新コロなんてどうでもいい
-バカに構うな 時間の無駄だ-
お怒りの非国民の方から
なぜ、「上の人たち」は物事の本質をとらえようとしないのか、それに応じた真に国民の命を考えた対策をとろうとしないのか、意識的に本質に目をつぶり、そこまで自分の面子や利権を大切にしたいのか、考えるとはらわたが煮えくり返ります。
お返事
お怒りの気持ちはごもっともですが,体によくありません。怒るのはそれがお得意な人にお任せして,我々は飽きもせずに裸踊りを繰り返す連中を尻目に平穏な日々を送ることにいたしましょう。気持ちを落ち着ける要点は二つあります。そしてその二つは一つに収束します。
●「コロナとの戦い」に勝者はいません。なぜならば「コロナとの戦い」なんて実在しないからです。だから勝者はいない.でも敗者はいる。誰が敗者か?当然「コロナとの戦い」を叫んだ人達です。では,敗者にならないためにはどうするか?簡単です.
これまで通り「コロナとの戦い」という幻覚妄想に決して囚われず,どんちゃん騒ぎから距離を置き,本来為すべきことに集中することです。「本来為すべきこと」は決して一つに固定されてはいない。個人により,その時の状況により,異なります。大切なのは「本来為すべきこと」を考えるのが「面白い」と感じられるかどうか。「面白い」と感じられれば「本来為すべきこと」が「やりたいこと」に変換されます.「やりたいこと」がわかれば「コロナとの戦い」なんてどうでもよくなります.「新コロなんてどうでもいい.大切なのは自分が幸せと思える時間」そう思える自分が見えれば,嘘つき村に対する怒りも消えていきます.
●「コロナとの戦い」が終わるのは「時間の問題」です。「時間の問題」というのは「間もなく終わる」という意味ではありません。早い遅いに全く関係なく,必ず終わるということです。もちろん私の,そしてもちろんあなたの人生と同じように(呼吸器使用のトリアージ)。新コロがただのコロになるのが時間の問題ならば,自分が死ぬのも時間の問題。そう考えれば,新コロのことなんかどうでもいい。自分の限りある命・残された時間を大切にしよう,今日一日を大切にしようと思えます。では,今日一日を大切にするとは具体的にどういう過ごし方なのか?簡単です.
これまで通り「コロナとの戦い」という幻覚妄想に決して囚われず,どんちゃん騒ぎから距離を置き,本来為すべきことに集中することです。「本来為すべきこと」は決して一つに固定されてはいない。個人により,その時の状況により,異なります。大切なのは「本来為すべきこと」を考えるのが「面白い」と感じられるかどうか。「面白い」と感じられれば「本来為すべきこと」が「やりたいこと」に変換されます.「やりたいこと」がわかれば「コロナとの戦い」なんてどうでもよくなります.「新コロなんてどうでもいい.大切なのは自分が幸せと思える時間」そう思える自分が見えれば,嘘つき村に対する怒りも消えていきます.
潜んでいる
> 札幌市に潜んでいます
> 知識もない私に出来ることありますか?子どもや孫たちにとって、楽しい暮らしの場を残してやれるでしょうか?
お返事
それでいいんです。知識は無駄です.むしろ邪魔です.それは知識をたくさん持っている偉い人たちに知性が全く感じられないことからもわかります.「潜んでいる」というのが一番賢いやり方です。それが「バカに構わない」「自分の時間を無駄にしない」ことですから。そのうちにあなたのように「潜んでいる」人がどんどん増えていきます。いやもう、サイレント・マジョリティ(沈黙する=潜んでいる多数派市民)になっています。マスクだって,実はみんな信用していないのです。だって「みんな」マスクをしているのに、新コロはそれと全く関係なく流行を繰り返していますもの。「みんな」知っているのです。でも「みんな」潜んでいるのです。なぜなら「ほんの一部に過ぎない本物のバカ」を挑発するような「バカな真似」をするのは時間の無駄だから。そう、バカは「ほんの一部」だけで、あとはあなたのような「潜んでいる多数派市民」。では気になる「ほんの一部に過ぎない本物のバカ」のバカとは誰か?それはマスクが本当に予防効果があると公言して憚らない人=誰が考えても嘘なのに平気で嘘が言える人です。例えば新コロで日本だけで42万人が死ぬと予言した某帝国大学医学部教授とか。
いろいろ御託を並べましたが,要するに「バカに構うな 時間の無駄だ」ってことです。盛者必衰・諸行無常は時間も空間も超えた根本原理です。オリンピック作戦という名の踏み絵は,東京裁判2021が既に開廷していることを示しています。
→人はどうでもいいことについて論争し、殺し合う
→新型コロナも実在しない
→新コロバブルの物語
→表紙