地域社会の災害と電子ネットワーク

要約
阪神・淡路大震災は,パソコン通信やインターネットといった電子ネットワークが大規模災害で使用された初めての例である.一部の報道はその活躍を華々しく伝えたが,今回の震災ではむしろ,以下のような問題点が明らかになった.すなわち,1.従来の電子ネットワークが遠隔地との結びつきを重視して,地域社会の結びつきをほとんど意識していなかったこと.2.電子ネットワークが,まだ一部の人のものにとどまり,我々のふだんの生活と深く結びついていなかったこと.したがって,電子ネットワークを今後の災害対策に生かしていくために,私は次のように提案する.1.電子ネットワークをふだんの地域社会での生活や福祉活動の中へ組み込む.2.電子ネットワークを特別視することなく,ありきたりの通信手段として普及させる.

I.はじめに
        阪神大震災は,パソコン通信やインターネット(コンピューターネットワーク同士を結ぶ,世界規模のネットワーク)といった電子ネットワークが大規模災害で使用された初めての例である.一部の報道はその活躍を華々しく伝えた.しかし,実際にはその問題点が明らかになったと言った方が正しい.社会全体から見れば,まだまだごく一部の人が電子ネットワークを活用しているに過ぎない.従って電話やファックスといった日常の通信手段さえも使いにくくなった被災者が,電子ネットワークの恩恵を十分受けることはなかった.電子ネットワークは今後加速度的に普及するが,その普及の仕方次第で,有効な災害対策にもなるし,あるいは全く正反対に被害を増大させる要因にもなる.この論文では,私自身のささやかな活動で得た経験を交えて,今後の災害対策で電子ネットワークを活用するためには何をすべきかを提案する.

震災によって明らかになった問題点

電子ネットワークはまだまだ特殊な通信手段である
代表的な電子ネットワ?クに,ニフティサーブ,PC-VANといった,大きなパソコン通信網がある.これらの組織でもその会員数はそれぞれ100万人に過ぎない.しかもその多くは,年齢が20代から40代で,身体が健康で経済的にも恵まれている人々だ.一方,65歳以上のいわゆる高齢者は,実に日本人の7人に1人の割合となっている.これらの人々を無視してしまっては,ネットワークの健全な発達は望めない.

II. 電子ネットワークをありきたりの通信手段にしよう
        電子ネットワークを災害対策で有効に使うには,その使用を災害時や医療面だけに限定せず,我々のふだんの生活に組み込んでいかなくてはならない.というのは,ふだんから使い込まない通信手段は大災害の時には役立たないからだ.理由は簡単だ.ふだん使っている手段であれば,大小様々な事故が起こるから,それだけ予備の仕組みも充実する.しかし,ふだん使わない通信手段では,事故の際の対応など考えないから,大災害に伴う予想外の事故に対応できるはずがない.だから,防災無線とか,非常用の衛星通信システムとかが,今回の震災で使いものにならなかったのはむしろ当然なのだ.我々には,災害に対する特別な準備のための余計な時間も資金もない.だから,電子ネットワークを災害に適応させるために最も合理的な方法は,電子ネットワークをふだんの生活の中に組み込み,使い込んでいくことである.
        電子ネットワークがありきたりの通信手段になれば,社会からも認められ,災害対策でも使いやすくなる.実は私自身,コンピューターとモデムを被災地に持ち込むかどうか迷った.炊き出し,水くみ,瓦礫の片づけに皆が必死になっているときに,机を占拠し,座り込んでキーボードを叩き続ければ,被災者の強い反感を買うと思ったからだ.電子ネットワークの操作はどこで行えても,情報を収集するのはやはり被災地だから,被災地で電子ネットワークが認められなければ,災害対策に役立てることは出来ない.
 今回の震災でも,情報ボランティアの多くは,モデム付きのパソコンを持って被災地に押しかけた.彼らは連絡調整役としての実績を示すことによって,被災地でも電子ネットワークが役に立つことを認めてもらおうと必死に努力した.しかし,災害時の努力だけでは限界がある.では,電子ネットワークが社会で認められるようにするためにはどうしたらいいのだろうか.

        II-1. パソコンとモデムをありきたりの機械にしよう
        まずはじめに単純な問題を考えよう.それは機械や設備をそろえることだ.震災直後の時期では,パソコンとモデム,それに電話配線が決定的に足りなかった.この問題を解決するために,公けの施設で電子ネットワークの設備を充実させる必要がある.なぜなら,公けの施設は被害を受けにくく,したがって避難所になり,災害対策の拠点になるからだ.特に学校や公民館,図書館などの教育施設にはパソコンを備えやすい.ここで問題なのは,これらの教育施設では,その大きさにくらべて電話配線の数がとても少ないことだ.コンピューターを用いた教育では,電子ネットワークの知識も必要となる.だから,これらの施設では,パソコンを整備する際に同時にモデムと電話配線も充実させるとよい.

