震災地での診療支援活動の記録

95年1月阪神淡路大震災: 95/1/24-2/1神戸市東灘区

1.震災とネットワークと私の行動
2.地域社会の災害と電子ネットワーク
3.池田正行.体験談にみる”役に立たなかった”例.金子郁容 VCOM編集チーム編.つながりの大研究.東京:NHK出版,1996:170-172.:95年1月の東灘区住吉での初心者ネットワーカーとしての体験をつづったものです.
4.神戸市東灘区住之江公民館での活動:
写真1,地域の地図で,活動している診療所と被災して閉鎖されている診療所を確認し,巡回地域を決めているところ 
写真2,同上
写真3 普通の記念写真

5.また,当時一緒に嵐山郷でご一緒させていただいた高木俊治先生の記録も大変参考になる

6.2007/1/28に,住之江公民館で,「あれから12年・・・震災が私にくれたもの」と題して,講演会を行ないました.→講演スライド

神戸新聞の記事(ネット)神戸新聞,毎日新聞の記事(紙面)

パワーポイントの配布資料,1時間半のお話,直接の取材(両社とも10分ぐらいの面接)と,材料は豊富で,両社共通だったのですが,出来上がった記 事は,神戸新聞70点,毎日新聞は0点でした.”国などが道路状況などを調べ、情報を提供してほしい”なんて一言も言っていないのに.取材する側が,”こ うあるべきだ”,”読者はこういう記事を望んでいるはずだ”という先入観がなせる技なのでしょう.

面接の時に,”新聞社の方々って,医者と同じで,何かというと叩かれて大変ですよねえ,その上,安い給料で忙しい中,一生懸命取材して,いい記事を書いて も,デスクに勝手に書き直されたり,ボツにされたりして,モチベーション落ちちゃいますよねえ”って,両社に同じことを言ったのですが,その時,うれしそ うな顔をしてくれたのが神戸新聞で,毎日の方は怪訝な顔でした.その差が記事の差になったのでしょう.

下記は公民館の方へのお礼の手紙

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新聞記事をわざわざ送って頂いてありがとうございました.
自分にとって住之江公民館での1週間が何だったのか、振り返って何らかの形でまとめなくてはと思っていたのですが、どういう形がいいのか決めかねて、この12年間、ずっと手付かずでおりましたところ、藤林さんからいただいたお手紙で、まとめる決心がつきました。
地域の方々の前でお話しするのも、私にとってはいい試練でした。何しろ、私自身は被災しているわけでもなく、たったの1週間、住之江公民館に居候していただけなのですから、ありきたりの話で居眠りを誘うどころか、浮わついた話で反感を買う危険性さえあったからです。
せっかく12年ぶりにお目にかかるわけですから、私の話を聞いてもらいたい。受け入れてもらいたい。そのためには、どうすればいいかと考えた末、あのよう な話になりました。その後、住之江公民館での経験を生かして、育ったところを見てもらいたい。おかげさまで、達者でやっていますってところを見てもらいた かったんですね。
吉泉さんにもお目にかかれて感激しました。戦友ですよ。当時多くの人がそうであったように、自分自身も被災しながら公民館の管理をなさっていた姿を思い出し、今日までよくぞご無事でと思いました。
皆様にもどうぞよろしくお伝えください。
池田正行
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04年10月中越地震: 04/11/5-7 小千谷市

災害時の情報ロジスティックの問題について,2005年8月に新潟市で行われた,医学生・研修医のための 第17回 家庭医療学夏期セミナーで,講演したときの要旨やスライドは→こちら
 

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