PMDAの医師不足
ーその現状、原因分析と対策ー

池田正行 ファーマコビジランスに携わる医師の絶対的不足:その現状、原因分析と対策. 薬剤疫学  2008;13(1);55-62 

(紙の論文にはない)あと書き
私がこのような論説が書けたのも,そして医学部教授になれたのも,ひとえにPMDAのおかげである.わたしが,神経内科でもなく,総合診療部でもなく,そして,インパクトファクターも一切関係なく,なぜ,Pharmaceutical Medicine(臨床開発)講座の主任になったのか?その問いへの答えとしてPMDA以外に何があるというのか.
私がPMDAの中にいる時も,そして辞めてからも,私のHPをこのようにずっと野放しにして,私に言いたい放題,やりたい放題させて,一切何の圧力もかけてこない日本の規制当局の文化・度量は,もっともっと高く評価されねばならない.FDAにもEMEAにも,こんなやくざな職員を飼っておく度胸はこれっぽっちもない.その意味で日本の規制当局は世界一である.この論説を書いたのも,ひとえにそれを国民の皆様にわかってもらうためである.

目次
はじめに:仕組みの議論よりも人材育成の議論をPMDAにおける医師不足の現状専門外の審査を強いられる医師たち一刻も早い審査員免責制度の整備を医師不足の実態公開の意義規制当局への依存と規制当局のコントロール願望規制に依存する医師、しない医師規制当局の外側に理解者を増やしファーマコビジランスに関わる人材育成を規制当局の外側に理解者を増やしファーマコビジランスに関わる人材育成を人材育成のための具体的戦略文献

はじめに:仕組みの議論よりも人材育成の議論を
どんな立派な仕組みを作っても,その仕組みの中で働ける人材を確保しなければ,ファーマコビジランスはできない。中でも中心的な役割を果たすのは,現場をよく知る医師である。ここ数年、医師が関与するあらゆる分野で、医師不足が問題視される1)ようになったが、ファーマコビジランスの分野では、それ以前より恒常的に医師が不足している。従って、他の分野にも増して、人材育成は急務である。それどころか,辛うじてこの分野に踏みとどまっている少数の良心的な医師さえも,立ち去り型サボタージュ1)の危機に晒されている。にもかかわらず、ファーマコビジランスの仕組みの議論ばかりが繰り返され、肝心の人材育成がいまだに真剣に議論されていない。

わが国では,独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)と厚生労働省(以下厚労省)が,公的機関として連携してファーマコビジランスを行なうと謳われている。実際,これらの組織に,日本中のすべての市販後副作用情報と、国内で治験が行われている医薬品・医療機器の副作用報告が世界中から集まってくる。しかし,厚生労働省安全対策課には、いわゆる医系技官が1人ないし2人配置されているだけである。 PMDAでも,市販後安全性とは直接関係のない新薬審査部門に多い時でも20名前後の医師がいるのみで,ファーマコビジランスの要となる安全部にも,副作用被害救済部門にも,常勤の臨床医は一人も配置されていない。これでは、適切なファーマコビジランスは実行不可能である。

FDAのCDER(Center for Drug Evaluation and Research)/ CBER (Center for Biologics Evaluation and Research)だけでも,三百数十人の医師がいるのに,日本のFDAといわれるPMDA全体でも、20名前後の医師しか確保されていないのはなぜなのだろうか?2007年よりPMDA審査部門の常勤職員数を3年間で倍増するという増員計画 2)の目的も、ドラッグラグ(諸外国と比較した新薬承認の遅れ)の短縮が目的であって、ファーマコビジランスの充実ではない。しかも,医師を何人増員するかは明らかにされていないので,PMDAの医師が増えない可能性も十分ある。
本稿では、まず、わが国でファーマコビジランスに携わる規制当局であるPMDAで医師が置かれている現状を説明し、次にその現状が生じた背景を考察し、この分野での人材育成のために我々ができることを提案する。

