予防接種法-ワクチンファシズムの原点
-新型コロナワクチン薬害訴訟に備える-
大切な人のためにと思って接種して万が一命を落としても「自己責任」で片付けられる国
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そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう」
37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
(ルカによる福音書5章)
1953
年に制定されたらい予防法は、制定の基礎に関わる社会的、経済的、医科学的事実、すなわち立法事実のもともと存在しない法律(*)
であった。(中略)立法事実を欠く法律の改廃が何故 1996 年まで遅れたのか。様々な要因が絡み合ってはいるが、最も基本的な理由は、厚生行政が、差別偏見の根本問題を等閑に付し実利的な観点のみに立ち、患者・入所者の処遇改善のためには現行法のままの方が政策上有利と位置付けたこと(強制隔離と処遇改善の「表裏一体論」)、および国立療養所中心主義が厚生省とらい学会に既得権を与えていたことにあると思われる。(第 1 問題の所在 第五 らい予防法の改廃が遅れた理由 ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書)
感染症法の入院措置に罰則を設けることで強制力を持たせることは、ハンセン病や結核、HIV感染者に対する科学的根拠なき差別や強制隔離、ひいては断種手術にまで至った最悪な歴史の教訓を受けて1998年に制定された感染症法の基本的な法の理念に反すること。しかも、コロナ対策としては、そもそも今回の法改正の目玉となっている罰則の対象となる入院拒否者や時短要請の拒否事業者が、現在の感染拡大の元凶となっているというエビデンス、つまり立法事実が存在しない。また、法律の建て付け自体が不自然で「まともな法律の体をなしていない」。(郷原信郎 日本がまともなコロナ対策ができないわけ ビデオニュース 2121/2/6)
新型コロナワクチン薬害訴訟への備え;我々全てが当事者です
新型コロナワクチン薬害訴訟は回避不能です(国に殉ずるということ)。過払い金返還請求のような旨味のある仕事も派手にできなくなってしまった今(誰がアディーレを業務停止に追い込んだのか)、ハンセン病と同じく「立法事実が存在しない」という致命的欠陥を抱えた法律が生んだ問題を弁護士が放置するわけがありません。上記に示す通り、感染症法/特措法が「まともな法律の体をなしていない」ことも既に明白となっています。ただ行政を相手にする場合には、差し止め訴訟のようにproactive予防的に動くのが困難なので、まだ動けないだけです。それでもC型肝炎訴訟のように一律救済に失敗(証拠探して10年 カルテがないC型肝炎訴訟 一律救済はどこへ)してしまっては、弁護士にとっても不利益ですから可及的速やかに動き始めるでしょう。
だとすると既に新コロファシズムの被害を被り当事者となっている我々が今なすべきことは、来たるべき訴訟を速やかに原告勝利に導くための活動です。裁判が
長引いては誰も得をしませんから、これは原告被告双方に貢献する活動になります。そのためには事件の原因となった予防接種法の本質を理解しておく必要があ
ります(全てはワクチン利権のために、補償金詐欺の「法的根拠」)。
ワクチンファシズム今昔
当事者意識は社会活動に不可欠です。ワクチンキャンペーンは新コロファシズムの中核であり、行動制限を始めとした人権蹂躙や自粛警察活動と密接に結び
ついています。ワクチンキャンペーン即ちワクチンファシズムです。ワクチンファシズムの被害はワクチンによる健康被害の範囲をはるかに超えて社会全
体に広がっています(ワクチンファシズムが広がっている)。こうして我々サイレント・マジョリティの心の中にワクチンファシズムに対する当事者意識が芽生えます。ただ、ファシズムを意識する時には壁があります。「今の時代に全体主義なんてありっこない。官邸の主だっていつも人気取りだけ考えるだけで、結局その人気取りにも失敗して去って行く。そんな間抜けな奴らの椅子取りゲームの繰り返し。この平和ボケの日本でヒトラーもムッソリーニも生まれようがない」。そんな思考停止の蔓延が、ワクチンファシズムの隆盛に繋がっているわけです。そこでここでは戦後間もなく起こった、731部隊顔負けの重大事件を紹介しておきます。奇しくも極東国際軍事裁判が終わったのが1948年11月でした。
