サルでもわかるEBM

総論
EBMは何のため?誰のため?
医師のための生物統計・臨床疫学参考書
医師側のNBM
大道芸人達
診療司令塔としてのEBMマネジャー
EBMを嫌う人々
ヒポクラテスよりも前から
すでにあなたもEBM
EBMという言葉がなくなる日
EBMでこそ症例報告は重要
EBMの起源(ソクラテスと名郷直樹の共通点)
最大公約数を父と慕う

各論
ある非論理的な言語についての考察(あるいは根拠に基づいた原爆投下という妄想)
高山病にダイアモックス?
最新医学のサボり方(別ページ)
患者さんの希望とエビデンスの強さ
認知症診断バッテリへの疑問
検査後確率
検査前確率の重要性
名 郷先生の講演(すいません,リンクだけの手抜きです):

EBMの小道具
NNTを簡単に出す
検査後確率を簡単に出す

総論
EBMは何のため?誰のため?
頑迷な年寄りの教育のためだろうか?研修医や学生の勉強のためだろうか?症例検討会での実りある議論のためだろうか?もっと普遍的に医者同士のコミュニケーションツールだろうか?多分,どれもそうなのだろう,でも,患者が出てこないね.EBMは患者のためにはならないのかな?そうじゃないよね.

では,「どうやったらEBMのご利益を患者に還元できるか?」 EBMで,より良い医療ができれば だって?本当かい?EBMでより良い医療が実現できるってエビデンスがあるの?そもそも,より良い医療って何さ?患者のためになる医療?それって循環論法ってやつじゃないの?患者のためになることがより良い医療の定義なら,患者から拒否されれば,いくら素晴らしいエビデンスがあっても悪い医療ってことになるよね.でも,いくらNarrativeが大切といっても,患者から拒否された医療が全て悪いってことでもない.

かなり苦しくなったよね.EBMを巡る議論を真面目にしていたのに,どうしてこんな迷路に迷いこんじゃったんだろうね.多分ね,「どうやったらEBMのご利益を患者に還元できるか?」という疑問の前提にある仮説,つまり,EBMにはご利益がある.患者にはそのご利益をほどこさなくてはならない って自動思考,医者特有の独り善がりに問題があるのだよ.

EBMそのものにご利益なんかないのさ.せいぜい,これこれのRCTではこんな結果が出ている.コクランのシステマティックレビューではこういう見解だ そんな風に居並ぶ白衣の人々を煙に巻くのがせいぜいさ.でも,RCTとかシステマティックレビューとか言ったって,肝心のお客さんは納得してくれない.これじゃあ,ご利益とは言えないだろ.

EBMは道具に過ぎない.それも,患者と医者のコミュニケーションの際に使うアイテムだ.医者同士でEBMの議論をするのも,患者とのコミュニケーションを円滑にするための演習に過ぎない.そして,EBMだけで診療を乗り切ろうとするのは,金鎚だけを使って家を立てようとするぐらい無謀なことだ.

EBMは道具に過ぎない.打ち出の小槌ではなく,単なる鎚に過ぎない.それをどう使うかが問題なのだが,使える場面が杭打ちに限られているのに何でもできると思い込んでいると,EBMの最も重要な意義,つまり,わからないことだらけだということがわかっても,失望が大きかったりする.

では,EBMの魅力はどこにあるのか?それは,ここまでしかわからないという限界が明らかにすることにある.限界が明らかになれば,医者が無理矢理神様にならなくても済む.EBMは,医者は神たるべしという,自動思考,根拠のない圧力から,医者を解放してくれる.だから,神様を目指す(あるいは占い師として尊敬される)ことに危険を感じる医師は,EBMを歓迎する.一方,神様を目指そうとする医師にとっては,EBMは邪魔な存在だから,攻撃することになる。

医師のための生物統計・臨床疫学参考書
7年目のある優秀な神経内科医から、生物統計・臨床疫学の勉強をしたい。ついてはいい参考書はないかと訊かれたので、次の順番で読むように伝えた。

