業務上過失致死

目次: 二つのシナリオ過剰防衛がドラッグ・デバイスラグを引き起こす業務上過失致死への拘りお上品な人々それでも審査員を吊るしたいあなたに審査報告書への署名問題幻聴に悩まない人々「主権者」達の大合唱と審査崩壊の可能性

二つのシナリオ
2008年3月5日,最高裁が上告を棄却したことによって,厚生大臣の下で、厚生省生物製剤課長だった松村明仁氏の有罪が確定した.PMDA審査員にとって,明日は我が身の判決である.PMDAの審査員が業務上過失致死で訴えられた事例は,今までにはない.この「今までにはない」という表現がこれから先もずっと使えるという保証はどこにもない.PMDAの審査員が業務上過失致死で訴えられることは無いと,根拠を示して保証してくれる人もいない.逆に,PMDAの審査員が業務上過失致死で訴えられる可能性を示す事例はいくらでも存在することは,これまでにも,私は何度も説明してきた1)2).そのシナリオは二通りある.

1.既に承認された薬の副作用による死亡
2.未承認の薬の承認が遅れたことによる死亡:例:あんな素晴らしい薬がもっと早く承認されていれば,母は死なずに済んだはずだ.

あくまで可能性であって,実際にはそんなことは起きないんじゃないかとの楽観論を私は決して信用しない.根拠が全くないからだ.逆にその根拠の無い楽観論への反証はいくらでも挙げられる.

松村明仁氏は1のケースである.類似の事例としてイレッサはどうなるのだろうか.もし,イレッサの審査員が業務上過失致死で訴えられたとしても,リスク・ベネフィットのバランス判断が極めて困難な薬剤を夢の新薬と喧伝して承認を催促し,治験では予想困難な重大な副作用が市販後に現れた後で,はじめて規制当局を非難するような、無定見な報道 3)を繰り返すメディアは,決して罪に問われることはなく,オンブズパーソン4)とともに,神として審判者側に回るだろう。

2のケースでは実例はない.しかし昨今のドラッグラグ・デバイスラグを巡る大騒ぎは,「最新医学は全て素晴らしい.その恩恵から国民を遠ざけている厚労省は,患者を見殺しにしている」と信じている人々によって支られている.このことからも,2のケースの可能性も排除できない.

審査側の過剰防衛がドラッグ・デバイスラグを引き起こす
何か不都合が起これば,自分の責任にされる.そのような恐怖感は,過剰防衛を引き起こす.その過剰防衛は,組織としての規制強化と個々の審査員の審査の両面で現れる.組織としての規制強化の例に,確認申請制度が挙げられる.確認申請制度は,治験に入る前に,試験を行なう予定の生物製剤の安全性を確認するという,という世界で唯一,日本にだけある,いわば石橋を叩きまくる制度である.これが,生物製剤の開発を遅らせているという意見が根強くある.5) 6)

一方,承認した医薬品・医療機器による死亡で,審査した個人の責任が業務上過失致死に問われるとなれば,安全性の吟味に慎重になるのは当然である.その慎重さが過度になる結果,企業への照会事項が膨大なものになって審査期間が長引いたり,ドラッグ・デバイスラグには直接つながらないものの,市販後安全性モニタリングが大きな負担になる可能性は十分ある.

業務上過失致死への拘り
私が,なぜ,ここまで,業務上過失致死に拘るか?それは,国民の皆様が,「審査員を業務上過失致死で吊るせ!」と心の中では,ひそかに思いながらも,おくびにも出さず,ずっと後になって,「奴を吊るせ」と騒ぎ出すからだ.松村明仁氏は,それでやられてしまった.

審査ならば,後付解析は駄目と拒否できる.しかし,如何に優秀な審査員でも,後付けの業務上過失致死は拒否できない.だから,Former Director Medical Reviewerとして,自分自身のために,後付けは止めてくださいと必死でお願いしているわけだ.

