司法事故研究の意義
-池田意見書抹殺事例から見えてくること-
はじめに:司法事故とは
司法事故とは、これまた耳慣れない不審に思う御仁もいらっしゃるかもしれないが、何も難しいことを言っている訳ではない。誤った運転により被害が生じる交通事故と同様、誤った訴訟指揮や判決が「市民の名誉・尊厳に対し、取り返しのつかない傷を与える」裁判を指す。その意味では袴田事件や北陵クリニック事件を始めとする冤罪事
件は司法事故そのものである。
To Err Is Human:人は誰でも間違えるのに
医療過誤を防止するためには,過誤の情報を集積・分析するという「誤りから学ぶ」作業が不可欠となるが,この操作を個別医療機関の自助努力に任せても,数を集めて効率的な情報集積は無理である。医療過誤を防止するためには,国レベルで医療過誤の情報収集を行なう必要がある。
1995年の米国医療施設認定合同機構(JCAHO:Joint Commission on Accreditation of Healthcare
Organizations )の設立は,同国医療史上初めて国レベルでの医療過誤情報収集を目的とする制度いう
意味で特筆に値する。JCAHOにはさまざまな批判があったものの,国を上げて医療過誤防止策に取り組もうという動きは,ますます
真
剣なものとなっている。
特に,99年11月末に米科学アカデミー医学研究所が医療過誤について発表した「To Err is
Human」と題する報告書は,全米に大きな衝撃を与えた。米国全体で毎年4万4千-9万8千人の入院患者が医療過誤で死亡しているとし,病院入院中に医
療者の誤りが原因となって死ぬ確率のほうが,交通事故(4万3千人)や,乳癌(4万2千人)や,AIDS(1万7千人)で死ぬ確率よりも高いと発表したの
である。米科学アカデミーは,5年間に少なくとも50%以上医療過誤を減らすことを目的として,以下の医療過誤防止策を実施することを米議会に提言してい
る。(李 啓充 アメリカ医療の光と影(20) 医療過誤防止事始め(14)週間医学界新聞 2000年2月7日)
どんな組織であろうと事故は起こる。事故が起これば各事例について、広く議論し、原因を究明し、講じた予防策を共有する。事故が再発した場合には、再発原
因を究明して予防策を改善する。この繰り返しが事故リスク低減のための最良の手段である。事故が人命被害に直結する航空機・鉄道事故、医療事故についても、それぞれ事故調査制度が設けられているのは周知の如くである。では、司法事故の最重度型である冤罪事件についてはどうだろうか?これも周知の如く、検察がでっち上げを認めて、被害者に(!)謝罪したことなど、ただの一度もない。
To Err Is Human:検察真理教は既に崩壊しているのに
冤罪は日本の司法事故の代表例であることを踏まえれば、戦後最大の冤罪事件と言われた1949年の松川事件を
きっかけに、冤罪事件を対象とした司法事故調査委員会が生まれて然るべきだった。日本国憲法が保障する「公平な裁判所」における「公正な裁判」に反する司法事故として、米国の医療過誤防止システムよりもはるかに早く、ところが現実には袴田事件の再審無罪が確定した今日に至っても、司法事故
防止システム設立の動きは全く見られない。それどころか、検事総長が『本当は有罪なので控訴すべきだが、お情けで控訴しない』との負け惜しみ談話を発表して再審弁護団から逆ねじを食らう始末。(「謝罪できない病」にかかった検察組織)。
To Err Is Human:裁判所に対しても非難の声が
この事件では捜査機関(警察・検察)が有罪の証拠を「捏造」していた。「疑わしきは被告人の利益に」の大原則を捨て去り、捏造を見逃し、「疑わしきは検察の利益に」を実践し続けた裁判官たちの責任は限りなく重い。
検察だけを非難しては不公平というものだ。袴田事件で証拠を捏造した検察を58年間もの長きにわたって庇ってきたのは裁判所に他ならない。1981年に袴田さんは再審請求を申し立てるが、静岡地裁は、その後13年余り、これを放置し、証拠調べもせず、ある日突然、棄却決定を出した。
再審に関する審理の進め方についての規則がないために、担当の裁判官は(おそらく何代にもわたって)逃げ続け、そして、請求を退けた。その同じ日々、処刑
の恐怖に怯えながら耐えている袴田さんが、正に、同じ時間の中にいる、そこに思いを巡らすことは一瞬たりともなかったのか。「逃げ腰」どころか、これは裁判官による「不作為犯」というべきである。(里見 繁〈袴田事件〉日本の裁判史上、初めて使われた「捏造」の文字 集英社オンライン)
一般市民の無関心こそが法曹の「命綱」だった