1.データはウソをつく―科学的な社会調査の方法
2.How to Make クリニカル・エビデンス
3.臨床医による臨床医のための本当はやさしい臨床統計―一流論文に使われる統計手法はこれだ!
4.臨床試験の進め方

医師側のNBM
心房細動患者における脳塞栓予防には、後期高齢者でもワーファリンを推奨する論文を受けて)
EBMと相補的な概念としてnarrative based medicine (NBM)があります。客観的なエビデンスと、患者さんの属性・個人的な条件(患者さん個人の考えから患者さんを取り巻く地域環境まで)の両方を考慮して診療が行われるわけですが(←実はこれ昔からやっているんですが、NBMと表現すると、さも10年前から始まったように聞こえる)、NBMは後者に関連します。

通常は、NBMは患者側のことしか考慮しませんが、医師側のnarrative(通常のEBMとは異なる医師の個人的な考え、感情)も診療行動に当然大きく影響します。大きく影響するのに、医師側のnarrativeは非常に論文になりにくい。EBMとNBMでは圧倒的にEBMばかりが論文になる。それは論文にしやすいからなんであって、何もEBMの方が偉いからじゃないんですが、このように、publication biasが甚だしいから、診療では必ず使っているNBMなのに、意識に昇ってこない、議論の対象にもならない。

(上記論文を受けて、ある循環器内科医のコメント)
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アスピリンとワーファリンの件も、私の場合はワーファリンのイメージも悪く、多分よっぽどハイリスクでなければアスピリンで押してしまうでしょうが、たぶん他の循環器内科医だったらうまく患者さんを説得できるかもしれません。同様に、私だったら狭心症疑わしい人には、インターベンションをやってきた私は強力にカテを勧めたりしますが、他のかたは、「様子を見つつ」と思われるかもしれません。結局個人の医師の考えもあり、また経験には限りがあり、エビデンスベースと、言ってはいるものの、なかなか難しいところです。
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医師個人によってnarrativeは異なるわけです。これを医師側の”bias”と呼ぶと何やら悪者に聞こえますが、narrativeと呼ぶと中立的に聞こえます。上記の問題に関するnarrativeの例を挙げてみます。

○ワーファリン投与中に脳出血が起きたら、まず助からない。アスピリン81mgならまだ何とかなるかもしれないと考えるか。
○脳出血を起こしたら医者の責任にされる可能性が高いが、その可能性を低減する作戦にどこまでこだわるか、あるいは、ワーファリンを投与せず、アスピリンにする方向に誘導するか
○いったん脳梗塞を起こしてからでないとワーファリンに納得できない

上記の点だけでも、医師個人によってnarrativeは異なる上、さらにやっかいなことに、医師のnarrativeは患者からの影響を大きく受ける。narrativeが医師・患者間の相互作用で変化するから、変動、ノイズだらけなんですね。だから論文になりにくい。だからこそ、未知の部分があって面白い。たとえば、Road to BMJで提案した、”重症患者予知のためのお告げの研究”なんかがそうです。

先日紹介した、Annals of  Internal Medicineの医師の舌先三寸で患者の理解が違ってくるという貴重な論文がありましたが、あれは例外的にnarrativeの一部が論文になった。また、ランセットに載せた私の小品も典型的なnarrativeです。

21世紀は、質的研究の方法論などを使って、NBMの研究が盛んになるでしょう。NBMは決して研究できないわけではなく、社会科学の分野では疾うの昔からやっていることです。社会科学の分野では、RCTでノイズを排除するという贅沢な方法が採れないので、昔から現実に近い方法論、対象集団、でやっているのです。多くの臨床医は、行動科学とか心理学の研究を馬鹿にしてきましたが、これからは、臨床医が行動科学者や心理学者に教えを請わなてくはならない時代がやってきます。
 

大道芸人達

(下記は、あるMLでの書き込みである)

> ただ,EBMを誤解したまま定着してしまった場面も多くお見受けするので,ぜひ,
> エキスパートと呼ばれる方々には,正しい方向に修正していただくように”布教
> 活動”を継続していただけるといいなと思うわけです.