PMDAにおける医師不足の現状
PMDAは、審査員総数は発表しているが、医師の人数は公表されていない。なぜ公開されていないのか、その理由すらも説明されていない。私が旧医薬品医療機器審査センターの審査員となった2003年7月から2007年6月末に辞職するまでの4年間,新薬審査部門の常勤医師の数は,最低で8人,最高で25人,ほぼ10人から20人の間を変動していた。PMDAの年間承認品目数はFDAとほぼ同じだから,医師に限って言えば,FDAの二十分の一未満の人数で,FDAとほぼ同じ品目数の新薬審査をこなしていることになる。私の知る限り,旧審査センター時代から2008年3月まで,泌尿器科,脳神経外科,胸部外科,眼科,耳鼻科,麻酔科の医師が常勤になったことは一度もない。皮膚科医師は2008年に初めて採用された。精神科,神経内科の不在は数年以上続いた。PMDAが発足してから,審査品目の多い循環器内科の医師が一人もいない時期が半年続いたことさえあった。

PMDAの医師不足は、PMDA審査部門の前身である旧医薬品医療機器審査センター発足の97年当時より恒常的に続いているので、近年問題視されるようになった医療崩壊 1)3)とは別の原因に由来する。第一に,PMDAでの勤務を希望する医師が極めて少ない。PMDAは日本のFDAと言えば聞こえはいいが,白衣を着て華々しい活躍ができるわけではないし,収入も現場より確実に下がる(注1)。外科系はもとより,内科系でも,消化管内視鏡や冠動脈インターベンションなど,何よりも熟達した手技が重んじられる診療科の医師にとって,数ヶ月でも現場を離れることは,専門医のキャリアそのものから離れることを意味する。従って,仕事仲間からも,新薬審査は,臨床を離れて書類相手の役人に成り下がったかのごとく見なされる。そのような周囲の無理解に耐えつつPMDAに勤めたとしても,PMDA内での昇進の道は閉ざされている。幹部職員のポストは、そのほとんどが厚労省からのローテーション人事で占められ,医師が課長クラスになることさえ、例外的である。かといってPMDAを辞めても,2年間もの間,製薬関連企業に勤めることは禁止されているから,その経歴を生かすことはできず,結局,浦島太郎扱い覚悟で,長く離れていた現場に戻るしか道は残されていない。このように,キャリアパスの面で有利となるどころか極めて不利なことも,PMDAにおける医師不足の一因となっている。医師不足は,次項に述べるように,専門外審査というさらに重大な問題を引き起こしている。

専門外の審査を強いられる医師たち
新薬審査では,診療と同様,専門性が重んじられるはずである。しかし,私が在籍していた2007年6月の時点で,PMDAには,代謝・内分泌(糖尿病),泌尿器科,脳神経外科,胸部外科,眼科,耳鼻科,皮膚科,麻酔科といった診療科の医師はPMDAには一人もいなかった。審査品目の多い,呼吸器,消化器の医師も,それぞれ一人しかいなかった。再生医療,細胞治療といった先端分野の治験相談も数多くあったが,専門家として対応できる医師はいなかった。さらに,年々進行する専門分野細分化傾向が,専門医不在に拍車をかける。例えば、消化器内科における下部消化管、肝胆道系、循環器内科における不整脈、冠動脈インターベンション、腎・高血圧といったサブスペシャリティの別は、今や異なる診療科と考えた方が実際的である。このような専門医不足の中で,やむを得ず,専門外の審査や治験相談の担当を強いられることが日常化している。

実際の診療では,いくら人手不足といっても,専門外の医師が診療することはない。しかし、PMDAでは、小児循環器科医が,過活動性膀胱治療薬の審査を,精神科医が緑内障治療用点眼薬の審査を担当するといった事例が常態化している。一体これは誰の責任なのだろうか? PMDAも厚労省も、医師を集めるために必死の努力をしているので、彼らの責任ではない。患者さんのために一日も早く薬を承認しろ、患者さんの安全を守れと言いながら、そのために必要な人材を送り込もうとしない医師のコミュニティに重大な責任が、また、未承認薬を早く承認しろと言うばかりで、そのためには何が必要なのかを考えようとしないメディアや一般市民にも責任がある。

