苦いカルテを取り戻す
その昔といっても1980年代だが、「苦いカルテ」という連載が日経メディカルにあった。「他山の石」として、愛読していた人も多いだろう。人気コラムだったと見えて、本にもなった。失敗知識データベースができるはるか以前から、沖中重雄先生の最終講義の前から、臨床には失敗から学ぶ文化があった。その文化が、脈の取り方一つ知らない連中によって破壊された。
メ
ディアは、最強の国家権力の犬となり、市民に対して、裁判が真相を究明し、事故再発を防ぐという嘘八百を吹聴し、市民を扇動することによって、患者家族を
含めた市民、医療者、行政の間に対立構造をでっち上げて葛藤を産生し、その葛藤をネタに収益を上げてきた。苦いカルテの連載が終わったのは、そんなデマ
ゴーグ達が跳梁跋扈する時代の中だった。
メディアは監視する相手を間違えている.医療者ではなく,監視すべきは捜査能力のない警察であり,真の事故原因を隠蔽し,裁判官と患者・家族・そして市民を騙す検察である.市民は信頼する相手を間違えている.事故調査制度を使って我々は事故原因を究明する.そして失敗知識データベースを作成し,知恵を共有しPDCAサイクルを回し,事故リスクの低減に勤めていく.ウログラフィン誤使用事故だって,警察への通報と医療を知らない一般マスメディアの報道さえなければ,どうすれば患者さんを失わずに済んだか,真摯な議論が行われ,事故原因が究明されたはずだ.だって私一人でだって,あれだけ事故原因が究明できたのだから.なのに警察への通報と一般マスメディアの報道が行われ,警察の捜査により診療録を含めた資料が一切押収され,事故調査ができなくなった.さらに裁判が行われ,裁判官も遺族も市民もみんな騙され,重大な事故原因が全て隠蔽された.
医療事故調査制度は、その苦いカルテを、脈の取り方一つ知らない連中の手から取り戻す勝負の第一
歩に過ぎない。その勝負で必要とされるのは、法的リテラシー・メディアリテラシーを備えた人材である。肩書きとか卒後年数とかは全く関係ない。自分の保身
のために大切な仲間の首を国家権力に差し出すような卑劣な腰抜けジジイ・ババアどもに用は無い。
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