こんな破廉恥な検察・裁判所にしたのは、彼らををここまで甘やかし、増長させたのは、一体誰なのか?答はもう、出ている。そしてみんなが知っている。裁判と一切関わりのない一生を送る一般市民である。裁
判に対する彼らの無関心さこそが、今日もどこかで発生している司法事故を招いてきた。しかし私は彼ら一般市民を責める気には到底なれない。
何故ならば、一
般市民にとって最も大切なのは平穏で幸せな日々だからだ。その平穏で幸せな日々のために成すべきことは、自分から徒に他者を攻撃することなく、そして他者
からの謂れなき攻撃を避ける、それ即ち裁判沙汰を避けることだからだ。それゆえ私は、裁判のような濁世塵土に対し無関心を装う一般市民を非難する気には到底なれない。なんと言っても私自身がそうだったのだから。 ある人物から手紙を受け取るまでは。
司法事故研究は私の宿命
今から15年余り前、長崎大学医学部で教鞭を執っていた私の部屋に、北陵クリニック事件再審請求審弁護団長を名乗る人物から意見書依頼の手
紙を受け取った。そこには私が大学院生時代勝手に弟子入りしていた、世界的に有名なミトコンドリア病の権威、埜中征哉先生(写真1、写真2)を含め、複数の小児神経/神経内科医がMELASを第一に疑っていることが記
されていた。こうして阿部泰雄先生から手紙を受け取ったのが2010年2月、その時以来私は、この史上最悪の冤罪事件の再審への取り組みが。正に自分の宿命だと覚悟するようになった。
ところが、今にして思えば、それよりさらに四半世紀近く前、後藤雄一医師が埜中先生との共論文で、MELASにおける遺伝子異常を世界で初めて見出した1990年よりもさらに3年前の1987年に、私と北陵クリニック事件との関わりは既に始まっていたことになる。
写真1: 1987年夏 私が研究生としてお世話になっていた国立精神神経研究センター研究所 テニス同好会の合宿。前列中央が埜中先生。後列右から3人目が私。4人目が北大精神科名誉教授・医学部テニス部OB・久住一郎先生。
写真2: 同合宿の夜の部。二人の美女の肩を抱いてご機嫌な埜中先生。その右後方でひょっこり顔を出しているのが私
恥知らずなのか?無知なのか?科学・医学を軽視・無視する裁判=司法事故との出会い
北陵クリニック事件に取り組むようになって驚嘆したのが、日本の裁判
において、科学、医学がいかに軽んじられているかだった。この事件では、科学研究の基本中の基本である実験ノートが提出されていなかった。何の
ことはない、そもそも実験ノートなど作っていなかった、実際に筋弛緩剤ベクロニウムの分子質量測定が適切に行われていたのかどうを示す証拠が一切提出されていない、実験ノートにハートマークが描かれていたSTAP細胞事件顔負けの体たらくだった。呆れるばかりの惨状だったが、市
民の運命を左右する決定がなされる場で、そんな杜撰な検証・事実認定が行われてきたのを知って、呆れてばかりはいられなかった。
2014年3月25日、北陵クリニック事件第一次請求審仙台地裁による棄却決定で、根崎修一判事は私の意見書を全面的に否定した、
棄却決定に対し怒りも諦念も全くなかった。ただただ、医師として書いた私の意見書を、脈の取り方一つ知らない根崎判事がなぜ棄却したのか?科学や医学では
決して説明できない、その心理と行動について、次々と湧き出てくる疑問や興味が抑えられなかった。
意見書抹殺:法曹に対する医学教育で遭遇した司法事故
こうなったら北陵クリニック事件一件だけでは足りない。臨床と同様、様々な裁判への関与を通しての法曹に対するOJT (On the Job Training)を実行するのに、躊躇いは一切無用だった。幸い私は法務省矯正局に籍を置く矯正医官である。全国の刑事施設(刑務所、少年刑務所、拘置所)には、医務部(医療部)や医務課などが設置され、病院又は診療所が
開設されている。そこでの診療に不備・過失があったとして、国を相手取り起こされる国家賠償訴訟への対応、具体的には、被告国の協力医として意見書を書く
ことによって、裁判実務に関わり、医学専門家の立場から裁判の問題点を考え、裁判所と原告にフィードバックする。それが、法曹に対するOJTである。
2015年1月から10年余りにわたる法曹に対するOJT、私が裁判に提出した意見書が抹殺され、日本国憲法が保障する「公平な裁判所」における「公正な裁判」に協力しようとした私の名誉が、法曹(裁判所・検察・代理人弁護士)によって次々と毀損された。そんな司法事故をこれから随時紹介・説明する。
→ 裁判官に対する科学・医学教育の必要性
→ 法曹に対する医学教育の実際
→ 司法事故とは
→ 北陵クリニック事件Q&A
→ 新コロバブルの物語
→ 表紙へ