私はPMDA在職中に「ドラッグ・デバイスラグを短縮するためには、それを審査する医師がまず必要なのに、その手当もせずに審査を早くしろ、承認しろというのは、無い物ねだりに他ならない」と、あちこちの医学会や、学会理事を中心とした偉い人々に訴えたが、こと、PMDAの医師不足の問題になると、どんなに偉い人でも沈黙してしまうのが常だった。収入の低さや労働条件の悪さのために医師がPMDAに行きたがらないとの指摘があるが、これは、公務員を削減し、その給与も増やすなという政治家ひいては国民の皆様の御指示にPMDAや厚労省が従っているだけだから、PMDAや厚労省の責任ではなく、政治家とその政治家を選んだ国民に責任がある。

このような、PMDAの医師不足について誰も責任を取らない状況下で、敢えて臨床現場を離れ,社会貢献のためにPMDAでの仕事を志願してきた稀有な医師達は,専門外診療も同然の危険な仕事を強いられているが,さらに彼らを追い詰めるような出来事が2007年に起きた。それが次項で述べる審査報告書への署名問題である。

一刻も早い審査員免責制度の整備を
PMDA審査部門の大幅増員 2)を可能にするためには,新卒者の採用だけでは当然間に合わず、民間企業からの人材も受け入れねばならない。そこで、薬害被害者団体から、透明性確保の一環として 2)、誰が審査を行なったのかを審査報告書に明記するよう要望が出た。しかし、専門性の点で十分な人員が確保されていない現状で,免責制度もなしに審査報告書への署名を強行しても,やむを得ず専門外の審査をしている末端の審査員をスケープゴートにするだけである。そのため、審査報告書への署名は、やむを得ず専門外の品目も審査している医師も含めて、審査員全体の猛反発に遭い、取り止めとなった。

厚生大臣の下で、厚生省生物製剤課長として行った薬事行政が個人の責任とされ、2008年3月5日に最高裁が上告を棄却したことによって有罪が確定した松村明仁氏の運命は、厚労省やPMDAの多くの職員にとって決して他人事ではない。2006年,福島県立大野病院産婦人科の加藤克彦医師が,業務上過失致死と医師法違反の罪で逮捕・起訴された事件も記憶に新しい。自分の専門分野でさえ,どんなに誠実に診療していたとしても,結果が悪ければ刑事事件の被告になるリスクに,多くの医師はおののき,実際に立ち去り型サボタージュが全国各地で起こっている 1)3)。ましてや,経済的にも社会的にも恵まれない職場で,全くの専門外の医薬品,医療機器の審査を強いられるばかりでなく,その結果責任を個人的に問われるとなれば,現在辛うじて踏みとどまっているPMDAの稀有な医師達も,遠からずして逃散するに違いない。免責制度のない現在,審査員は丸腰で仕事をしているに等しい。審査報告書への署名云々以前に、一刻も早くFDAと同様の法務部門と審査員免責制度を整備して,審査員が安心して働けるようにしなければ、ファーマコビジランスどころか、医療崩壊と同様の審査崩壊が現実となる。

多くの医薬品や医療機器は、まれながら重篤な副作用が起こり、時に命を奪うこともある。社会的使命を真剣に果たすべく審査を行った個人が、その副作用の責任を問われて、第二第三の松村明仁氏が生まれるようなことがあれば、敢えて審査やファーマコビジランスをやろうという人間はこの国からいなくなる。

参考→業務上過失致死

医師不足の実態公開の意義
このように、PMDAで審査する医師の社会的地位の低さ、FDAの十分の一未満の人数でFDAと同様のパフォーマンスを要求される過酷な労働条件(注2)、危険な専門外審査、免責制度の欠如と行政訴訟の恐怖といった複数の原因により、一億三千万国民の命に関わる組織であるPMDAが抱える医師の数も診療科も,百床ほどの病院にも劣る惨状となっている事実は、本来スキャンダルに飛びつくメディアの好餌となっていたはずである。

何かというと、PMDAや厚労省を攻撃する人々が充満し、情報公開、説明責任がとやかく言われる時代に、どうしてPMDAの医師不足が問題とならないのか、不思議に思う向きがあるかもしれないが、理由は簡単である。誰も、情報公開を要求しないからだ。では、なぜ、誰もPMDAの医師数を知ろうとしないのだろうか?それは、PMDAの医師不足はPMDAや厚労省だけの責任ではなく、医療者一人一人、ひいては国民一人一人の責任だと、全てのPMDA関係者が感じており、見ざる言わざる聞かざるを決め込んでいるためだ。

