間近の人を除いて、いつ泥舟から逃げだそうか、そう思っているからである。

DDMを負った医師がコメディ番組に?
一般市民へのDDMの啓蒙という意味で、最近テレビで放送されたDDM患者を主人公としたコメディは注目に値する。このコメディは、典型的な主訴を隠そうともしない最重度DDMを負った主人公が、フリーランスのスーパー能天気外科医となって,どこの職場でも常にスーパーな損害を与える筋立てになっている。このコメディが、「総合診療医ドクターG」なんぞ足下にも及ばない高視聴率をたたき出したことから,一般市民の間でもDDMの存在とそれによる被害が広く知られるようになった。

病を負った医師が活躍するテレビドラマはDDMが最初ではない。かつてはニコチン依存症を負った医師が頻繁に登場するドラマに対して、日本禁煙学会が繰り返し抗議した。しかし、タバコの規制に関する世界保健機関枠組条約(FCTC)が2007年に発効したこともあって、医師の喫煙場面はもはやTV番組では見かけなくなった(*)一方、件のコメディでは、DDMを負った外科医に対して、医師の間から”医師を冒涜するものだ”との抗議の声は一切上がって来ない。これは医師の間でDDMの認知度が低いからではない。全く逆に、DDMの怖さを,医師達は骨身に染みて分かっている。
禁煙学会誌 2011;6:16-20:この論文には医師がタバコを吸う場面が出てくる番組(救命病棟24時)のスポンサーがJTだった利益相反問題が記載されている。

臨床研修病院はマッチングで採用する研修医を評価するに当たって、DDMの重症度を見極めようとする。DDMは医療事故の重大なリスクとなるからだ.それだけではない。DDM患者は職場で重大なストレス源となって,受動喫煙同様に他の医療者の命も縮める.このような理由により,DDMを放置したままでは、スーパー外科医どころか研修医として採用してもらえない。そんな現実を医師ならば誰もが知っているために、医師ならば誰でも、件のテレビ番組も(局の意向とは全く別に)コメディ仕立ての市民向け教育番組として捉えることができる。市民に対してDDMを負った医師の怖さを父権主義的に喧伝するのではなく,「私,失敗しないので」と公言するヒロインを,ミスタービーンならぬドクタービーンとして捉える。医者を徹底的に笑い者にするこのコメディを通して、それだけのリテラシーを自分たちで獲得してもらいたい。医師は市民にそう願っているがゆえに、敢えて番組内容を非難しない。

ロングショットで見れば悲劇以外の何物でもないのに、クローズアップで見ると、正義の味方気取りの人々による、とんでもないしくじりの数々、正にDDM患者集団による喜劇の連続。それが北陵クリニック事件の本質である。私はテレビジョンの受像器を持っていないので、実は件のコメディは見たことがないのだが、あたかも番組の大ファンであるかのごとく推測を書き連ねることができるのも、北陵クリニック事件に関わっていればこそである。

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