ホーム ご挨拶 寄附行為 沿革 組織図 役員名簿 色覚検査表 序文 平成17年度 事業及び財務報告
沿革
  財団法人一新会は、石原 忍の責任感と情熱から生まれた。
  東京大学名誉教授であった石原は、自分のライフワークである色覚検査表と国字の研究を継続する体制を、早急に確立する必要性を感じていた。1959年、石原は黒澤潤三ら6人の弟子たちを呼び、色覚をはじめとする眼科学と、国字改良に関する研究を目的とした財団法人の設立準備を命じた。
  「寄付行為」の文書化など、法人化までの道のりは決して平坦ではなかった。しかし石原の熱意に押された弟子たちは、当時伊豆の河津に居住していた石原と厚生省との間を何度も往復した。1961年2月、関係者の努力がようやく実を結び、待望の財団法人一新会が発足した。財団の発足資金は、石原自身が恩給と年金を除く全財産を寄付してまかなった。石原が亡くなる2年前のことであった。なお、一新会とは元来、石原 忍をかこむ東大眼科同窓会の名称である。
  実際この財団法人がなければ、内外で高く評価され、眼科診療に欠くことのできない石原色覚検査表が現在の品質を保ち得たかどうかは、すこぶる疑問である。 初代理事長は黒澤潤三である。当時はまだ財団法人としての内容が十分ではなく、第2代理事長の中泉行正(1966年9月就任)の時、厚生省の指導により改革を行った。1972年、河津の一新荘を売却してその代金1100万円を基本財産に組み入れ、新宿区四谷に事務所を開いたのである。これにより財団法人の基礎が確立した。
  第3代の理事長は須田経宇(1978年1月就任)である。須田は会員から石原に関する記録や思い出を集め、彼の業績と人生を描いた伝記『石原忍の生涯』を講談社学術文庫から出版した。この間、発会当時から理事として活躍した、桐澤長徳、金沢寿吉、大熊篤二、澤 潤一が死去している。
  一新会の事業の最大の柱は、石原表の発行と品質管理である。しかしその品質を維持、改良するためには、でき上がった検査表を広範にテストしながら使用色を決め、測色して残すという膨大な作業が必要である。石原の死後、石原表の検査成績がいまひとつ芳しくないとの風評が高くなったため、理事会も苦慮し、東大眼科に石原表研究を依頼した。これを受けた岡島 修は、1979年から10年間にわたり、大学新入学者を対象に、カウンセリング前に行った石原表とアノマロスコープの検査結果の比較を続けた。一方で日本色彩研究所に依頼して、使用色の測色も行った。その結果をもとに理事会で検討を重ね、また印刷技術も向上したので、1980年度版以降は信頼性の高い表が安定して出版できるようになった。岡島は現在も常務理事として一新会の学術面を担当している。 第4代理事長は河本正一(1988年10月就任)、事務所を現在の文京区本郷に移転し、近代的な財団に脱皮する基礎を築いた。第5代理事長の鹿野信一(1997年4月就任)は当初から会の柱石であり、東大教授を退官した1971年以降は会の実質的な代表として内外との折衝に当たった。
  現在の第6代理事長は澤 充(1998年12月就任)である。長い間理事として重きをなした佐藤 邇、杉浦清治も亡くなり、理事会はすっかり代替わりした。時を同じくして、内外の出版社からの引用許可請求が激増し、財団法人健全化を推進する監督官庁の指導が強化されたため、理事長にかかる負担が増加している。この中で澤は、「寄付行為」の改定や評議員会の設置など、組織の大幅な改変を短期間になしとげた。また手作りのタイプライターに細々と残されていた国字からコンピュータ用フォントを完成させ、石原表印刷に重要な原版をポジフィルム化した。
  現在の一新会の活動内容は、以下のとおりである。(1)石原色覚検査表の改良研究と品質管理、(2)国字の保存、(3)石原色覚検査表の著作権に関わる引用許可請求の適正処理、(4)色覚研究に対する助成。会の運営は、主として石原表の印税でまかなわれている。
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