以下,NHKの番組で,”認知症患者の治療の進歩”を見た方の間で,プライマリケア場面で,”最新医学の進歩にどう対応していったらよいのか”という真剣な議論を受けて,書き込んだ投稿から:
(一番手っ取り早いのはテレビを見ないことなのですが,そう言うと身も蓋もないので・・・)
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情報検索感度が上がれば上がるほど、効率よい仕事のためには、特異度を高める必要が生じます。フィルタリング、スクリーニング、トリアージ・・・いろいろ言い方はありますが、私なりの、”最新医学のサボり方”がお役に立てばと思いまして投稿します。わかりやすいように、具体的な診療上の疑問を検証するという形をとります。
”NHKの放送で、ビンスワンガー病の人が、ワーファリンの内服で劇的に良くなった、と紹介されていた。自分の外来のビンスワンガー病の患者さんに試みるだけのエビデンスがあるだろうか?”
私の結論は、否です。下記のように、目の前の患者さんと、予想されるエビデンスの頑健さを比較して結論しました。先日、生物製剤を使っている関節リウマチ患者さんに対する、インフルエンザ予防注射の適否を考えた時の手法をご紹介しましたが、それと似ています。
1.高齢者はただでさえ、服薬コンプライアンスが悪い。ビンスワンガー病の患者さんは、多くが高齢者である上に、記銘力障害があるので、さらに服薬コンプライアンスが悪い。そういう患者さんに、厳密なコンプライアンスを要求され、かつリスク・ベネフィットの判断が難しい薬剤を服薬してもらうのだから、非常に頑健なエビデンスが要求される。
2.では、大切な自分の患者さんで勝負に出るだけの頑健なエビデンスがあるのか?否である。有効性を示唆する報告があるとしても、せいぜい、数十例で、脳血流の改善の有無を見るのが限界で、臨床症状の改善をハードエンドポイントとした試験は実行不可能と判断できる。なぜなら、1)アルツハイマー病に対するドネペジルの治験でも、数百人を組み入れてプラセボ対照試験をしなければならなかった。2)ましてや、相手はワーファリンだから有効性・安全性のバランス判断、用量設定が、ドネペジルよりも難しい。1)&2)より,アルツハイマー病よりはるかに数の少ないビンスワンガー病で、ドネペジル以上の治験なんかできっこない。
とまあ、忙しい毎日、これ以上の検討の生産性に大いなる疑問が生じて,私の場合,文献検索さえもせずに,ここでおしまいにしてしまうわけです。以下は余裕のある時の随想。順不同です。
○”最新医学の成果”と言われると、我々は身構えるのが普通。特に相手が”夢の新薬”となると、まず疑ってかかる。そうやって新聞記事やテレビ番組を見ると、中身は培養細胞や動物実験の結果で、やっぱりなと立ち去る。しかし、ワーファリンのような、我々が使い慣れている薬に、”意外な効能・効果があるらしい”となると、すわっと思わされる。”納豆の意外なダイエット効果”の医薬品版という訳。
○しかし、この手の話も、頑健なエビデンスとなるまでには相当の年月がかかる。心不全に対するβブロッカーしかり、びまん性汎細気管支炎に対するエリスロマイシン少量投与しかり。特に今のようにネットを通じて情報がすぐ伝わるような世の中では、勉強熱心な(つまりまともなネットワークを持っている)医師は、長い時間がかかるエビデンスの構築過程を見聞しないはずがない。まともな医者にとっては、ある程度の頑健性のあるエビデンスを、NHKが知っていて、自分が知らないという事態は、ありえない。だから、ビンスワンガー病に対するワーファリンの有効性を示す報告が仮にあったとしても、今の時点ではきわめて脆弱な根拠しかないに違いなく、この先もどうなるかわからないと判断できる。
○特に、既承認の薬に、全く新たな効能・効果が加わる時は、用法・用量が既承認のそれとは異なることが多いので、”出血リスクのほとんどない少量のワーファリンで意外な効果”の類の”うまい話”を見たら、適切なエンドポイントを用いて用法・用量が本当に充分に検討されいるかどうかが必須のチェックポイント。”3例に少量のワーファリンを投与したところ、脳血流が改善した”程度の話が、”症状が劇的に改善した”話に化けるぐらいは日常茶飯事。裏を返せば、臨床開発では、一般的に言って、用量設定をどうするかが最大の難関ということ。
○ビンスワンガー病の患者さんを受け持っていると,その患者さんに何かしてあげたいとの思い(救世主願望)ゆえに,ワーファリンが有効だとの情報がひどく魅力的に見えるが,実際に患者さんを目の前にすると,本当にこの人のためになるのか(職業人としての客観的判断)との疑問が湧いてきて,改めてエビデンスの頑健さを考え直すようになる.
○日々の診療では,救世主願望と職業人としての客観的判断の両方が必要.しかも,場面,状況が変わる毎に,両者の割合を調整することが要求される。