企画意図;
人は生涯にわたって学び、発達していくものと考えられています。しかしながら、現代社会は社会の状況の変化や価値観の多様化が激しく、それに対応できる人材が求められています。そのため、個人の育ちと社会的要請は必ずしも一致せず、教育の場においても、働く場においても、人が主体的に学び、育っていくことが困難な状況であると思います。
看護職は、大学が200校を超え、国家試験合格者の約30%が大学卒業生となりました。医療系の資格を得るための大学は、国家試験が必至であるばかりではなく、合格率が全国レベルで公表され、入学者確保にも影響があるとの思いから、国家試験合格を意識した教育内容の選択となりがちです。歴史的にも長く、具体的な職業観を意識した態度、技術を習得させることを優先した教育が、継続されてきました。以上のことは大学での学び・教育とは何か、個人が生涯発達するということは何かという問いへ、正面から向かい合うことを避けることにもなっています。
看護職では、人材確保法が成立以来、基礎教育終了後の新人看護職の卒後教育が義務化され、各職場も教育プログラムを組み、熱心に教育をし、看護職の離職防止、人材確保に躍起になっている現状があります。一方育てられる側の若者たちは、受験や偏差値の中で高校までを過ごしてきたので、順調に「国家試験に合格すること」、「希望する職場に就職すること」をゴールとし、そのための効率が良い方法があり、正解があると思いがちです。彼らの実感として国家試験に直結しないもの、すぐに結果が得られないものは、あまり重要だとは考えない傾向があります。自分とその周辺の狭い範囲に関心が限定されていて、周囲の人間が自分を世話したり、育ててくれたり、優しくしてくれることが当然と考えています。
以上のような現状を嘆きつつ、どこから始めたらよいか考える間もなく、人材確保や学生確保、教育に逼迫している状況です。それ故ここで立ち止まり、育てられる側、育てる側という二極分化ではなく、学びとは何か、自らを生涯育てる、互いに育て・育ちあうという姿勢について考えたいと思います。
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