そうですね。どんな布教活動でも、大切なのは、”面白い仲間がいること。その仲間が増えていくこと”です。ですからEBMの正しい普及のキーワードも、” EBMは面白い→EBMをやっている人間達が面白い”でしょうね。大道芸の道具だけ、博物館みたいに展示していたのでは、面白さは決してわからない。実際 に面白く使えるところを見せて、私もやってみたいと思ってもらわないと。

私は2002年11月、金沢のワークショップで、初めて名郷直樹先生を直接見た時、あの、華やかな雰囲気が誰かに似ている、誰だろうかと思ったら、ビート たけしだったんですね。そう思ってみると、金沢の会場には、個性あふれる芸人がたくさんいた。いえ、チューターばかりでななく、フロアの参加者の中にもた くさん。みなさん、自分では芸人と意識していませんでしたが、新潟の国立療養所で芸に飢えていた私にはすぐにわかった。

”Lecture is a show”味わい深い言葉です。講師だけが芸人ではないのです。参加者みんなが芸人になって、劇を作っている。だから、ワークショップで議論していると、 こんな芸があります。こんな小道具があります。使ってみてくださいって、デパ地下の食品売り場の試食みたいに、ただで、どんどん品が出てくる。こりゃすげ えって、はじめて遊園地に行った子供みたいに興奮しちゃったわけです。私にとってワークショップは、落語や歌舞伎を見に行くノリなんです。ただ、観賞する だけじゃなくて、芸を盗む目的もあります。

EBM布教活動のヒントとして、一つoutcome-based thinking(常に成果を考える:結局それやったらどうなのよという問いかけを大切にする)があります。たとえば、”患者さま vs 患者さん”呼び名問題の議論は、規則とか、倫理とか、各人によって定義、概念がばらばらなプロセス評価ばかりしているから、不毛のぐるぐる回りの議 論になってしまう。

そこで、”患者様”と呼ぶことのアウトカム評価をして決着をつけようと提案するのです。そうすると、ところで、”患者様”と呼ぶことアウトカム評価のを行 うとしたら、どうしたらいいかという議論になる。そこでEBMの出番が来る。評価の場面は、受付窓口にするか、各科外来にするか、評価項目はどうするか、 観察研究にするか、介入試験は可能か、対照はどうするか・・・・

医療サービスを巡る議論の多くは、プロセス評価や、意義不明の代用エンドポイントを相手にしている。だからつまらない。より実のある議論、効率の良い仕事 →より面白い人生のためには、outcome-based thinking、それに役立つのがEBMというわけです。
 

診療司令塔としてのEBMマネジャー
EBMマネジャーと聞くと,奇異な感じを受けるかもしれませんが,実は前例はたくさんあります.それは臨床検査技師・中央検査室,診療情報管理士・診療録 の中央管理,リスクマネジャーといった職種です.

昔は,医者が自分で血算,検尿,検便といった臨床検査をしていました.しかし,今は中央検査室で臨床検査技師がほとんどの検査業務を行ないます.そ の背景には,臨床での仕事量やデータの量が増大し,とても医者の片手間仕事では手に負えなくなってきたからです.だったらEBMの過程も医者がやるより, 専門職がいてもいいんじゃないでしょうか?医者からステップ1の問題呈示を受けて,ステップ2&3をEBMマネジャーが担当するんです.医者はその結果を 受けてステップ4に行けばいい.

up to dateやクリニカルエビデンスを参照して素早くエビデンスを検索してくれる.込み入った問題に対しては,MEDLINEを適切に検索して,批判的吟味ま でしてくれる,そんなマネジャー,欲しいですよね?そんな”高級な”仕事,医者じゃなくちゃできないだろうなんて思います?でも実際はそうじゃない.たと えば,2002年に金沢のEBMワークショップに来ていた169人のうち,医者は69人だけでした.臨床検査技師にも,診療情報管理士にも,リスクマネ ジャーにも,医者が到底できないような高度な仕事を立派にこなしている人がたくさんいます.