誰もPMDAの医師不足を指摘しないのならば、その解決を図るためには、PMDA自身が、医師不足を公開し、医療人、そして一般市民やメディアに対し、広く問題を提起しなければならない。でなければ、医療関係者も、メディアも、そして一般市民も、これ幸いと、これまで同様にPMDAを攻撃し続けるだろう。

確かに、PMDAはホームページで医師を公募し、しばしば臨床系の様々な学会や大学教授などにも医師不足の窮状を訴えてはいる。しかし、なぜ、医師が不足しているのかという肝心の原因分析なしに医師が足りないと嘆いても、決して問題は解決されないことは、これまでの経緯を見ても明らかだ。医師不足の原因分析自体は、私が上記で指摘した通りで、決して困難なことではない。そして、医師不足は決してPMDAや厚労省だけに責任があるのではない。むしろ、国民の健康に奉仕するために行政訴訟の恐怖におののきながらも懸命に働いている善意のPMDA職員の存在に全く気づかずにいる外の世界に、より重大な責任がある。だから,PMDAは医師不足の問題を抱え込まずに、メディアを通して、一般市民にも強く訴え,メディアにも市民にも責任を自覚させねばならない。

では、なぜPMDAも厚労省も医師不足の原因を考察し、実態を公開しないのだろうか。それは,PMDAは国家の規制当局として必要な専門職を全て揃えているという建前を崩せないからだ。もしその建前を崩してしまうと,次項で説明するように,規制を形作っている規制当局のコントロール願望と医師集団の規制当局への依存の両方が消失してしまう。規制当局はそれを恐れている。

規制当局への依存と規制当局のコントロール願望
 人は誰でも、他人を自分の意のままに動かしたいという願望を持っている。春日武彦はこれをコントロール願望と呼んでいる 4)。コントロール願望は私的、個人的関係だけではなく、医師と患者のような公的な関係でも生じる。元来、医師は、困っている人間を助けたいと思う自然な気持ち、すなわち救世主願望を持っている。救世主願望によって患者の心の中に医師への依存が生まれる。この医師への依存によって、医師は患者をコントロールする。このような依存とコントロールの関係は、むしろ医療で必要なものであり、コントロール願望の全てが悪というわけではない。

医師患者関係で問題なのは、不特定多数に対して、医療に対する過剰な期待や要求を生み出すようなコントロール願望である。過剰なコントロール願望の具体的発現例として、あたかも不老不死が実現可能かのような最新医学の宣伝活動や、全ての頭痛患者に対してMRIを施行したり、全ての発熱患者に抗菌薬を投与するような誤った餌付け行動が挙げられる。過剰なコントロール願望の最大の弊害は、過剰な依存を生み、自らが思考し批判的に吟味する心(リテラシー)と自立する心の芽を摘み取ってしまうことにある。

規制当局と、規制を受ける企業、及び規制がかかった医薬品や医療機器を使う医師や患者との間にも、医師・患者関係と同様のコントロール・依存の関係がある。そう聞くと、常に、企業、医師、患者から非難を受けている規制当局は、たとえコントロール願望を持っていたとしても、企業や医師や患者をコントロールすることなど不可能だと思う向きがあるかもしれないが、それは滑稽極まりない勘違いであることを以下に説明する。

「厚労省はけしからん」という非難は、「厚労省はもっとしっかりやれ」という激励に他ならない。「厚労省はもっとしっかりやれ」という激励は、「厚労省様、どうか働いてください。頼りにしています」という依存に他ならない。ましてや、公務員削減が声高に叫ばれる時代である。厚労省への依存がなければ、「厚労省はけしからん」という非難は生まれずに、「厚労省は役立たずだから潰してしまえ。厚労省よりも自分達の方がずっとうまくできる」と、厚労省解体論が生まれるはずである。しかし、聞こえてくるのは厚労省頼みますとの依存心べったりの非難ばかりで、厚労省を潰してしまえとの勇ましい自立論は一度も聞いたことがない。企業も、医師も、患者も、そして政治家も、厚労省を強く非難する人ほど、厚労省への強い依存心を持っていることになる。

