法曹に対する医学教育の実際
−矯正医療に対する国家賠償訴訟を利用したOJT−

「ドクターGと仕事で御一緒できて光栄です」


あれは今から7年程前、2018年も押し詰まった頃だったろうか、矯正医療に対する国家賠償訴訟(国賠訴訟)で、国敗訴の可能性が高いと考えられていたにも関わらず、私の意見書で形勢が逆転した事案の最終局面、私が証言する期日(*1)の前日、東京法務局で行われた長時間の打ち合わせの休憩時間のことだった。飲み物を買うために寄った局内の地下売店で、担当の若手訟務部付検事(*2)から清々しい表情で声をかけてもらった。その 1年前、初めての打ち合わせの際、たまたま北陵クリニック事件に対する私の活動が担当チーム内で話題となり、「あれは全部でっち上げですから」と言い放った私を見て、顔が歪んでいた彼から、そんなふうに声をかけてもらえるようになった時、教育が世の中を変える手応えを感じた。

検察官だけはない。裁判官も医療訴訟に関わる。にもかかわらず、裁判官にも医学教育を受ける機会が全くない。このため、今日もどこかでトンデモ医療訴訟が行われている。私はそんな訴訟の品質向上を目指し、検察官と裁判官双方の医学教育を2015年1月から始めた。といっても新たに塾を開いたり生徒を募集したりしたわけではない。国賠訴訟という既存の行政訴訟を利用した、コストゼロのOn the Job Training(OJT:実地訓練)である。

国賠訴訟利用のOJTが効率的な医学教育となる理由
国賠訴訟における私の主な役割は、被告である国の代理人(刑事訴訟における弁護人に相当し国を弁護する)を務める法務局訟務部付検事(訟務検事)(*3) の要請に応じ、刑務所や拘置所での診療の妥当性について意見書を書くことである。訟務検事は若手の検事と判事補(裁判官に任官して10年未満)が交代で務 めるから、若手の検察官と裁判官の両方を教育できる。さらに、書面や証言によって、私の考えをわかりやすく裁判所に伝えることは、担当裁判官の教育にもな る。

国賠訴訟1件につき訟務検事は1人だからマンツーマンの教育となる。書面のやり取りだけでなく、担当チームのメンバーも交えてテレビ会議での打合せも行 う。判決までの何年もの間、人事異動で交代する場合もあるが、それでも私が直接やりとりできるのはせいぜい1件につき3人までだ。「中身は濃いかも知れな いが、果たしてそんなスピードで医療訴訟全体の品質向上が実現できるのか?」との心配は御無用。

私は神経学、総合診療、臨床研究、EBM、レギュラトリー・サイエンス等、様々な分野で教育に携わっているが、その教育対象母集団は医師だけでも30万人を超える。一方、裁判官は3000人足らず、検察官は2000人足らず。単純に人数だけで考えても、教育の効率は医師の場合の60倍。「自分の教育がトンデモ医療訴訟の撲滅に繋がる」と思うと教育にも自然と熱が入ります。この教育活動に対して、2018年3月には法務省矯正局高松矯正管区長から表彰状も戴いた。

さらに彼らの競争意識が学習の動機付けを強化する。金とブライドの両方を賭けた弁護士間の競争は言うまでもなく、裁判官、検察官それぞれの集団における出 世競争も、医師同士のそれとは比べものにならないぐらい激しい。さらに三者間にある緊張関係も互いに切磋琢磨するための原動力になる。

矯正医療に対する国賠訴訟の実態


‡:出廷・証言した裁判
裁判所に意見書を提出し証拠として採用され、その意見書内容について原告及び裁判所から質問を受けて回答も行ったが、意見書内容も証言内容も判決書では全て無視されていた。

2015年1月から25年年10月までの間、敗訴の可能性が否定できないとして私に意見が求められた国賠訴訟16件のうち、医療過誤が明白だった1件(無駄に 争わずに裁判の早期収拾を助言)を除く15件(1-12,A, B, C)を表に示す。 この15件全てについて、私は意見書を作成するとともに、テレビ会議も利用し、期日前の打ち合わせにも参加した。3件(‡)では出廷し証言も行なった。

関連診療分野は多岐にわたり、特定の診療科への偏りはな かった。2025年10月14日現在、15件のうち1件が国が全面敗訴同様の和解(A:4336万円の請求に対し、4320万円の賠償)2件が係属(B, C:まだ裁判が続いているという意味)、9件が請求棄却、 2件が勝訴的和解(7376万→500万)・(1265万→50万、1件が請求額2000万円に対し800万円の支払いを認める判決(§)だった。(§:生前診断は原因不明のショック。生前は吐血も下血も欠いたマロリー・ワイス症候群だった)

私への依頼があった時点では、No.1-No.12の例ではいずれも敗訴の可能性が否定できなかったにもかかわらず、これまで判決が出た5件では、全て敗訴を免れている。形勢逆転 の原因は、第一にそれまで訟務検事が気づいていなかった原告主張の重大な事実誤認を、意見書で私が明らかにしたこと、第二に、何回もの打ち合わせに参加 し、弁論や尋問の内容についても積極的に意見を述べ、証人として出廷するのも厭わず、担当裁判官の疑問に対して常に分かりやすい説明を心がけた点にあると 考えている。


*1  法廷での審理をこう呼ぶ。刑事裁判の公判に相当。このような符牒も、市民を裁判から遠ざける立派な障壁となっている。
*2  国を相手取った国家賠償訴訟では、民間人である弁護士は国の代理人(国を弁護する役)は務められないので、検察官あるいは裁判官が国の代理人を務める。このときは検事が代理人だった。
*3  国が行う法務を「訟務」と呼ぶ。これも、あたかも「官」が「民」よりも上、あるいは「特別」かのように印象づける表現となっている。「法務」で何が悪いのか、誰か何かご存じか??

参考ページ
裁判官に対する科学・医学教育の必要性−最高裁判所の不作為について−
訟務局の紹介(法務省のホームページ内)
裁判官数・検察官数・弁護士数の推移(弁護士白書2018年版から)

メモ:行政訴訟は稀,医療訴訟はもっと稀
行政訴訟は一般の民事訴訟のわずか1.4%(裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第7回) 2 地方裁判所における民事第一審訴訟事件の概況及び実情 2016年は,民事全体が148295件に対し,行政訴訟が2093件と極めて数が少ないため,多くの法曹が苦手意識を持っている。それゆえ行政法務(国の立場からは訟務)とを学べる職位として,訟務検事は特に若手法曹から人気が高い.医療訴訟は行政訴訟よりも更に少なく,834件(2016年)と,民事訴訟全体の0.6%にも満たない件数となっている.だから,医療訴訟に精通している法曹など,この世には存在しない!それゆえ,彼らにとって,医療訴訟は,原発訴訟同様に,苦手意識に苛まれる訴訟となっている.

法的リテラシー