1948年京都・島根ジフテリア予防接種禍事件:予防接種法の原点
知られざる戦後薬害第1号事件 1948年11月に京都市 およ び島根県東部で実施されたジフテリア予防接種において 84 名の乳幼児死亡を含む 1,000 人規模の被害を生み 世界の予防接種史上最悪の事件となった。製造企業が予防接種液の製造過程で無毒化とロットの取扱いを誤り 品質管理=安全性確保において最後の砦である国家検定の試験品抜取りに重大な誤りがあり それこそが大惨事の原因だったと 考えられる。しかし刑事訴訟では メーカーである財団法人大阪日赤医薬学研究所の所長以下 3 名が有罪, 試験品抜取り担当者である大阪府職員は無罪となり ,国など行政が強圧的に解決を図ったため 民事訴訟は提起されず 国家検定に関する国の責任は問われなかった。 その結果 70 年代に京都府・市の議会や国会で補償問題が再燃したが「和解済み」を理由に実ることなく風化の一途をたどってきた。事件から半世紀余りを経て, 生存被害者 ら による遺族訪問調査 国会会議録 厚生労働省・京都府・島根県・京都市などの行政文書と GHQ/SCAP 文書その他の 文献に関する総合的な調査 が行われ, 真相解明 なく忘れ去られようとしていた 戦後薬害第1号事件の実相が見え始めてきた。(栗原 敦 1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その 1) 新しい薬学をめざして 2007;36:47-52)
2.事件の概要 1948年6月、予防接種法が施行され、ジフテリア予防接種が全幼児に義務付けられた。受けなかった者に対しては3000円の罰金を科すという世界にも前例を見ない強力な強制接種法である(*)。この法律に基づき、京都市では10月21、22日に第1回、そして11月4日、5日に第2回の接種が行われた。(中略)12月13日には最初の死亡者が出て、その後次々に死亡が出る日々が続いたが12月23日で一旦は死亡数が収束した。しかし、28日からは再度後麻痺による死亡者が出始め、これが次々と続き1月15日まで合計68名の死亡が記録された。
島根では、都市部ではなく農村漁村部に点在して被害が発生することになった。接種薬の供給を仲介した京都微研からの事故通報でいったん中止された接種は、皮肉なことに京都で初の死亡者が出た13日から各地の村々で再開されてしまった。これには京都で「死ぬ心配はない」などと楽観的なコメントを出したことと、厚生省から「ロット1013以外を使え」という電報が打たれたことが関与している。結局、再開された接種では11月20日に取止められるまでの間に、発症数324名、死亡者16名を出すに至った。死亡を免れた子どもたちは徐々に体力を取り戻し、一応の回復を見てほぼ全員が1月中には退院した。しかしながら多くの子供たちは腕に大きな傷跡がのこり、後遺症も懸念されるが、その後の継続した追跡調査はなされていない6)。(和気正芳 1948年ジフテリア禍事件の原因論 社会医学研究 第23号 2005年)
*池田注:「平均月間現金給与額 1947年~2019年」によれば、2019年の給与は1948年の70倍に相当しますから当時の3000円は今の21万円。とても払える額ではありません)
予防接種法第十二条は臨時接種に適用してはいけない法律だった
「
1948年に制定された予防接種法は、莫大な罰金で市民を恫喝し健康被害救済一切無しで接種を強制するために制定された法律でした。同法に基づく最初の接種で84 名の乳幼児死亡を含む1,000 人規模の被害を生み 世界の予防接種史上最悪の事件となりました」。もしこの文章を記事冒頭に書いたとしたら、誰も信じてくれなかったでしょう。その予防接種法に健康被害の補償制度が盛り込まれ(付け足され)たのは事件後22年も経ってからの1970年でした(栗原 敦氏作成の右の表はクリックして拡大)。