「俺達の税金で食っている”高級官僚”どもは,吊るされるリスク覚悟で働くべきだ」と思っていらっしゃる方は,どうぞ後付けでだまし討ちするような卑怯な真似はなさらず,新霞ヶ関ビルの中で能天気に毎日徹夜サービス残業している人々に対して,大声で警告を発していただきたい.そうはっきり言ってもられば,彼らも,命有っての物種とばかりに,新霞ヶ関ビルから脱出していくだろう.

お上品な人々
PMDAの中には,「国民の皆様は,審査員を吊るすなんてお下品なことは決してなさらない」と無邪気に信じ込んでいるふりをしている上品な人も多い.そういう人のおかげで,審査員の免責制度や法務部門の整備は全く進まない.そもそも,何十何百億もの金と人間の命の両方を左右するヤバイ仕事を毎日やっている会社に法務部門がなくて,社員も免責どころか,賠償責任保険さえもないってのは,傍から見るとTシャツ・ジーパンにサンダル履きで夜のバクダッド(ニューヨークは最近とみに治安がよくなったそうな)を酔っ払って歩くようなもんだ.(本人達は,神風特別攻撃隊のつもりなのかもしれないが)

「承認は厚生労働大臣が行なうのだから,国が訴えられることはあっても,個々の審査員が訴えられることはない.だから免責は必要ない」

「でも,誰を訴えるかは個人の自由ですよ」

「それは民事だろう」

「では,民事で訴えられることはあるのですね?」

「・・・・」

「承認すれば市販後の副作用被害で個々の審査員が訴えられる.承認しなければ,製薬会社から,あるいはその株主から損害賠償を請求される.なのに,法務部門も損害賠償責任保険も無い.私は億万長者じゃありませんし,こんなヤバイ橋をこれ以上渡ってられるほど能天気でもありませんので,辞めます.辞めるついでに,もう一つ確認です.刑事で訴えられる可能性については,どうお考えですか?」

「だから,何度も言っているだろう.承認は厚生労働大臣が行なうのだから,国が訴えられることはあっても,個々の審査員が訴えられることはない.だから免責は必要ない.ましてや,刑事は国が訴えを起こすということだ.国家が国家を訴えるなんて馬鹿なことはない」

「でも松村明仁さんは国家に吊るされましたよね」

「あれは・・・・例外・・・・」

「お言葉ですが,「例外」ではなくて,「判例」です.それも最高裁が確定した.」

神風特別攻撃隊よろしく,第二,第三の松村明仁氏となる悲壮な覚悟で仕事をなさりたい奇特な御仁も規制当局の中にはいらっしゃるのかもしれない.そんな覚悟をnobles obligeと勘違いなさるのはどうぞ御勝手に.しかし,その勘違いを押し付けられるのは真っ平ごめんだ.何かというとFDAをお手本にするのに,こと,審査員の免責となると,FDAなんてこの世に存在しないかのような態度を取る人々が規制当局の内にも外にも溢れかえっているのはどういうわけか?

私は,吊るされないという保証で,個々の審査員が安心して働けるようにしてくれと言っているだけだ.民事についても,何も審査員が審査報告書を売って大儲けしてるわけじゃないんだから,何回生き返っても払えないような巨額の損害賠償請求の相手は国に限定するとはっきり宣言して,安心して働けるようにしてくれと言っているだけだ.そんな最低限の労働環境がなぜ整備できないのか,私には全く理解できない.

それでも審査員を吊るしたいあなたに
「そうは言っても,免責にしたら,審査員の仕事はいい加減になるんじゃないか?」,「そうは言っても,審査員は神様じゃないんだから,判断が企業の利益に影響されるってこともあるだろう.その場合でも,審査員の責任を問うことはできないのか?」 おやおや,これだけ言っても,まだ吊るしたいと思っていらっしゃる方々もたくさんいらっしゃるようですな.でも,ちょっと待ってもらいたい.

私は審査員は神様だと言っているんじゃない.人は誰でも間違える.しかも,その「人」は1人ではない.副作用死は,何百人,何千人の間違いの積み重ねの結果である.その薬の発見から十年以上の年月にわたって,何百人あるいは以上の人間の判断を総合した結果世の中に出てくる産物のリスクの責任を,全て1人の人間に押し付け,業務上過失致死の罪に問うことで何が得られというのか.得られる物は何も無い.人材喪失と審査崩壊が進むだけだ.なんて馬鹿馬鹿しい.

