沿革

色覚異常は先天性と後天性とにわけられるが、通常問題になるのは男性、女性に関係する染色体での異常により生じる先天色覚異常である。男性人口の4.5%、女性人口の0.2%に色覚異常が存在する。人間は外界の情報の8割を視覚によって得るとされ、視覚は色覚、光覚、視力の三要素によって構成されている。色覚は社会生活において重要な要素であり、個々の人にとって色覚能力を知ることは職業選択、人生設計での上で重要である。一方で社会としては色覚異常者に対して異常が日常生活で不利益にならないようバリアフリー社会を構築することが求められている。

東京大学名誉教授 石原 忍によって考案された色覚検査表は現在まで考案された多くの色覚検査表の中にあって、先天色覚異常と正常色覚との判定能力に優れているために石原色覚検査表として全世界の標準的色覚検査表として認知され、使用されている。こうした功績から石原 忍はわが国の眼科医の中で唯一人、文化功労賞を授与された。

東京大学名誉教授であった石原は、色覚検査表と国際間の紛争解決を目的に開発されたL.L. Zamenhof,(1859-1917、ポーランド)によるエスペラント語の影響をうけ、世界との共通性を考慮して国字の研究を継続する体制を確立する必要性から1959年、黒澤潤三ら6人の東大医学部眼科教室出身者に色覚をはじめとする眼科学と、国字改良に関する研究を目的とした財団法人の設立準備を依頼した。以下が財団法人一新会の設立趣意書の文面である。

【設立趣意書】(昭和35年11月4日)(前文)

財団法人一新会は石原忍先生を記念し、眼科学を振興し国字の改良を行うことを目的として設立されるべき財団法人であって、左の如き事業を行う。

  1. 石原式色盲検査表を出版し常にその進歩改良を図ること。
  2. 一般色覚およびその異常の研究を行うこと。
  3. 色盲研究班(創立1,955年)を引継ぎ、前記イ、ロの業務ならびに研究を行わせる。
  4. 広く眼科学の研究を援助もしくは奨励すること、審査委員会を設け優秀な論文を審査して賞金を与えること、その他研究者に種々の便宜を与えること。
  5. 日本新国字を研究しその普及につとめること、新国字研究部を組織し、部誌を発行し、ひろく全国に意見を求め、集められた良識をつとめて広く利用すること。
  6. 有力な国字研究者、もしくは国字研究団体を援助すること。
  7. 一新荘を石原先生の記念として、その保存維持につとめること。

上記の申請に対し、以下の主たる文面で財団法人の設立が認可された。

【設立許可】(昭和36年2月26日)

  • 厚生省 東医第18号
  • 財団法人一新会 設立許可書
  • 財団法人 一新会
  • 設立者 石原 忍

昭和35年11月4日付けで申請のあった財団法人一新会の設立を民法(明治29年法律第89条)第34条の規定により、許可する。

昭和36年2月24日

厚生大臣 吉井喜實

財団の発足資金は、石原自身が恩給と年金を除く全財産を寄付してまかなった。なお、一新会とは石原 忍をかこむ東大眼科同窓会の名称に由来する。

石原は財団設立許可2年後に亡くなったが、その没後は石原教授に直接指導を受けた眼科医が財団の運営にあたってきた。

財団法人一新会の初代理事長は黒澤潤三(昭和36年2月就任、日本眼科医会会長などを歴任)である。黒澤は財団設立の中心的役割を担当し、設立認可を受ける上で大きな貢献を果たした。

第2代理事長は中泉行正(昭和41年9月就任、日本眼科医会会長)である。中泉はさらに厚生省の指導により財団の基盤の整備、改革を進め、昭和47年に晩年の石原が診療所を開設するとともに町民の文化の向上につとめた居宅である一新荘(静岡県賀茂郡河津町)を売却し、その代金1100万円を基本財産に組み入れ、新宿区四谷に事務所を開いた。これにより財団法人の基礎が確立した。