さらに、付け足された補償制度の基本となる健康被害の報告制度も不十分なものでした。あくまで定期接種のような有効性安全の確立した予防接種の既知の健康被害が対象であり、新型コロナのように未知の有害事象が数多く予想される予防接種には対応できていなかったのです。この問題は、接種後に出現した異常の中でも因果関係が疑われる場合に報告すればよい、即ち因果関係が不明あるいは否定的と医師が考える場合は報告せずともよいとした予防接種法第12条に表れています。これでは未知の有害事象の可能性を全て棄てしまうことになり、新型コロナワクチンには決して適用すべきではなかった法律なのです。
完璧だった報道管制
新型インフルエンザワクチンでは「新型インフルエンザ予防接種による健康被害の救済等に関する特別措置法(平成21年法律第98号)」として、ワクチンによる健康被害の救済のために特別に法律が作られていました。しかし新型コロナワクチン禍の被害救済には、国は1948年に制定された予防接種法を持ち出してきました。その理由も、もう、おわかりでしょう。もちろん「法律は古い方がうるさい奴らを黙らせる効果が高いから」。しかしそれだけではありません。もっと強力な効果を国は意識しています。「人々の記憶からその法律に纏わる忌まわしい記憶を消去できる可能性が高いから」です。肝心要の厚生労働省 健康局 結核感染症課がこの事件を知らないはずがありません。それを承知の上で新型インフルエンザの時のように別途特措法で対応せず、予防接種法を持ち出してきました。彼らの狙いはずばり当たりました。
この史上最悪の薬害事件が起こったのは仮にも戦後です。そして今世紀に入って発表された論文・記事も公開され(下記参照)、いつでもどこでも誰でも読める
ようになっています。さらにワクチンを巡っては世界中で侃々諤々の議論が展開されています。もちろんその中でジフテリア禍事件もわずかに報道されてはいます。し
かし少なくとも私が読んだ限りでは、単に「昔はメーカーが杜撰だったからこんなとんでもない薬害が起こった」という文脈で終始しており、薬害の原点となった「接種強制・補償無」や、民事訴訟なしの「和解」により今日に至るまで何の補償もなかった問題には全く触れられていません。それもそのはず、近年は中立的な学術誌の記事でも、製造・品質管理や国家検定時のサンプル抜き取り時の過失といった原因論のみが論じられ、残念なことに強制無補償の文脈はすっかり欠落しています( ジフテリア予防接種禍事件)。この史上最悪の薬害事件についても完璧な報道管制が効いているのです。
参考公開資料
栗原 敦 1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その 1) 新しい薬学をめざして 2007;36:47-52
栗原 敦 1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その 2) 新しい薬学をめざして 2007;36:80-84
栗原 敦 1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その 3) 新しい薬学をめざして 2007;36:98-105 (上記 表の出典です)
和気正芳 1948年ジフテリア禍事件の原因論 2005 社会医学研究 第23号
土井 脩 ジフテリア予防接種禍事件. 医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス 2016;47(4) 284-5
土井 脩 戦後の薬害事件の概要と教訓 (2019.1.1)
城山英明, 村山明生, 山本隆司, 川出敏裕, 舟木 貴久. 安全法制度設計における加害者ペナルティに関する論点:選択肢とその評価. 社会技術研究論文集 2005;3:60-78.
→自分の命を自分で守れない国
→補償金詐欺の「法的根拠」
→全てはワクチン利権のために:「合法的な」接種後死亡・副作用隠しの実態
→新コロバブルの物語
→表紙へ
大切な人のためにと思って接種して万が一命を落としても「自己責任」で片付けられる国