私の内なるアイヒマン

I was just following orders. (Adolf Eichmann

確かに彼は命令に従った。それは事実である。しかし、justの一言が、彼の言葉全体を全面的に否定している。北陵クリニック事件の検事が「私は決済のハンコをもらったただけだ」と言っても、あなたは即座に否定するだろう。

土橋は偽証罪に問われるのを畏れているのだろうか。しかしそれは些細な問題である。彼は法律には明記されていない、もっと重い罪の償いに専念すべきだからだ。5人の患者とその家族を騙して、自分の命を守ろうとしてくれた医療者を毒殺魔と思い込ませ、20年以上にわたって憎悪の念を抱かせ続けてきた。それが土橋均の為した一番の重罪である。

市民が作るのが社会。これは誰もが認める事実以上の「公理」である。その「社会」の中に「国民の皆様」=法令という国家の命令に従う「明るい社会」の「構成員」と、その国民の皆様が敵視する「非国民」との間に二項対立構造を導入し、非国民側に「反社会的勢力」のラベルを貼り付ける。それが国家という名の、真の意味での反社会的勢力である。その国家における非国民の収容所が刑務所。

古代ギリシャ、ローマ帝国、現代の日本、現代スウェーデン、すべて市民がいるところに国家があり、必ず刑務所がある。アウシュヴィッツだけが収容所ではない。社会があるところに国民と非国民の対立がある。国民と非国民の対立があるところに必ず刑務所がある。国民すなわち「明るい社会の構成員」は、どこの国であれ、何分の一か、何十分の一か、何百分の一か、何千分の一かは知らないけれど、ある比率で、非国民に対して、アドルフ・アイヒマンや、ヨーゼフ・メンゲレを演ずる素因を、自分の中に持っている。

ここで留意すべきは,特別にアイヒマンリスクの高い人間がいて、そいつが「真のアイヒマン」になるわけではない ということだ。ハンナ・アーレントが「エルサレムのアイヒマン」で著したように、スタンレー・ミルグラムの服従実験が示すように,人は誰でも間違えるように、人は誰でも不完全な死体として生まれるように、人には誰でもアイヒマンになれる素質がある

もしあなたが幸せになりたいと思うのだったら,衣食住を賄う以上のお金を稼ごうとしたり,教祖様になろうとする前に,まずは自分と周囲の人を不幸にする(もう少し明確に言えば,地獄の道連れにする)落とし穴の位置、すなわち自分の内なるアイヒマンリスクを意識する必要がある.リスクを意識してこそのリスクマネジメントであり、ダメージコントロールである。

自分がアイヒマンにならないために我々ができることと言えば、自分の内なるアイヒマンを意識して、航空機のフェイルセーフシステムのように、アイヒマンリスクを最小化することである。一方、自分は絶対にアイヒマンにはならないと、自分の無謬性を裁判真理教会に誓うことは、アイヒマンリスクの全面的な否認に他ならない。この滑稽な否認は、アイヒマンリスク最小化の努力を放棄させ、自分が矮小なアイヒマンとなるリスクを顕在化させる。

繰り返し注意しておくが、特別にアイヒマンリスクの高い人間がいて、そいつが「真のアイヒマン」になるわけではない。この国に限っただけでも、現代に跳梁跋扈する矮小なアイヒマンやメンゲレ達の事例には枚挙に暇がない。

先年の奈良県警桜井署の取調官、「検事失格」を著した市川寛氏に机の下から生意気な被疑者の向こうずねを蹴る特別公務員暴行凌虐罪という、とっておきの裏技を教えた検事、、文化勲章を受章した古畑種基、その忠実な後継者を自認する石山c夫、ベクロニウム質量分析の「権威」土橋均,そしてミトコンドリア病患者の人権を踏みにじり、突然死の恐怖に放置した御用学者並びに検察官と裁判官

彼らは、決して自分の意思で不正を行ったわけではなかった。彼らは、ただ「公僕」として国家が発する暗黙の命令に従っただけだ。「国家に忠実な人間ほどアイヒマンリスクが顕在化しやすい」。確かにわかりやすい表現だ。でも、アイヒマンの言葉に比べたら、なんて陳腐な言葉だろうか。

刑務所とは、合法化された矮小なアウシュビッツである。上記のような矮小なアイヒマン,メンゲレ達によってそこに送り込まれて、またまた矮小なアイヒマン・メンゲレ達によって身体・精神の両面で陰湿な虐待・いじめを受ければ,「復讐するは我にあり」と考えるのは当然である。ところが、刑務所の中では復讐は果たせない。だから、外へ出てから復讐する。これを国家レベルで成し遂げたのがイスラエルであり、個人レベルで成し遂げるのが再犯である。ホロコーストの例が示しているように、「厳罰主義」が推進されるほど復讐も深刻・大規模になる。

おわかりだろう。厳罰主義は再犯製造装置である。では、そこを変えていくためにはどうするか?当然、本来の意味での市民の法的リテラシーの向上は絶対的な必要条件だが、十分条件ではないし、市民の法的リテラシーの向上には数十年単位の時間がかかる。中世司法制度を一朝一夕に変えられるわけがない。

だから直ぐあきらめて、他のことをやるのか、それとも、、中世司法制度を変えるために自分は(!)何ができるのかを考えるのか、どちらを選ぶのかは、あなたの勝手だ。私からお願いしたいのは、どちらも選ばずに、「国が、法務省がしっかりしないから再犯率が下がらないんだ」と、私のような法務省職員に言いがかりをつけるような真似だけはしてくれるなということだ。

私は手一杯なのだ。自分の、そして仲間のアイヒマンリスクの最小化業務と、私を藪医者呼ばわりする能天気な検察官、裁判官の教育で。

映画 「アイヒマンの後継者」
「現在の刑務所は罰を与えるだけで更生する場になっていない」 ホリエモンが語る刑務所からの"社会復帰" 岡本茂樹 × 堀江貴文 【前編】
「再犯を減らすためには、マスコミと市民が変わらなくてはいけません」 ホリエモンが語る刑務所からの"社会復帰" 岡本茂樹 × 堀江貴文 【後編】

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