        II-2. 電子ネットワークをだれでも使える通信手段にしよう
        次に電子ネットワークを使う人のことを考えよう.災害時の通信手段は,高齢者や家庭の主婦も含めた被災者自身が使えて,はじめて意味がある.電子ネットワークの利用者の中には,”電子ネットワークは便利な仕組みだから,放っておいても自然に普及するだろう”という考えの人も多い.しかしこのような考えの人ばかりだと,電子ネットワークはいつまでたっても一部の人々に独占されたままで,電子ネットワークを扱える人と,そうでない人の間の差は広がるばかりだ.
        電子ネットワークをだれでもが使える仕組みにするためには,それを扱える人が,扱えない人に協力することが必要だ.しかし,現実はそうではない.たとえば,電子ネットワークの操作を学ぶ機会を考えてみよう.現在は,専門学校や,パソコンメ?カ?や民間のカルチャ?教室が中心だ.講習は平日の昼間の時間帯で,しかも料金がひどく高い.大学などの教育機関内部では,インタ?ネットを無料で使い放題のところも多い.しかし大学の周辺に住む人々は,そんな事実さえ知らされないでいる.
        これらの問題を解決するにはどうしたらいいだろうか.まず電子ネットワークに関する人材が豊かな組織,例えば電子ネットワーク関連企業や大学などの教育機関が,無料の講習会を開くとよい.電子ネットワークの普及は,企業の利益になるはずだし,公的教育機関は地域社会に貢献する義務がある.米国の大学では,地域住民に電子ネットワークの利用者番号を配布しているところもある.また電子ネットワークに詳しい個人も,高齢者や家庭の主婦など,電子ネットワークに疎い人に対して,自分の知識と技術を進んで提供するべきだ.電子ネットワークを扱える人々が,このような地道な活動を続けることによって,はじめてこの仕組みが社会に認められるようになる.
 
III. 地域医療の中の電子ネットワーク
        災害医療は地域医療が端的な形で現れたものだ.沢山の人員がどんな高度な設備を持って被災地に乗り込んできても,どこにどんな患者がどれだけいるのか知らなければ全くの無駄に終わってしまう.今回の震災で,淡路島では,地元の医療機関の体制を熟知している救急隊が,重症度により患者の搬送をふりわけた.その結果,患者の転送が少なくて済み,診療側が治療可能な症例に専念できた.また,外傷者の診療がなくなった急性期を過ぎても,地元の実情をよく知っている保健婦がいたところでは,慢性疾患患者の掘り起こしや地域の人々の健康状態の把握が効率よくできた.
        電子ネットワークというと,何か遠くと連絡をとることが思い浮かぶが,そうではない.災害時には情報網が混乱するために,最も大切な,自分のいる地元の情報が正確に伝わらない.このような状況でこそ,電子ネットワークを活用すべきなのだ.また災害の急性期が過ぎれば,寝たきり老人や精神疾患患者の受け入れといった,福祉の問題がすぐさま生じてくる.このような,地域医療と福祉の密接な連携が必要な状況でも,電子ネットワークが威力を発揮する.
 
 

V. パソコン通信かインターネットか
        現在使われている電子ネットワークとして,パソコン通信とインターネットがある.災害時の通信手段として,インターネットはパソコン通信に比べて二つの利点を持っている.第一は画像を扱いやすいこと.第二はインターネット自体,もともと核戦争を前提として発達しただけに,災害により強いことである.パソコン通信の方が優れている点はその手軽さである.特別な高速通信回線を必要とせず,安い料金で利用できるパソコン通信は,”ありきたりの通信手段”にふさわしい.インターネットでの情報発信は,まだ誰でも手軽に出来るというわけではないので,普遍性の点ではパソコン通信に劣る.また,インターネットでは飛び交う情報の交通整理役がいないので,災害時には,どこにどんな情報があるか,わからなくなる恐れがある.とくに地域の情報が重要になる災害医療では,インターネットの広がりは,むしろ欠点となりかねない.結局,災害医療のための通信手段としては,どちらか一方を取るというより,お互いの欠点を補って共存の形となるだろう.

VI. 結語
 阪神大震災で電子ネットワークが大活躍したというのは明らかに過大評価だ.電子ネットワークを災害医療で活用するためには,解決しなければならない問題がまだ多い.特に大切なのは,電子ネットワークを特別な通信手段にしないことである.ありきたりの通信手段,地域医療に直接結びついた通信手段でなければ,災害医療には役立たない.
 

VII. 謝辞
自ら実践することによって,私を被災地に向かわせてくれた埼玉県立コロニー嵐山郷 高木俊治先生,神戸市東灘区住之江公民館のスタッフと地域住民の方々,関西NGOネットワーク医療ボランティアの方々.これらの人々の協力がなければ,問題点を掘り起こし,解決策を考えていくという貴重な体験の場が得られなかったでしょう.厚く感謝します.