感染症トピックス 研究会目次


わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 5
 
狂犬病予防に関する法律と規制
  古代の養老元 (717) 年に発布された 『養老律令』 には、 狂犬の殺処分に関する規定があり、近代における狂犬病予防法と同様な条文が既に明記されていた。 また、江戸時代の元禄5(1692)年の『生類憐みの令』には、狂犬の繋留義務が規定されていたことは、3章で既に述べたとおりである。
 
  明治期以降において狂犬病防疫に対応するために、 行政当局はどのような法・規制を講じたのかについて、以下に述べてみたい。
 
1 東京府畜犬規則 明治6 (1873) 年4月2日付 坤第49号達
  首輪の装着と飼い主の住所氏名の明記と不装着犬の殺処分、 狂犬は飼い主が殺処分し、道路上に狂犬がいるときは警察官はじめ誰でもこれを打殺し、 経費は飼い主が負担すべきであること、猛犬は鎖で繋ぎ、 他人の家畜を害した場合に飼い主は補償金を支払うべきこと、畜犬が人を殺傷したときは誰でもこれを打殺し、飼い主は補償金を支払うべきことなどが規定されている。
 
2 畜犬取締規則 (改正) 明治14 (1881) 年5月18日 警視廳令甲第27号
  畜犬取締規則は地方警察令として畜犬の取り締まりをしていたが、 その主な改正点は、畜犬が伝染病に罹った徴候があったり、 狂猛な犬の飼い主はその犬の繋留義務と所轄警察署への届出、行方不明となった犬を探す場合の所轄警察署への届出、 無標の犬を捕えて警察署が1週間飼育する場合は、その犬の飼い主は1日につき25銭を負担すべきことなどが定められた。
 
3 獣疫豫防法 明治25 (1892) 年3月29日 法律第60号
  明治19 (1886) 年に獣類傅染病豫防規則 (農商務省令第11號) が発令されていたが、2回目の牛疫侵入があったこと、 その他各種伝染病、 狂犬病などが流行し、規則のみで防御できるレベルではないとして、 狂犬病を法定伝染病に指定し、また犬を獣類として法の中に加えて法律としての位置付けが確定した。
  即ち狂犬病もここに初めて法定伝染病として規定し、獣疫豫防法の制定により防疫に当たることとされた。
  従前の畜犬取締規則と異なるところは、前者が畜主の責任と負担をそれぞれ明記して規定したのに対し、この法律では狂犬病の犬の病性鑑定のための処分に関しその犬については経費を国庫負担として、逆に手当金を下付することになった。 そして、防疫対策は個人レベルのものでなく、国として対応しなければ実効を期し得ないという意識変革に基づく重要な法律の制定である。
 
4 獣疫豫防心得告示 明治30 (1897) 年2月24日 農商務省告示第4號
  狂犬病の犬は撲殺することとし、 潜伏期間中の犬は厳重に鎖錮し、 徴候が発現したときは直ちに撲殺するよう具体的対応方法を明示した。
 
5 家畜傳染病豫防法 大正11 (1922) 年4月10日 法律第29号
  狂犬病の予防撲滅には抑留の措置によって浮浪犬の取締りをすることが有効な手段であるとして、地方長官は警察官が公共用地その他の場所に徘徊する犬を抑留し、 所有者に通知して引き渡すが、所有者が不明な時はその旨の公示を3日間行い、 その期間内に返還請求がない場合には、期間経過後地方長官はその犬を処分することができることを定めた。
 
6 狂犬病予防法 昭和25 (1950) 年8月26日 法律第247号
  大正11年に家畜伝染病豫防法が制定された後も、 狂犬病の発生は減少することがなかった。この法律では狂犬病が家畜伝染病の一つに過ぎず、 所管も農商務省畜産局であったため、人の恐水病の発生に危機感を抱いた内務省衛生局は独自に対策会議を開催しようとして、両局の間に所管を巡って軋轢が生じた。 これが内務省移管問題である。
  大正13(1924) 年7月に内務省衛生局長は、 狂犬病予防会議を開催すべく関係者に通知したことに対して、旧家畜傳染病豫防法の所管官庁である農商務省畜産局長は、犬についての狂犬病の予防行政の所管は農商務省にあり、必要あれば農商務省に照会すべき事項であり、注文があれば農商務省に申込むべきであるから、打ち合わせ会に出席する筋合いがないとの抗議を行った。
 
  これに対し内務省衛生局長は、 狂犬病の予防は恐水病予防を主眼とする次第であり、恐水病主管局である衛生局が狂犬病の予防並びに畜犬の取り締まりについての国の事務を取り扱うのは当然であるとして反論した。両者の論争はその後も続き、 内務省は昭和元 (1926) 年にこの所掌事務移管問題を行政調査会に提案したので、昭和2 (1927) 年の閣議決定により内務商へ移管し、3年にも及ぶ論争は決着した。
 
  昭和3 (1928) 年以降は徐々に狂犬病の発生は減少し、 昭和18 (1943)年にはついに東京都での1頭の発生にまで防遏したが、 翌19 (1944) 年に東京を中心に発生が増加傾向を示し(表3参照)、 全国で犬746頭の発生があった。 第二次大戦後の混乱期には、 牛、馬、 山羊、 豚を含む発生状況になっており、 昭和24 (1949) 年には猫の狂犬病に法律を適用して、その防疫がすすめられるに至り、 新たな法律制定による対応が望まれるところとなった。
  占領下の日本国内で狂犬病が続発するという危険な状況を重視したGHQは、日本政府に対し狂犬病の予防に関する単独法の公布による防疫の推進を示唆するに至った。そこで臨床獣医師としての経験を生かした原田雪松衆議院議員は、 かかる情勢から議員立法による単独法として第8国会に提案し、ここに狂犬病予防法が公布され、 即日施行された。
 
7 家畜伝染病予防法 (改正) 昭和26 (1951) 年5月31日 法律第166号
  大正11 (1922) 年制定の旧家畜傳染病豫防法と昭和26 (1951) 年改正の家畜伝染病予防法のなかでの狂犬病予防に関する事項について、旧法で犬の狂犬病予防に関する事務について、 法律上は家畜伝染病の中に含まれていても内務省で所管し、犬以外の家畜の狂犬病予防については農商務省で所管することになっていた。しかし、 狂犬病予防法が単独法として公布されたことにより、 犬の狂犬病については家畜伝染病の種類の中から除外され、改正家畜伝染病予防法の中では、 牛、 水牛、 馬、 めん羊、 山羊、 豚のみがその対象家畜とされた。
 
8 狂犬病予防法 (改正) 平成10 (1998) 年10月2日 法律第115号
  昭和25 (1950) 年に単独法として公布された本法であるが、 その当時愛玩動物としては飼養が一般化されていなかった動物が、近年狂犬病発生地域から頻繁に輸入されるようになり、 犬に対する対応のみでは国内への侵入を排除できない状況となった。そこで、 狂犬病発生時の措置及び輸出入検疫の対象動物として、 犬に加えて猫、アライグマ、 スカンク、 きつねが加えられ、 平成11 (1999) 年4月1日から国内発生時の届出、平成12 (2000) 年1月1日から輸出入検疫制度が施行されたことにより、 さらなる狂犬病予防対策の徹底が図られることになった。
 
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