声のお仕事

2016-02-12

川端裕人著 オール讀物連載2013-2015 文藝春秋社 ISBN978-4-16-390386-6 初版H28.2/10)

養成所放浪者の女性と主人公の駆け出し声優のワークショップの場面が一番心に残った。

 なにか完成された世界観があって(中略)既視感というか(中略)彼女が演じてくれて、ぼくも波に乗った。(164ページ)

 あらゆる仕事もそうだが、オリジナルと引写しは違う。  量産型のように皆で手分けして進める仕事には平準化が必要ではある。  型がついた伝統芸能だと、サザエさんのように、我を忘れる捨てる必要も出てくるかもしれない。  しかし、声優の仕事として、オリジナル「まだ誰も演じていないキャラで、まだ誰も演じて無いシーン」(P166平川先輩)では、世界観を完成させなければならず、既視感は存在しない。 主人公は小児病棟に居た時、リーダーシップに長けた女児の同室者が居て、オリジナルのお話を声で演じていた。その記憶は、退院とともに包み込まれて忘れがちであったが、男の子2名は声優として再会した。  最初から、オリジナルであったというのは、強味なのかも知れない。

算数宇宙の冒険 天空の約束 声のお仕事 川端裕人

ユーキがいう「気持ち悪い」は、僕も気持ち悪い

2009-12-13

算数宇宙の冒険 アリスメトリック!実業の日本社 ISBN978-4-408-53563-0 初版第一刷2009年11月25日©川端裕人

「宇宙は数で出来ている。…地球でもアンドロメダ星雲でも1+1=2。…あなたはそう思っている。」(p92)

やってきた転校生、那由の家で主人公の空良が聞かされた言葉である。那由のマンションは大変変わっている。携帯ゲーム機に戯れる下の子にタダイマとも言わずにリビングをつっきりマンションなのにある階段を上って那由の部屋に入る。まるで他の家族からは透明人間の様である。

桃山町には昔、星を渡る船が落ちたらしい。そして、first contactをした古くからの住民は船が埋まった土地を護り、その船が動く基盤である物理や数学の伝統を受け継いでいるらしい。
しかし、受け継がれた問題を解いて、星にのり出すというのが、「算数宇宙杯」という百山神社の神事として受け継がれているのだが、それは、決して生半可な形式的な物ではない。
バッドドリーム程度ならいいのだが。
科学は命懸け。
そんな事を伝えるにしてはこの小説は重すぎる。
定理や公理のレベルで、法則が異なる異世界との接点に、この町はあるらしい。

「うちの方針では、女の子はガリガリ勉強しなくていいんだって。地元の中学行って、高校も普通に行って…」「地元で育って地元で生きろって、河邑家って変にそういうの厳しくて。いとこのにいさんが留学したいって言ったときだって大騒ぎだったんだから」(p12-13抜粋)
「空良くん、いよいよだが。よろしく頼むよちゃんと普通にやってくれればいいんだ。神隠しとか、今度は絶対になしだよ」(p222)
幼馴染みの女の子のユーキの言葉とその父の言葉である。

主人公である筈の空良、寿司屋の祖父と暮らしている。部屋には父親の机があるが、その父親の姿がない。母の姿もよく見えない。父は音大を出て、音楽家として活動しながら、百山神社の神職として祭事にあたっていたがとの事だが、空良は母とその後一人親家庭で7年間育った。祖父とは濃厚な交わりを持つが、逢っていない父をどうか思う気持ちは普段、空良にはないようである。

「なんか、ここってさ、なんか記憶にあるようなないような…」(p38)

父がどう居なくなったという事すらも、記憶から抹消したかのような空良には、そうユーキに言われても、思い出せない。解が無いかの様に。しかし、神社の宝物殿に近寄ると動悸が走り不安に駆られる。
7年前幼稚園児であった空良には、当時当然ながら父が居た筈である。
が、リーマン予想の証明が上手く行かず、時空を弾き飛ばされたらしい。そして、その衝撃を心の漆喰で塗り込めた、空良が今、算数に巻き込まれる。

そして、今度は河邑家の娘がその矢面に立つとなれば、ユーキの父親として不安に駆られるだろう。目の前の男の子はその実例の遺児なのだから。河邑家には異世界の浸食が始っている。年の瀬というのに屋敷の湧泉から始る小川から稚鮎や川海苔が採れる。そういう、時空の歪みを糺して元に戻す「算数戦士」が娘なら、どうしても不安に駆られるだろう。
女の子は…留学は…。能力があれば戦いに曵き出され、実存を召し上げられてしまう事になるかもしれない、能力に気付かなければ、そういう酷い目に遭わなくても済むだろうという、そこはかとない親の期待が感じられる、家のDNAが吐露される瞬間が垣間みられる。
そして、異世界に引きずり込まれた面々は、真理の深淵に辿り着く。そこには捕われになっていた父が居て、再会を果たす。那由は進んで入り込む、まるで元居た世界に還るかの様に。ユーキも那由を追って行こうとするが、ユーキの父との約束を空良が果たして、引きはがす。

気がつくと、10月に戻っている。ユーキと空良が神社で2人して座っている。箒で落ち葉を掃いているのは空良の父だ。
父と居なかった筈の世界から、ずっと父と居た世界にやってきて、父から音楽を教わりながら日々を送る空良。
父は父であり、深淵を覗き見た父とは、また違う実存の様である。
それで、「神隠しとか、今度は絶対になしだよ」という、ユーキの父との約束が果たされたかも、判らないままに、物語は終わる。

π(x)=li(x)+O(√Xlog x)
神様がサイコロを振って素数の配置を決める時の法則。誤差項Oは、その法則の「許容範囲」みたいなものかも、ユーキがいう「気持ち悪い」と言うようなものではなく、あれは様々な存在しうる宇宙の「幅」を示すものなのだ。(p362)

さて、父や那由、そしてその他の世界からの登場人物は誤差項の揺らぎなのだろうか?考えるほど、落ち着きが無くなる。
時間も空間も一体になった中に、自我と実存の結び目として自分がいるんだろうか?そういう、自己同一性に疑念を起こさせる小説である。
「物理法則が異なる世界との衝突により、この世界が侵されるのを守る」
「掛け算ワールドに対して、足し算ワールドとして、リーマン予想を証明することにより、共通の理解と宇宙間の和平を取り戻す小説」
「誤差項の分だけ宇宙は多様性を持っており、違う世界に流されてしまって、地元で普通に生活を過ごすこともままならない焦燥に苛まれる小説」さてどれでしょう。
やりたい事見つけた?というユーキよりも、ユーキの父に共感を覚えつつ。

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