自動車の運転と医薬品・医療機器の承認審査を同列に扱うことはできない.なぜなら,承認審査は,以下ように,長い年月をかけて,何十,何百もの関係者が議論に議論を重ねて行なわれるものだからだ.従って医薬品・医療機器の副作用による死亡で,特定の一個人を業務上過失致死に問うことはできない.

○審査以前にも,原則として,開発企業とPMDAの間で,何回もの合議(治験相談)が重ねられる.開発の進行には,開発企業と治験相談チーム(何年後かの承認申請時には,人事異動などにより,後の審査チームとメンバーが異なることもしばしばである)の合議での合意が必要である.特定の個人の判断だけが採用されることは決してない.
○審査そのものも,品質・規格,毒性,ADME,さらには品質保証(GMP),信頼性保証GCP)といった各チームメンバーの合議,文書による企業への照会,それに対する回答を繰り返しながら合意形成が行なわれる.審査報告書も,各チームメンバーによるpeer review,改訂が頻繁に行なわれる.このように,特定の個人の判断だけが採用されることは決してない.
○審査チームが一定の結論に達した後も,外部専門家による会議(専門協議)で,審査チームの結論が改訂される.専門協議での外部専門家の意見は尊重され,承認内容が大幅に変更されることもある.
○専門協議後も,部会,審議会と呼ばれる専門家の会議で,さらに審査チームの結論が改訂される.
○さらに承認後も,企業によって,市販後安全性のモニタリングが継続して行なわれる

以上のような議論の積み重ねは,責任の所在をあいまいにするために行なわれているものでは決して無い.法令を作る時,どんなに順調な場合でも,まず,有志で必要性を議論し,次に草案を起こし,また議論し,法案を作り,議会に提出し,委員会で議論し,採決を取り,本会議に提出し,議論し,採決して,初めて法令となる.数多くの人々に重大な影響を与える規制ができるときの共通の過程として,医薬品・医療機器の承認審査も,何段階もの議論を経る.長い年月,たくさんの人々の度重なる議論,判断を経て生まれる医薬品・医療機器の副作用による死亡で,特定の一個人を業務上過失致死に問うことはできない.

審査報告書への署名問題
上記のような承認審査の形成過程を踏まえると,FDAで行なわれているような審査報告書への署名は,学術論文の著者とは全く異なる性質のものであることがわかる.学術論文の場合には,実験(試験)アイディアも,計画も,データも,データに対する考察も,結論も,全て,著者独自のものである.だからこそ,その成果の独創性が尊重され.ノーベル賞の栄誉も,捏造の不名誉も,いずれも著者のみに帰せられる.

しかし,審査報告書は,学術論文とは全く異なる.その医薬品を発見し,動物実験,臨床試験を計画し,実行し,管理し,データを収集し,解析し,総括報告書を書いたのも,全て企業である.個々の審査員は,あくまでチームの一員としてその報告を審査したに過ぎない.審査報告書,上記のような長い年月とたくさんの人々との度重なる議論の結果生まれたものである.審査報告書への署名は,あたかも一審査員だけが神のように判断したとの錯覚を惹起するだけだ.

幻聴に悩まない人々
さらに言いたいことがある.あなたは,審査員の責任ばかり言うが,自分の責任はどうだろうか?あなたは,自分の飲む薬のリスク・ベネフィットに関心があるだろう.その関心はどこで,どう処理されているのだろうか?誰にも全く訊きもせずに,インターネットで調べもしなかったとしたら,それはなぜだろうか?

「国が認めた薬だから絶対大丈夫だろう」「厚労省の偉いお役人様(こういう時だけ,そういう呼び名になるが,この呼び名がいつしか”木っ端役人”になったり”高級官僚”になったりする)が決めてくださったのだから,絶対大丈夫だろう」 そう思ったとしたら,あなたは幻聴を信じ込んでいることになる.だって,誰も,「国が認めた薬だから絶対大丈夫だ」なんて言っていないのだから.