国を憂う心やnobles obligeだけで、薄給や、天下り禁止令や、連日の国会待機や徹夜仕事に耐えられるわけがない。厚労省もPMDAも、一般市民やメディアから、さらには政治家からの呵責ない非難の中に、自分達への依存の強さを感じ取っているからこそ、そこでコントロール願望が満たされるからこそ、労働基準法に違反するような過酷な労働(注2)に耐えられるのである。

患者に対する医師のコントロール願望と同様、規制当局のコントロール願望も、一概に否定されるべきではない。むしろ、適切なコントロール願望は、公僕の使命感となって、規制当局の活動を促進する。FDAの1割未満の人数でFDAと同様のアウトプットを出しつづけるような過重労働もコントロール願望が支えている。しかし、これも医師・患者関係と同様、規制当局のコントロール願望の過剰な発現は、企業からも、医師からも、患者からも、メディアからも、そして政治家からも、リテラシーと自立心を奪う。その結果,メディアは,リスク・ベネフィットのバランス判断が極めて困難な薬剤を夢の新薬と喧伝して承認を催促し,治験では予想困難な重大な副作用が市販後に現れた後で,はじめて規制当局を非難するような、無定見な報道 5)を繰り返すことになる。

規制当局のコントロール願望の過剰な発現は、コントロール対象に対する餌付け行動という形であちこちに存在・表出する。記者クラブと報道発表、数多ある審議会の事務局案、政治家へのレクチャー(御進講)、国会待機など、枚挙に暇がない。その結果、規制当局の報道発表を垂れ流すメディア、事務局案を承認するだけのしゃんしゃん審議会、官僚からの情報提供なしには何もできない政治家、そして、規制当局を非難、攻撃するだけで、その実、全面的に規制当局に依存したまま、いつまでたっても自立できない医師が生まれる。

規制に依存する医師、しない医師
 医師は治療の専門家だから、本来なら規制を拒否し、規制当局の存在を否定するはずである。しかし、多くの医師たちは、事ある毎に厚労省を非難するので、上述のように、厚労省にもっと頑張ってもらいたいと期待し、規制当局に強く依存していることになる。では、なぜ医薬品や医療機器の専門家を自認する人々が、現場に出たこともない役人の判断に過ぎない添付文書を尊重するのだろうか?それは、規制当局の存在によって、医師が責任を取らずに済むからだ。

これまでの多くの薬害裁判では、医師は責任を問われるどころか、「国のずさんな規制の被害者」として扱われおり、例外的に被告となったのは、血友病HIV訴訟で、当時の権威者と見なされた1人の高齢医師に過ぎない。多くの医師は普段から厚労省やPMDAを攻撃し、決して感謝の意を表したりはしないが、もし厚労省もPMDAもなくなってしまったら、治療の専門家である医師は、製薬企業とともに、薬害被害者団体とメディアの攻撃の対象となり,応分の責任を問われることになろう。医師たちから馬鹿だ間抜けだと非難される厚労省が、医師の守護神となっている不思議な構図は,医師の規制当局への依存によって初めて説明できるのである。

しかし、一方で、規制への依存から脱却しようとする動きも医師の間に存在する。たとえば、海外で承認されているが国内では未承認の薬や医療機器を患者が個人輸入し、それを患者の了解のもとで医師が使う場合、規制当局のコントロールをはずれる事例となる。この場合でも、医師は規制当局に当該未承認薬の早期承認を要求することになるわけだが、それは、保険適応がないからであって、もし、国内で承認されていなくても、何らかの保険でカバーされていれば、医薬品や医療機器の専門家を自任する医師にとって、国内承認は不要である。

医師にとっての未承認薬の問題点とは、目の前の患者の経済的負担が第一であって、海外試験で有効性・安全性が確認され、海外で承認されていれば、国内での治験や承認は二の次である。つまり、規制への依存を嫌う医師は、海外での承認と保険適応さえあれば、日本の規制は必要ないと考えるし、患者に十分な資力があって、経済的負担が問題にならない場合には、混合診療を行い、患者もそれを支持する。

