失敗から学ぶ文化 vs 引き返す勇気

失敗から学ぶ文化の有無は、組織の可塑性・継続性(→結局それが頑健性に繋がる)を決定します。医師集団の中にも今でも傲慢な人はたくさんいますが、医療の分野では、失敗から学ぶ文化は伝統として受け継がれてきました。

一方、警察・検察・裁判所は、市民の無謬性信仰・裁判真理教をむさぼってここまでやってきました。ちょうど帝国陸海軍が帝国臣民が信仰する不敗神話に全面的に依存していたように。その無謬性信仰が崩壊する臨界点がいつ、どのようにしてやってくるのか?金王朝の崩壊の前か後か?、ベルリンの壁崩壊のように、ある日突然やってくるのか?それは誰にもわかりません。

でも臨界点がいつどうやってやってくるのかなんて実はどうでもいいことなのです。大切なのは、今、我々がこうしている間にも、警察・検察・裁判所に対する市民の無謬性信仰は徐々に、しかし着実に崩壊に向かっていて、決して後戻りすることはない、つまり「時間の問題」だということです。

なぜ、無謬性信仰崩壊が後戻りすることはないと断言できるか。それは警察も検察も裁判所も、「引き返す勇気」のない、意気地無しの虚弱な組織だからです。本来なら失敗から学ぶのに勇気など不要なのです。失敗から学ぶことが常識となっている組織では、構成員一人一人に勇気とは一切無縁に引き返す習慣がついている。一方、警察も検察も裁判所も、何十年、何百年経っても自分達の過ちを認めない。それでも自分達に対する無謬性信仰を維持できると思い込んでいる。つくづくお目出度い連中です。

騙される検事
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