何でも分業の米国にさえ,そういう職種はまだないから,日本ではまだまだと思いますけど,もし,自分がEBMマネジャーだったらどうするかと考え, 自分が職場のバーチャルEBMマネジャーになることは,あなた自身の診療に役立つことは間違いなし.優れた指導医って,EBMマネジャーとして機能してい るのです.

願わくば,そういう指導医には,診療実務負担を軽減してあげて,もっとEBMマネジャーとしての力を発揮させてあげたいのですが,研修医の労働時間 制限もあって,現実には逆に診療実務負担が増えているという悲しい現実になっていません?.

EBMを嫌う人々
EBMをやたらと批判したり,嫌う人種も,希少種となりつつあるが,絶滅はしないだろう.なぜなら,こけおどしの権威にすがろうとする奴はどこの世界にも 必ずいるからだ.
EBMは,こけおどしの権威の化けの皮を剥がして,医療現場の風通しをよくする..えば,EBMのワークショップでは,医者は薬剤師,看護師と,対等の立 場で議論することになる.ましてや,臨床現場で,研修医と指導医の間はおろか,医学生と部長の間の議論も分け隔てはない.

ヒポクラテスよりも前から
EBMという言葉が生まれるずっと前から,ヒポクラテス,そしてそれよりも前の時代から,EBMはありました.なぜなら,EBMとは,症例経験をどう生か すかという,医学における永遠の課題に対する普遍的な方法論だからです.

それは,何を必要な音soundと考え,何を雑音noizeと考えるか.音と雑音を区別できるというのなら,それを誰もが納得できるようにする(客 観性を担保する)ためには,どのように考え,どんな方法をとればいいかという議論になります.

発熱,右下腹痛,筋性防御という三徴候triadに関して,こんな議論を想像してみました.

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それはあなたの個人的経験から生まれた個人的見解であって,客観性の裏づけがない.少数例の経験から引き出された結論は,個々の症例のバイアスに振り回さ れた結果に過ぎない.

いや,ヒポクラテスもそう言っている.

それはヒポクラテスが自分のバイアスを文字にしただけでしょう..

君がバイアスと片付けることこそ,主観そのものだ.さまざまな徴候がある中で,これらの三徴候が揃っていることは,確率論的に考えても,虫垂に膿が たまっているに違いない.
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三徴候triadというのは,二つの組み合わせでは非特異的,四つ揃えるのはめったにできない,ならば三つ揃えば特徴ある一つの病気と考えるとい う,S/N比に関する苦心の末の妥協案でした.医学はScienceとArtと言われますが,Artの部分を,一代で絶えてしまう名人芸に終わらせずに, より多くの人が利用できる普遍的な知識にときほぐしていこうとする努力は古くからなされていました.この努力はEBMそのものです.

大規模RCTは数を増やすことによってS/N比を高くしようとする試みですが,数を増やせば増やすほど,ノイズとして消えていったものが実は重要な 音であったという危険性が大きくなります.なぜなら,alcohol dehydrogenaseの型別によって,お酒に強い人と弱い人がいるように,特定の遺伝子多型によって,ある薬が効く人や効かない人,あるいは有害事 象が出やすい人,出にくい人がいます.今も昔も同じような苦心が続いているわけです.

すでにあなたもEBM
新しい道具が現れた時,世の中にはそれを歓迎する人も拒否する人もいる.永井荷風はラジオを蛇蠍のように嫌った.”コンピュータを使う人は機械的な冷たい 人”,”コンピュータは,暖かい人間性を失わせる” コンピュータに関してかつてはそんなこっけいな議論が展開された.BMも同じ運命を辿るだろう.多く の人が使える便利な道具.それ以上でも以下でもない.