第3代の理事長は須田経宇(昭和53年1月就任、熊本大学教授)である。須田は会員から石原に関する記録や思い出を集め、彼の業績と人生を描いた伝記『石原忍の生涯』を講談社学術文庫から出版した。この間、発会当時から理事として活躍した、桐澤長徳(東北大学名誉教授)、金沢寿吉、大熊篤二(横浜市立大学医学部名誉教授)、澤 潤一が死去している。

一新会の事業の最大の柱は、石原色覚検査表の発行と品質管理である。しかしその品質を維持、改良するためには、でき上がった検査表を広範にテストしながら使用色を決め、測色して残すという膨大な作業が必要である。石原の死後、石原色覚検査表の検査成績がいまひとつ芳しくないとの風評が高くなったため、理事会も苦慮し、東京大学医学部眼科学教室 三島濟一教授に石原色覚検査表の研究を依頼した。これを受けて東大眼科医局員であった岡島 修(現財団常務理事)が、昭和54年から10年間にわたり、東京大学本部の協力のもと東京大学への全新入学者の健康診断を実施する一方で、色覚異常者を対象に、カウンセリング前に行った石原色覚検査表とアノマロスコープの検査結果の比較を続けた。一方で日本色彩研究所に依頼して、使用色の測色も行った。その結果をもとに理事会で検討を重ね、また印刷技術も向上したので、昭和55年度版以降は信頼性の高い色覚検査表の出版ができるようになった。

第4代理事長は河本正一(昭和63年10月就任、東京警察病院部長)である。事務所を現在の文京区本郷に移転し、近代的な財団に脱皮する基礎を築いた。

第5代理事長は鹿野信一(平成9年4月就任、東京大学教授)である。鹿野は財団発足当初から中心的役割を担ってきており、東京大学医学部を退官した昭和46年以降は会の実質的な代表として内外との折衝に当たった。現在の第6代理事長は澤 充(平成10年12月就任、日本大学医学部教授・日本大学名誉教授)である。

長い間理事として重きをなした佐藤 邇(日本眼科学会名誉会員)、杉浦清治(北海道大学名誉教授)も亡くなり、理事会は世代交代を余儀なくされる一方で、寄付行為から国字に関する事項を削除し、色覚研究を中心とする眼科学の発展への貢献と色覚異常のバリアフリー化に関する社会的貢献を2本柱とする財団法人の運営へと変革を推進した。石原色覚検査表の品質の維持に加えて、世界レベルでの標準的色覚検査表としての評価が定着した石原色覚検査表に対する内外の出版社からの教科書その他への引用許可請求などに対し、我国の眼科領域の知的財産としての石原色覚検査表の管理、保護を行っている。また、石原色覚検査表の印刷に重要な原版のポジフィルム化をした。さらに現在、より検査成績に優れた新石原色覚検査表の作製を進めている。

正しい色覚検査の知識の普及、啓発として日本眼科学会において財団主催セミナーを厚生労働省の後援のもと実施し、あわせて交通機関などでの安全性確保としての色覚検査の在り方に関する助言なども財団として行っている。また、色覚研究、色覚異常のバリアフリー化に努めている団体への研究助成、河津図書館への図書購入の助成を行っている。また、東日本大大震災で罹災した岩手県などの小中学校に教育委員会を介して石原色覚検査表の寄贈を行っている。

現在、財団は眼科学領域に在籍する医師および有識者によって組織され、下記のような事業を行っている(上記記載と重複)。

  1. 石原色覚検査表を出版し常にその進歩改良を図ること。
  2. 色覚およびその異常の研究を行うこと。
  3. 広く眼科学の研究を援助もしくは奨励すること、審査委員会を設け優秀な論文を審査して賞金を与えること、その他研究者に種々の便宜を与えること。
  4. 色覚異常者に対するバリアフリー社会の構築を目的に医学的に適正な活動を行っている団体に対する助成金を交付する。
  5. 文化事業に対する公募事業。

上記のごとく、我が国の知的財産となっている石原色覚検査表の出版、改良および眼科学、特に色覚に関する研究、助成、啓発活動に対して、平成24年4月1日に公益財団法人としての移行認定を受けた。

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