医療事故訴訟は被害者を救済しない

医療者を業務上過失致死傷罪で有罪にする裁判が,真の事故原因を隠蔽することによって、医療事故再生産装置として新たに被害者を生み出していることは既に説明した.では,民事の医療過誤訴訟は被害者を救済するだろうか?また医療事故防止に役立つだろうか?そんなわけがない.なぜなら,刑事であろうと,民事であろうと,脈の取り方一つ知らない連中が裁判を取り仕切っているからだ.民事訴訟での原告代理人(弁護士)が,検事よりも臨床を知っているというエビデンスがどこにあるのか?

下記は,週間医学界新聞に連載の李 啓充氏の続アメリカ医療の光と影 第5回 Harvard Medical Practice Study (医療過誤と医療過誤訴訟)から

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ハーバード大学医学部・公衆衛生学部(HMPS)の研究者が,1984年にニューヨーク州の51病院に入院した患者からランダムに選択された3万人あまりのカルテについて,医療事故(adverse events)および医療過誤(negligence)の有無を子細に検討し,医療事故・過誤の頻度を調べるとともに,過誤訴訟との関係をも調べたのである。(中略)
(医療事故の)頻度の報告に続いて,HMPSは,その第3報で医療過誤と過誤訴訟との関連を報告したが,その結果はさらに衝撃的なものだった (N Engl J Med 1991;325:245-51)。第3報で対象とされた31429例の入院カルテの分析で,280例に医療過誤が存在したと同定されたのだが (Tabel 1),この280例のうち,実際に医療過誤の損害賠償を請求していたケースはわずか8例のみであった (Table 3)

一方,31429例のうち,過誤として損害賠償を請求した事例は98例あったが:
●その半数以上にあたる51例では、そもそも請求原因となった健康被害と入院との間に因果関係が認められなかった(Table 2)。
残りの47例でも、入院カルテに過誤が見いだされたのは8例のみであった。
●結局、98例中、健康被害が医療過誤に基づくと考えられたのは8例(8%)のみだった

つまり,実際に過誤にあった人のほとんど(280人中272人,実に97%)が損害賠償を請求していない一方で損害賠償訴訟の92%では,第三者による検討でも過誤は認められなかったのである。
 さらに,HMPSは過誤訴訟の帰結がどうなったかを10年間追跡したが,賠償金が支払われたかどうかという結果と,HMPSの医師たちが客観的に認定した事故・過誤の有無とはまったく相関しなかった。事故や過誤はまったく存在しなかったと考えられる事例の約半数で賠償金が支払われている一方で,過誤が明白と思われる事例の約半数でまったく賠償金が支払われていなかったのである。それだけではなく,賠償金額の多寡は医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度だけに相関したのだったN Engl J Med 1996;335:1963-7)。
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このように,医療事故訴訟の勝ち負けは,ほとんどの場合,過誤の事実とはまったく関係のないところで決まっている.だから,過誤訴訟の結果は,医療「過誤」を防止する努力や医療の質の向上をめざす努力を奨励することにつながらない。 むしろ,医療の質を本当に向上させることよりも,訴訟に負けないことが優先されることになり,だからこそ,米国の医療にDefensive Medicineが横行していると著者は主張する。過誤の被害を受けた患者が訴訟を起こさなければ被害に対する救済を受けることができないという制度は,救済制度として機能していないだけでなく,医療過誤の防止という観点からも矛盾だらけの制度だと,HMPSの著者は結論している. わが国でも、多数の医療裁判における判決の妥当性を検討することにより、民事訴訟もまた医療事故防止に無力である事が明らかになっている(田邉昇『弁護医師が斬る 医療裁判ケースファイル180』(中外医学社))。刑事、民事、国境に関わりなく、裁判が真相を究明しないことは、もはや事実というより公理である。

勝者なき医療事故裁判 :民事訴訟もまた真実発見の場ではない

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