Sir William Oslerいや,ヒポクラテスの時代から,診療の原点はベッドサイドにあるとされてきた.ところが,現実にはベッドサイドから離れようとする遠心力が時代 が進むにつれて強くなった.EBMはベッドサイドへ戻る道筋を示してくれる便利な道具である.それ以上でも以下でもない.

EBMとは何だろうか,面白そうだが,疫学的な考え方や言葉が出てきて,敷居が高そうだ,というのがあなたの正直な感想ではないだろうか.私もそう だった.いや,今でもそうだ.疫学的な言葉や考え方は敷居が高い.文献の批判的吟味なんてむずかしくてできない.でも,EBMを実践していく上で,そんな ものはすっ飛ばしてもいい.

あなたが,EBMなんて気取らなくても,自分はまともな臨床をやっていると信じ,それが決して独り善がりでないのなら,すでにあなたもEBMユーザ になっているはずだ.なぜなら,あなたも日常の診療場面で山のように疑問を持っているはずだから.

たとえば,高血圧と判断して治療を開始するにあたって,いつ(早朝起床時,日中?寝る前?),どこで(外来?家庭?職場?)測った血圧を目安にすれ ばいいのか?血糖のコントロールの悪い糖尿病の患者さんに対して,経口糖尿病剤からインスリン導入に入るにあたって何を目安にしたらいいのか? 日常の診 療はわからないことだらけだ.このように,いつも持っている疑問をそのまま放置せずに,答えを効率的に見つけて,患者さんの利益につなげようとするのが EBMだ.

わかっただろうか.日常の診療で疑問を持ち,その疑問に対する答えを求める人は,すべてEBMユーザの資格がある.このように,EBMというのは, 特別な診療や考え方ではない.EBM=真っ当な診療なので,EBMという言葉自体,本来いらないぐらいだ.

一方で,あなたがやっている真っ当な臨床=EBMならば,下記も事実である.

あなたのやっている真っ当な臨床は,現実問題に対して誰もが納得する答えを提供できるわけではない.したがって,EBMも,理想の回答をすぐ出して くれる魔法の杖ではない.当然のことだが,現実の問題に対してすべてエビデンスに基づく回答があるわけではなく,むしろ逆に,EBMにより,エビデンスが ないことが明らかとなり,では目の前の患者さんに対してどうするかという問題が突きつけられる場合の方が圧倒的に多い.

しかし,このことはEBMが無力だということでは決してない.従来,医学の進歩と称されていたものの多くは,間もなく役立たずだとわかって放置され ていった.それが堆積して膨大なごみの山になっている.このごみの山の責任がEBMにあるわけではない.EBMはむしろ,このごみの山から,先人の知恵を 系統的に選別,整理し,有益なものとそうでないものを区別して示してくれる.EBMは,目の前の患者さんにとって何が一番幸せかを真摯に追求する人に対 し,ごみはごみ,使える道具は今のところこれだけと,はっきり示してくれる.

EBMという言葉がなくなる日

私は時々車を運転するが,ここ10年ぐらい,自分でボンネットを開けたことがない.タイヤの交換さえできない.コンピュータを使って15年ほどにな るが,もうMS-DOSのコマンドなど,忘れてしまったし,BASICを始めとする言語に至ってはからっきしわからない.料理をするのは嫌いではないが, 時間がないのでめったに自分では作らない.

このような怠け者にとっては,EBMも,車やコンピュータやコンビニで売っている料理と同じような使い勝手になってもらいたい.相対危険度とオッズ 比の違いや,尤度比のことなどまるきりわからなくても,気軽に使えるような道具になってもらいたい.

ステップ2と3はひどく面倒だ.英語の文献を探し出すだけでなく,それを批判的吟味するなんて,とてもじゃないが,やっていられない.ただでさえ3 分診療と非難されているのだから,もっと患者さんのそばにいること,つまりステップ1と4に集中したいというのが,現場の人間の本音だ.

