わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 1
(TOJIMBARA Kageaki:History of Epidemics and Prevention of Rabies in the Dog in Japan) |
唐仁原 景昭 |
日本獣医史学会第39号 (2002年1月20日発行)より転載 |
|
お断わり 本稿は日本獣医史学会の好意により日本獣医史学
雑誌より本ホームページに転載を許可されたものです。 |
|
|
|
|
はじめに |
|
狂犬病は、 人畜共通伝染病として最も重要な病気の一つであるが、 わが国からその姿を消したのは昭和32
(1957) 年であるから、 もう44年間も発生がないことになる。 換言すれば、 狂犬病の真症の病例を体験した人々は、
年々少なくなっているといえるであろう。
|
|
|
これだけ長期間にわたって発生がないのであるから、 犬に対して法に基づいた狂犬病ワクチンの予防注射をもう中止してもいいのではないかという声も聞かれる昨今、
いったいわが国にこの病気がいつ頃どこに侵入し、 どのような流行をしてきたか、
どれだけの人と動物が犠牲になってきたか、 また人々はこの病気といかに戦い、
どのようにしてこれだけ長期間にわたって清浄化を保つことができたのだろうか、
現在の防疫体制は解除しても本当に大丈夫なのだろうか、 等々さまざまな疑問が生じ、
それらを明らかにしようとしたのが、 この研究の発端であった。 |
|
|
筆者自身獣医師であっても本病例に遭遇したことはなく、 狂犬病予防を管掌する公衆衛生行政に携わったこともない門外漢である。
また史料も完全に収集し得たわけではないが、 犬の狂犬病とその防疫の歴史に関する本研究を叩き台として識者のご批判を仰ぎ、
今後の研究の促進が図られることを願って、 ここに不完全ではあるが敢えて管見を公表させていただくこととした。 |
|
海外における狂犬病 |
|
狂犬病がいつ頃地球上に出現したかについては定かではないが、 古代バビロニアのHammurabi
王 (在位1729〜1686B.C.) により発布されたハムラビ法典に既に記載され、 古くから知られていたという
(1) 。 紀元前4世紀にギリシャの Aristotelesが、 本病は咬傷によって動物及び人に伝染するものであることを記載しており
(4) (5) 、 この頃には既に悲劇が起こっていたものと推察することができる。 |
|
|
紀元1世紀の頃、 Celsus は人の狂犬病について初めて言及し、 恐水病という名称を冠して咬傷部の焼灼を提唱し、
なんらかの処置を施さなければ恐水病を発症して危険に陥ることを警告している
(4) (18) 。 また、 Dioskoridesは本病の予防法として咬傷部の剔去を勧めている。
紀元2世紀に Galenus は、 咬傷部を切除すべきと記載し、 セリウスはその他の脳炎及び騒狂との鑑別法として、
発生症状及び発病の時期を記載している。 さらにオロスマリアは、 発病は時期的に一定せず40日後あるいは半年、
1年後にも発症することがあり、 すでに発症したものは救助の方法がないことを明らかにしている。
臨床症状はほぼこの時代に、 既に今日と大差ないところまで明らかにされていたことは、
驚くべきことである。 |
|
次のページ→ |