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一緒に考えてみよう!:予防医療とELSI

 近年、未然に病気を防ぎ、健康に長生きするにはどうすれば良いかということに関する研究の進展や、国民健康保険を維持するための医療費の削減の必要性の高まりを受けて、予防医療への関心がますます高まっています。
 病気になってから治療を開始すれば良いのではないか、と考える人もいるかもしれません。神経細胞が死ぬことによって起こる神経変性疾患を例に取りますと、確かにこの病気を治療する方法(疾患修飾療法)の開発が行われてはいます(論文「神経変性疾患と予防医療」74ページ左)。そして、2010年代の後半からは、いくつかの薬が承認されました。ところが実際には、このような薬は疾患自体を根治するものではなく、多くの場合、その効果は限定的であると言わざるをえません。
 このような問題点を解決するために、病気になることを防ぐことを目的とした医療、つまり予防医療のための研究開発が進んでいます。

3種類の予防医療

 予防医療にも、一次予防・二次予防・三次予防の3種類があります。一次予防とは、薬に頼らずに生活習慣の改善を行なうことで健康増進を目指すことを意味しています。二次予防とは、健康診断により、病気の早期発見と早期治療を行なうことで、病気や障害が重症化するのを防ぐことを指しています。三次予防とは、病気の治療の過程や治療後の段階に再発防止策を取ることを意味しています。以下では、一次予防と二次予防に絞って、その内容を見ていきたいと思います。
 まず、一次予防によって、例えば認知症や脳血管障害(脳卒中)を予防することができるとされています。
 認知症に関しましては、2020年に発表されたランセット委員会(Lancet commission)によりますと、教育、高血圧、肥満、難聴、喫煙、うつ病、運動不足、社会的孤立、糖尿病、過度の飲酒、頭部外傷、大気汚染の12危険因子に気を付ければ、認知症の40%は予防および進行を遅らせることが可能となるということです(詳しくは、論文「認知症と予防医療」83ページ右を参照)。
 また、日本脳卒中学会と日本循環器学会が、2021年に脳卒中の予防戦略事業を掲げています。その内容によりますと、脳卒中を予防するためには、減塩・禁煙・飲酒・身体活動量増加が効果的です(詳しくは、論文「脳血管障害と予防医療」86ページ左を参照)。
 次に、二次予防について見ていきましょう。
 認知症を予防するために、アルツハイマー病の進行を抑える薬(疾患修飾薬)が近年開発されました(論文「認知症と予防医療」83ページ左)。とはいえ、新しい薬による治療を受けるに際して、不安や抵抗を感じるという方も多くいると思われます。そのため、こういった場合には最新の医学研究と市民を接続することが必要となります。
 当然ですが、上で挙げた危険因子に配慮し、健康増進のための活動を行なうという予防戦略を効果的なものにするためには、すべての人を対象とするアプローチが必要です。つまり、上記の委員会や学会の活動内容を広く市民に知ってもらうことが有効です。

予防医療の課題

 予防医療について考えるためには、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)の観点から検討することも必要です。
 普通は病気になってから治療を行ないますが、まだ病気になっていない状態で、患者というよりも市民が、みずから主体的に病気を予防するためにできることを実践していく必要があります。そうすることで、市民ひとりひとりの生活の質を向上させることが可能となるため、予防医療は社会的に重要な意義を持っていると言えます。
 科学的根拠を持って、以上のような予防医療を行なうためには、多くの人に参加してもらい、健康状態や運動習慣・食習慣等を調べるコホート研究を今後も実施していく必要があります。そのような大規模で長期にわたる疫学研究があって初めて、予防医療について様々なことがわかります。
 とはいえ、予防医療の研究を進めるうえでは、扱う個人情報の量が膨大になりがちですし、長期にわたって個人情報を取り扱うことになりますので、それに伴って、情報漏洩のリスクをめぐる市民の不安も増大すると思われます。たとえ未病の状態に関する情報とはいえ、自身の健康状態についての個人情報が悪用されれば、差別につながったり、保険に加入する際に不利益をこうむったりすることになりかねません。そのような懸念から、予防医療に取り組むことを躊躇する人が出てくることも考えられます。
 したがって、情報管理のための制度作りの必要性があります。政治家や官僚のみに任せるのではなく、医学研究者・医療従事者・市民がみんなで、倫理的な観点もふまえながら、今後の制度作りについて話し合っていくことが求められるでしょう。予防医療を普及させて、市民の生活の質を上げていくためには、医学研究者・医療従事者・市民の間で信頼関係を構築していくことが、これまで以上に重要となります。
 ただ、近い将来にもし精密な予防医療が成立したとして、それが本当に良いものであるのか、考えていく必要があります。そして、それによって起こりうる経済への影響も考慮していかなければなりません。また、そもそも予防医療によって健康を増進するべきだという考え自体が、ヘルシズム(健康中心主義)というイデオロギーの一種だとみなすこともできるため、そのような考えを他人に強制することには注意を促す必要があります。コロナ禍におけるマスクの着用や行動制限などの事例に見られるように、個人の自由と強制のバランスを取っていくべきであると言えます。
 本研究室では、研究と社会との接点を持たせるために、研究者たちから市民に向けたシンポジウムを開催してきていて、今後もそのような機会を継続して設けていく予定です。予防医療に関して、みなさまはどのようなご意見や疑問をお持ちでしょうか。

(執筆:坂井礼文)

主要参考文献

  1. 勝野雅央・橋詰淳「神経変性疾患と予防医療」『神経治療』2023年、40巻、2号、74-78頁。
  2. 脇田英明・冨本秀和「認知症と予防医療」同上、83-85頁。
  3. 平野照之「脳血管障害と予防医療」同上、86-91頁。

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