気軽に使える道具として,日本語化は必須だ.それも機械訳ではなく,こなれた訳でないと,忙しい現場ではとても使えない.怠け者は贅沢でもある.そ の意味で,クリニカルエビデンス日本語版はありがたい.ようやく使える道具が出てきてくれたという感じがするが,コンピュータ普及の歴史にたとえれば,ま だまだ,BASICでプログラムを組んだ表計算や,DOSコマンドを知らないと動かせないリレーショナルデータベースを苦心して使っていた時代に相当する ように思える.

臨床現場で,診療という車に患者を乗せ,患者の利益という目標に到達するまでに,大変な迷路,悪路,危険が待ち構えている.地雷原や崩落寸前のトン ネルをおそるおそるなんてこともある.そんな危険な仕事を請け負っている現場の人間にとって,せめてコンピュータを使うぐらいに,EBMを身近で便利なも のにしていかなければならない.

今時,自分はコンピュータを使えると自慢する人はいないだろう.EBMを使っている,知っているとことが何も特別なことではない時代,EBM=普通 の診療となり,EBMという言葉さえもがなくなる日が来るのは何年後だろうか.

EBMでこそ症例報告は重要
目の前の患者さんに対して,現在ある最良のエビデンスをどう生かしていくかがEBMなのだから,症例報告はEBMの実践報告書である.どんな大規模試験だ ろうと,症例を丹念に積み重ねた結果である.だから,EBMでこそ症例報告は重要になってくる.EBMの4ステップ,つまり,臨床場面での疑問を定式化 し,その答えを提供してくれそうな文献を検索し,探した文献を批判的に吟味した後,その結果を患者さんに適用する,は,そのまま症例報告の記載の流れにな る.

EBMの起源
EBM自体は実は古典的な学問である.その起源は古代ギリシャ(別に老荘の時代としても構わないが)時代に遡ることが,下記の語録からわかる.

「わからないこと」だけがわかった.(名郷直樹)

要するに,医学が二千数百年たって,ようやく哲学の後追いをしているに過ぎないということだ.

最大公約数を父と慕う
添付文書,ガイドライン,Chochrane,クリニカルエビデンス・・・・すべて最大公約数に過ぎない.一方,日々の診療は一人一人の患者が相手だ.対 象が不特定多数の最大公約数が,そのまま目の前の患者さんには当てはまるわけがない.この大原則は臨床現場のみんなが理解しているはずだ.
しかし,こと,医療事故裁判を意識すると,医者も,患者も,弁護士も,この大原則をすっかり忘れてしまうのはなぜだろうか? 添付文書にこう書いてあるか らその通りやった,ガイドラインにはそう書いてないからそれは間違いだといわんばかりに,最大公約数だけを父と慕い,目の前の患者からのエビデンスと外部 エビデンスを統合するという臨床現場の鉄則に取って代わってしまうのは何故だろうか?

各論

高山病にダイアモックス?

ヒマラヤ登山に出かけるという40歳代の男性が、高山病の予防のため利尿剤を処方してもらいたいと、あなたの外来を受診した。これまでに海外での登山歴はないが、富士登山の際には気分不快と頭痛に悩まされたことがあるとのこと。特に既往症はない。さて、あなたはどうしますか?

「高山病にダイアモックス?」という疑問が湧いてきた時に、有効性を検証する臨床試験を考えてみます。すると、ランダム化試験は行われたことがないし、今後も行われる可能性がないことがわかります。十分な一般化可能性のある有効性検証試験デザインを考えてみればわかることです。学生さんは友達と議論してみてください。とても面白い作業です。

つまり、既存のエビデンスレベルが非常に低いことが、かなりの蓋然性をもって予測できる。「私のようなお調子者でしたら、事前確率90%以上と言い切ります。そういう予測をもって、ちょいと検索すれば、「やっぱりそうか」ということになって、どこか、自分の検索してない、山のあなたの空遠くに、きっと素晴らしい正解があるに違いないと思い悩み続けることがなくなります。

「エビデンスがない」と言い切るのは、さんざん検索してからでないと・・・という慎重派も多いでしょうが、私のようなお調子者は、上記のやり方で楽をすることにしています。

EBMの醍醐味は、「わからない」ということが「わかる」ことです。

患者さんの希望とエビデンスの強さ
以下,あるMLでのやりとり:
質問
 インフルエンザワクチンのシーズンが近づいていますが,リウマトレックス内服中の方にflu shotをして免疫獲得は期待出来るのでしょうか?リウマトレックスの添付文書上は,生ワクチンは弱毒ウイルスを増強させるおそれがあり禁忌となっているようですが,不活化ワクチンについてはとくに触れられていません.