現在、日本では、規制当局の承認と保険適応がほぼ同じ意義になっている、言い換えれば、承認が保険適応を人質として抱え込んでいるから、医師も患者も規制当局の承認に依存せざるを得ない状況になっている。しかし、もしも、国内での承認と保険適応が完全に分離され、韓国やオーストラリアのように、FDAが承認した医薬品や医療機器が、国内治験なしに自動的に保険適応になれば、それまで国内承認を大合唱していた多くの医師も患者も、日本の規制当局への依存状態から脱却する。すでに現在でも、少なくとも抗菌薬に関しては、有効性と安全性を判断するに充分な海外データがあれば、国内治験データと承認審査は不要であると考える医師がいる。彼らは、「抗菌薬は添付文書通り使用していません。世界基準を採用しています」と宣言している 6)

規制当局の外側に理解者を増やしファーマコビジランスに関わる人材育成を
 規制当局は神ではないのだから、医師不足のような内部問題があったとしても、隠す必要はない。しかし、前述のコントロール願望と依存の関係からもわかるように、一部の規制当局の人々も、医師も、規制当局は完全無欠であるべきだと信じている。

医師不足を指摘されると、決まって、外部委員としてたくさんの偉い医師を委嘱してあるので、内部での医師増員は不要との反論に出会う。しかし、外部委員はあくまで規制当局のお目付け役であり、彼らも本来業務に忙しいので、規制当局の仕事をやってくれるわけではない。また、外部委員企業との利害関係が生じやすいので、関与できる品目が限られる。従って、外部委員の委嘱は、人材育成を怠る理由にはならない。

PMDAは適切な資源と教育のための人材を有する点で、ファーマコビジランスに関わる医師の育成機関に最もふさわしい組織である。資源とは、国内の全ての承認医薬品・医療機器の市販後副作用情報に加え、国内治験中品目の副作用情報が集まってくること、人材とは、毒性、薬理、薬物動態、生物統計など、PMDA内部にいる臨床以外の専門家の意見がいつでも得られることであり、さらに、海外規制当局との情報交換、規制の連携が行われていることである。これだけの教育資源と人材を持つPMDAが、健全なリテラシーを持つ医師を育成すれば、彼らは規制当局に頼らずに、自分で治療の有効性・安全性を判断できるようになる。

健全なリテラシーを持ち、規制当局に依存しない医師は、規制当局には脅威に思えるかもしれない。しかし、現在、PMDAにも厚労省にも市販後のファーマコビジランス専従となって働く医師は皆無である上に、公務員の数を増やすことなど罷りならんとする政治家や国民の皆様のために、新たなポストを設けることも不可能である。ならば、ファーマコビジランスを充実させるためには、PMDAが、ファーマコビジランスに積極的に関わる医師を育成し、彼らにPMDAの外で活躍してもらえばよい。PMDAで規制を学んだ医師は規制当局のよき理解者となり、規制当局への無節操な攻撃を抑制し、規制当局を助ける役割も果たしてくれる。実際、旧医薬品医療機器審査センター時代より、審査員を経験した臨床医の多くが、臨床試験を推進する指導的立場に立って、規制当局を助けている。

人材育成のための具体的戦略
 ファーマコビジランスに関わる人材育成の具体的方法はPMDAの内外両面から考える必要がある。まず、PMDA内部については、前述の免責制度や、法務・訟務部門の整備のような、危機管理システムの整備から始まり、コアタイム・フレックスタイム制の導入、もう既に民間企業では時代遅れとなっている成果主義の見直しなど、人間として働きやすい職場環境整備が、人材育成のために是非とも必要である。人間が尊重され、安心して働ける職場でなければ、教育・学習どころか、医療崩壊のような人材逃散を招く。逆に安心して人間らしく働ける職場であれば、PMDAの豊富な資源や、産官学に張り巡らされた人のネットワークを使って、思う存分勉強ができるので、人材は自然と育っていく。

 PMDA内部では、以上のような職場環境整備をした上で、現在の新薬審査偏重を是非とも改める必要がある。その理由として,第一に,まれな副作用は市販後に初めて判明するので,市販後安全性を吟味する安全部に,より多くの人材が必要であること。第二に,国際共同治験の推進により,吟味すべき日本人のデータは今後減少することはあっても,増加する可能性は低いことが挙げられる。経験のある臨床医でなければ,実地診療で生じる市販後副作用情報を吟味できない。ファーマコビジランス充実のためには,新薬審査を経験した臨床医をPMDA安全部に登用することが是非とも必要である。

