私が検察官の医学教育を始めた理由

日経メディカルオンライン 2016年9月掲載

検察官に対する医学教育の必要性
血友病HIV問題では「殺人鬼 安部英」、北陵クリニック事件では「毒殺魔 守大助」、ディオバン事件では「誇大広告」、そして今度は「わいせつ外科医」。こういった「愚か者には見えない立派な服」の数々に、検察官達は幾度となく騙されてきました。

詐欺師に騙されない検察官になるためには、科学・医療リテラシーを身につける必要があります。ところが、彼らに医学部に入って勉強し直してもらうわけにはいきません。唯一の道は、こちらから出向いて彼らを教育することです。

「あなた方は筋弛緩剤中毒をでっち上げただけでなく、神経難病患者の人権を蹂躙し、あまつさえ突然死の恐怖の中に放置している」(関連記事) 2012年2月に始まった北陵クリニック事件の再審請求で、そう指摘する私を、仙台地検の検察官は、検察官意見書という公文書で藪医者呼ばわりしました。そこ示されていた医学に対する彼らの無知を是正することが、藪医者呼ばわりを止めさせ、ひいては再審開始への道を開く。そう考えて私は矯正医官になりました

収容施設での医療事故と矯正医官の置かれている立場
被収容者(受刑者・未決拘留者)は保険料が払えませんから、矯正医療は全て国民の血税で賄われています。「税金を投入してまで犯罪者に手厚い医療・介護など与える必要はない」という国民の皆様の「声なき声」を意識してかどうかはわかりませんが、収容施設(刑務所・拘置所)の医療施設の多くは有床診療所であり、一般社会の医療機関が華やかに宣伝するような「最新医療」は提供されませんし、ずらりと専門医を揃えているわけでもありません。

そんな塀の中でも、医療事故は起こり、訴訟リスクもあります。2015年2月に法務省内で開かれた法務大臣と矯正医官との座談会でも、「受刑者から告訴され、警察から事情聴取を受けることもある厳しい職場環境」との訴えが出ました(産経新聞2015/4/17

「薬害」訴訟と全く同様に、収容施設での医療事故国家賠償訴訟(国賠訴訟)でも、国は悪者です。いざ裁判となれば、原告は「国民の血税で運営されている以上、人と資金の両面で矯正医療には自ずと限界がある」という実態を「国は被収容者の人命を軽視している」と表現します。

これまで私が関わった国賠訴訟でも、どう見ても担当医に落ち度がないにもかかわらず、あたかも重大な注意義務違反があるかのような主張を盛り込んだ原告側意見書を見てきました。こうした裁判で国が負ければ、マスメディアや市民団体は「やはり国は悪」と断罪するだけで、「矯正医療充実のためにもっと税金を投入すべきだ」という結論にはなりません。

国賠訴訟に関わることになった矯正医官は、たとえ本人が被告にならなくても、法廷での証言を求められます。さらに誰を訴えるかは原告次第ですから、国だけでなく、矯正医官個人も訴えられる可能性も排除できません。その場合、収容施設での診療は上記のように保険外ですので、医師賠償責任保険は使えません。

患者さんが傷つき、あるいは失うことは、どんな医師とっても耐えがたいショックです。にもかかわらず、さらに家族から訴えられることは、二重のショックです。ましてや、様々な制約がある中で、誇りと志を持って矯正医療に携わってきたのに、法廷に引きずり出された挙げ句、「国家権力に荷担して医療ミスを隠蔽する悪徳医師」として断罪されるとなれば、誰が矯正医官を希望するでしょうか。

明日は我が身と思ってはいても、診療ならばいざ知らず、ほとんどの矯正医官は訴訟の経験がありませんから、同僚の助力は期待できません。頼れるのは被告である国の代理人となる担当法務局訟務部の部付検事だけですが、脈の取り方一つ知らないのは私を藪医者呼ばわりした検察官と同様です。

検察官の医学教育は私自身のため
私に対する藪医者呼ばわりが象徴するように,検察官に対する医学教育プログラムは全くありません。一方,私自身いつ事故に遭遇するとも限りませんから、国賠訴訟を通して検察官の医学教育を既に始めています。といっても大がかりな仕掛けは無用です。日常診療における医療面接と同様、お互いに「なるほど、そうだったのか」という納得感が得られるまで、相手の立場を尊重しながら、何度も地道な対話を繰り返すのが基本です。

具体的には、部付検事を含めた訟務担当者との会議で、一般的な医療現場の事情、矯正医官が置かれている立場、矯正医療ならではの制約、原告主張の背景にある誤解といった諸々の複雑な事情を、わかりやすく説明した上で、部付検事が準備書面を作成する際の助けになるよう、医師の立場から意見書を作成します。必要とあらば出廷し証言もします。

私を藪医者と断罪する検察官意見書は、検察庁という組織としての公式見解ですから、現状を放置したままもし私が医療事故を起こせば、以下のようなシナリオが目に見えています。

怒れる国民の皆様を背にした原告代理人の厳しい追及を受けた部付検事が、「すべてはこの藪医者個人の過誤が原因である」と、事故の全責任を私に転嫁した上、さらに私を刑事訴追して業務上過失致死罪で起訴・有罪に追い込み、目障りな藪医者と北陵クリニック事件再審請求を同時に葬り去る。

仙台地検の検察官達による検察官意見書をひっくり返し、日本中の検察官に私が藪医者でないことを納得させた上で、万が一の場合には是非とも私をしっかり弁護できるよう、今から彼らをみっちり鍛えておかねばならない。私が検察官の医学教育を始めたのは、誰よりもまず自分を守るためなのです。

2017/1/26追記 検察官・裁判官には医学教育だけではない。そもそも倫理教育さえ行われていない
参考:失敗否認型認知症 DDM: Dementia with Denials of Misconduct

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