 インフルエンザワクチンの添付文書では,免疫抑制剤投与中は免疫獲得が減弱するおそれがあり「併用に注意」という玉虫色の表現になっています.その方のリウマトレックスは週1回投与(1回投与量は聞き忘れました)だそうです.

なお昨年まではリウマトレックスを週3回投与していたため整形外科主治医からは「flu shotは無駄」と言われて接種は控えていたそうです.現在の週1回投与になってからはflu shotに関してまだ整形主治医の意見は聞いていないとのこと.いかがなものでしょうか?

私の回答
まず”メトトレキサートを服用している人にflu shotは無駄”という仮説を検証するには、どういう研究、試験が必要か考えてみましょう。

デザインとして
D1.retrospectiveな症例対照研究
D2.prospectiveなコホート研究(メトトレキサートを服用しているRAの患者さんをflu shotをした群としない群の比較)
D3.介入研究(メトトレキサートを服用しているRAの患者さんをランダム化して、flu shotとプラセボ群のhead to head)

エンドポイントとしては
E1.抗体産生(代用エンドポイント)
E2.入院 and/or 死亡などのハードエンドポイント

次にこれらのデザイン・エンドポイントを組み合わせた研究の実行可能性について考えます。どちらのエンドポイントとしても、D3は、まずないでしょう。D2もあるかどうか?すると、エビデンスがあるとしても、D1*E1か、D1*E2でしょう。それにしても、エビデンスとしては非常に弱い。目の前の患者さんの希望を即座に却下できるほどの強さはありません。

EBMの考え方って、こういう風にも使えますよね。

認知症診断バッテリへの疑問
私はかねてから、いわゆる認知症診断バッテリが、日常外来診療で、個々の患者さんに使うことがあるのだろうか、あるとしたらどんな状況なのだろうかと疑問に思っています。

たとえば、普段外来をやっていて、高齢者自身が、”先生、このごろ物忘れがひどくてね”と言われたとします。その時、我々は診断バッテリをいきなり持ち出したりしません。日常生活での問題を聞き出す方が先決で、そこから派生してくるのは認知症ではなく、嫁姑問題だったりします。そうなると診断バッテリのことなどどこへやらとなってしまいます。
一方、明かな認知症の患者さんが家族に連れられてやってきた時は、診断バッテリを一応は施行しますが、重症度の目安の一つに過ぎず、テストし終わった途端、我々の心は、家族、家庭環境、認知症の原因とそれに見合った介入方法といった、これまた診断バッテリの点数とは全く別の分野に関心が向かいます。

ですから、診断バッテリとは言っても、個々の患者さんの診断にはほとんど役立っていない。結局疫学調査の道具に過ぎないんじゃないだろうか?

Timo Erkinjuntti, Truls Ostbye, Runa Steenhuis, Vladimir Hachinski. The Effect of Different Diagnostic Criteria on the Prevalence of Dementia. N Engl J Med 1997;337:1667-74.
65歳以上の男女1879人に,DSM-III, DSM-III-R, DSM-IV, ICD-9, ICD-10, CANDEXの6種類の基準を適用して認知症の診断をしたところ,一番高いDSM-IIIでは30%,一番低いICD10で3%と,診断率に10倍もの開きがあった.しかもこの解離は,ある診断が他の診断より厳しいという単純な理由からではなかった.というのは,6つの基準すべてで認知症と診断されたのはたったの20人だった.言い替えると一番診断率が低かったICD10で認知症と診断された58人のうち,38人は他の基準では認知症ではないと診断された.