PMDAの外にいる人々の仕事は、このようなPMDAの改革を支援することである。そのためにすべきはごく簡単なことだ。PMDAへの依存心に基づくPMDA非難を止め、自分たちが頼りないPMDAに取って代われるような思考力、批判力を養うことである。そうすれば、PMDAの中にも真の意味での緊張感が生まれ、PMDAの人々も組織としての本来の力の源である人材育成に必死になる。逆に,従来通りの非難を何度繰り返しても、その非難は実はPMDAへの依存心に基づくわけだから、真の意味の緊張感は生まれずに、PMDAはただ肥大し、傲慢になっていくだけだ。

PMDAの外にいる人々は、PMDA非難と裏腹の米国礼賛も止めるべきである。FDAは米国の組織であって,日本国民の幸せのことなど考えていない。そのような組織の判断を鹿鳴館主義者のように褒めそやし,PMDAを貶めることが,これまでどんな成果を上げてきたというのだろうか。医療・公衆衛生はもちろん,鉄道,郵便・宅配制度,地震警戒情報システムなど,国民の生活と命を守る日本の仕組みは,世界最高水準を誇る。 FDAの十分の一未満の人数でFDAと同様の品目数を承認しているPMDAもまた,世界に誇れる規制当局である。

米国人がwin/winの関係 7)を主張する数百年以前から、近江商人は三方善し(売り手善し、買い手善し、世間善し)を家訓として活躍してきた。規制当局、医師、メディアを含む市民の関係にも、実はこの家訓が当てはまる。決して当てはまらないように見えるとしたら、それはあなたが規制当局への依存にどっぷり浸かっているからに過ぎない。

文献
1. 小松秀樹。医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か― 朝日新聞社、2006
2. 医薬品医療機器総合機構 平成18事業年度第3回運営評議会議事録

3. 平井愛山。自治体病院の惨状―崩壊から再生へ。医学のあゆみ。2007;222 :441-448
4. 春日武彦。「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室。医学書院、2007
5. 須山 勉。がん治療薬「イレッサ」副作用禍。効果強調が過剰期待招く。医薬報道に大きな教訓。2004年2月26日 毎日新聞東京朝刊。
6. 岩田健太郎、堀 明子、上 昌広。治験や添付文書は本当に必要か。ロハスメディカル 2008年4月号 pp12-13
7. スティーブン・R. コヴィー。7つの習慣―成功には原則があった! キングベアー出版、1996。

注1。PMDAにおける医師の俸給表は、2007年3月までは旧国立病院の医療職(一)、すなわち国立病院医師の給与と同等であり、2007年4月以降PMDAでの人事評価制度導入に伴う新給与体系の中でも、PMDA医師の年収は低下しなかった。しかし、国立病院医師の給与と同等といっても、当直料や地方勤務に伴う諸手当はつかないので、実質的な収入は低下する。実際、2003年7月に私が新潟県にある国立精神療養所からPMDAの前身である旧医薬品医療機器審査センターに異動した時は、俸給表は全く変わらなかったが、税込み年収は2割減少した。なお、民間病院の医師給与は国立病院よりも高いので、民間病院からPMDAへの異動はさらに減収となる。

注2。国家公務員には、労働基準法や労働安全衛生法は適用されない。有名な国会待機や国会議員へのレクチャーで、霞ヶ関での徹夜仕事は当たり前になっているのに、国家公務員のサービス残業や過労死が報道されることは極めて稀である。国家公務員長期病休者実態調査における長期病休者の傷病別順位で,うつ病を中心とする精神及び行動の障害は,平成3年度は,11%(914/8032名)で,消化器系の疾患,損傷・中毒・その他外因の影響,新生物に次いで4位だったのが,平成8年度には15%(1020/7026名)で新生物に次いで2位,平成13年度には,29%(1912/6591名)で1位になっている。PMDAは独立行政法人であり,その職員は国家公務員ではないが,審査部門の前身は厚生労働省医薬品医療機器審査センターであり,幹部職員は厚生労働省,財務省,総務省からの出向者からなり,民間企業である製薬会社との人事交流も極めて限られているので,いわゆるお役所体質が色濃く残っている。しかも,審査の迅速化の強い圧力を常に受けているので,夜遅くまでの残業や休日出勤が日常化している。

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