今では誰でもがインターネットで手に入れられる添付文書には,反対に,この薬を飲むと,ごくまれにアナフィラキシーショックで死ぬだの,重い病気になるだの,恐ろしいことがたくさん書いてある.なぜ,そんな恐ろしいことが書いてあるかって?だって,そういうことを書いておかないと,「そんなことは聞いてない.書いておかなかったお前が悪い」と言われて吊るされるからだ.

だからといって,お医者さんに責任を押し付けようとしてもだめだ.今や彼らには説明と同意という強力な武器がある.このお薬にはこんな副作用,あんな副作用があります.時にはこの薬を飲んで死ぬ人もいます.さあ,どうしますか.飲みますか?そうやって,シンガポール陥落時のパーシバル将軍みたいな立場に立たされるのが関の山だ.

それでも,添付文書を読むぐらいの見識を持った医者はまだいい.世の中の医者の多くは,「現場を知らない木っ端役人どもの作った紙切れなんぞ,読むだけ無駄だ」 とばかりに一顧だにしない.

実は添付文書を読まない医者の耳にも,「国が認めた薬だから絶対大丈夫だろう」「厚労省の偉いお役人様が決めてくださったのだから,絶対大丈夫だろう」という幻聴が聞こえている.そして,そのお医者さんたちも,幻聴を信じ込むばかりで,決して悩むことはない.

かくして,幻聴の言うがままに行動し,リスク・ベネフィットのバランス判断に決して悩むことがない人々が,「夢の新薬」の承認を,「審査が遅い.PMDAは患者を見殺しにするのか」とばかりに催促する.ところが,その新薬の副作用が明らかになると,自分達が幻聴に従って行動していたことをすっかり忘れて,「厚労省は悪の枢軸.承認の張本人である審査員を吊るせ」と叫ぶ.

「主権者」達の大合唱と審査崩壊の可能性
業務上過失致死とは国家が個人を吊るすことだ.国民の皆様ために文字通り粉骨砕身で働いていた個人が,国家によって吊るされる.その国家を動かすのは,「主権者」達の「吊るせ」という大合唱である.

審査員達は,それが怖い.いくら安月給でも,いくらサービス残業してでも,いくら承認を早くしろとせかされても,安全第一を絶対のスローガンに,良心に従い,チームで時間をかけて相談し,最善を尽くして書いた審査報告書が,自分が吊るされるための証拠物件となる.何と皮肉なことだろうか.

自分が第二,第三の松村明仁氏になると思えば,ガレー船の奴隷じゃあるまいし,まともな判断力を持った人間なら,新霞ヶ関ビルから全て逃げていく.かくして審査は崩壊する.審査が崩壊すれば,そのパターナリズムに頼っていた医師や患者や一般市民やメディアのリテラシーは格段に向上する.ちょうど,医療崩壊が現実となって初めて,一部の一般市民達が,医療資源保護に動き始めたように7)

私も日本のFDAでDirector Medical Reviewerだったわけだから,吊るされる可能性はもちろんゼロではないが,退職以後は大分低くなった.そんな私が,法務部門の創設や審査員の免責 2)を求めているのは,私自身のためというよりも,新霞ヶ関ビルの中に残っている昔の仲間達のためなのだが,上記のような抜本的な一般市民リテラシー向上策に比べれば,免責をとの私の主張は,余計なお節介なのかもしれない.

1)審査員は被告になる
2)PMDAの医師不足:一刻も早い審査員免責制度の整備を
3)須山 勉。がん治療薬「イレッサ」副作用禍。効果強調が過剰期待招く。医薬報道に大きな教訓。2004年2月26日 毎日新聞東京朝刊。
4)絶滅危惧種
5)医薬品医療機器総合機構 平成18事業年度第3回運営評議会議事録
6)川上 浩司 先端医薬開発での認可制度の比較調査研究
7)伊関友伸 兵庫県立柏原病院の「小児科を守る会」のHP開設

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