MMSE同様にお手軽で性能は上:7MSという痴呆スクリーニング
Meulen EF, Schmand B, van Campen JP, de Koning SJ, Ponds RW, Scheltens P, Verhey FR.  Related Articles, Links The seven minute screen: a neurocognitive screening test highly sensitive to various types of dementia.
J Neurol Neurosurg Psychiatry. 2004 May;75(5):700-5.
 

検査後確率
聖マリアンナ医科大学 腎臓・高血圧内科の安田 隆先生が,大変わかりやすい例を教えてくださった.

>> 内科医が当該患者が結核性髄膜炎である確率(検査前確率)が20%と述べた。
>>
>> 翌日返ってきた髄液のADA値が15IU/Lであり、カットオフ値を
>> 10IU/Lとすると、10以上であれば、
>> 感度60%、特異度90%の確率で結核性髄膜炎を示唆すると
>> 文献にでていた。
>>
>> この時点での検査後確率は?

簡単な考え方

確率20%ということは,病気の人20人,病気じゃない人80人いると思ってください..

感度60%なので,病気の人20人中,12人が陽性

特異度90%なので,病気じゃない人80人中,72人が陰性.
ということは8人が病気じゃなくても陽性.

陽性にでた人(12+8)人中,ほんとの病気の人は12人なので,
12÷20で60%;これが検査後確率となります.

(池田注:カットオフ値が10ということは11も12も含めてということですから,もう少し細かく層別尤度比に従って考えると,15IU/Lであれば検査後確率は60%以上というのが正確な表現になります)

検査前確率が大切
藤田保健衛生大学一般内科の野口先生と,名古屋は亀井内科呼吸器科の亀井三博先生に教えていただいた.

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亀井先生
検査前確率を、低、中、高リスクに見積もってみて,それぞれ、陽性の場合、陰性の場合の検査後確率をみて、自分の次の行動は何かを考えてみると検査の位置 づけがわかる

野口先生
EBM、臨床疫学というとつい複雑な計算をすることだと勘違いをしてしまいますが、臨床の現場で実際に役立つ考え方は、

1)検査前確率を、低、中、高の3区分くらいにわけて大ざっぱに見積もること、

2)検査をした結果で患者さんが病気を持つ可能性が別の区分に移動するかどうかを推定すること、です。

検査に関しては、性能の良い検査(感度、特異度がよい検査)は、検査前から検査後の確率の動きが大きいくらいに理解しておいて構いません。

それよりも、検査前確率の見積(出発点が、低、中、高のどこか)の方がずっと大事で、検査後確率は、検査の性能そのものよりも出
発点の影響の方を強く受けます。

検査前確率(出発点)が、ほとんど0%と極端に低い場合には、どんなに性能の良い検査を持ってきても、検査後確率はそんなに高くならず、0%にちか いままとなります。

たとえば、女性を相手に前立腺癌のスクリーニングをするような行為です。どれだけ、陽性の結果が出ても全部偽陽性です。現場の先生方は、「常 識的に考えて心筋梗塞ということはあり得ない。だから、検査はしない」と胸を張って言い切ってください。
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いいねえ,これだよ,元気が出るじゃないの.何のために我々は時間をかけて病歴をとり,診察するのか.それは,検査前確率を高めるためである.もっ と踏み込んで言うと,丹念に病歴をとるのは,診察前確率を高めるためであり,丹念に診察をするのは,診察後確率=検査前確率を高めるためである.

EBMの小道具

NNTを簡単に出す:対照薬群の絶対リスクと,relative risk reduction (RRR)がわかれば,ノモグラム(計算尺)からNNTを算出できる.このノモグラムは,BMJ Clinical Evidenceのページからいただいた.

検査後確率を出す検査前確率(=あなたの直感)と尤度比(Likelihood Ratio)がわかっていれば,ノモグラム(計算尺)からNNTを算出できる.このノモグラムは,the Centre for Evidence-Based Medicine (CBEM)のページからいただいた.