法医鑑定の透明性と説明責任
ー樺美智子さんの死を巡って


1.樺美智子さんの死因を巡る諸説
2.解剖所見自体に争いはない
3.死因についての見解が分かれた
4.膵頭部出血は軽度であり死因とは考えられない
5.膵頭部出血の原因も人雪崩で窒息と一元的に説明可能
6.窒息死の原因は頚部絞扼ではない
7.結論
8.参考資料

小林多喜二の死因は「心臓麻痺」とされ、遺族からの解剖依頼を帝大(東大)、慶応、慈恵が断ったとされています。「心臓麻痺」は「急性心不全」「心筋梗塞」と名前を変えてなお亡霊のように漂っています(出羽厚二 岩手医科大学法医学教授 告発状受理、「皆様のお力添えのおかげ」

1.樺美智子さんの死因を巡る諸説
勾留医師暴行死事件の報に接した時、私が最初に思ったのは、多喜二ではなく、司法解剖されているにもかかわらず、その死因について今なお憶測が飛び交っている樺(かんば)美智子さんでした。

東京大学文学部の学生で学友会副委員長として60年安保闘争に参加した樺さんは,1960年6月15日夜,国会構内に突入した全学連と警官隊との衝突の中,22歳の若さで亡くなりました.翌日16日には,予定されていたアイゼンハワー大統領の訪日が中止され,1ヶ月後の7月15日には新安保条約を強行採決した岸内閣が総辞職しました.樺さんの死はそれほどまでに社会に重大な影響を及ぼした事件でした。

樺さんは、亡くなった翌日に司法解剖され、人雪崩による圧死、つまりデモ隊が国会敷地内に突入後、折り重なり倒れた人々の下敷きになって胸腹部が圧迫され、呼吸ができなくなったために亡くなったと結論されています。ところが、鑑定結果が樺さんの御遺族にも開示されなかったことや、安保闘争という時代背景もあって、警官の警棒による頭部外傷、あるいは扼死(手で首を絞められた)との推測から、KGB/CIAの陰謀論に至るまで、当時から諸説が氾濫し、今日に至っています。

その中でも医師で詩人・御庄博美(みしょうはるみ)のペンネームを持つ医師・丸屋博氏が2010年12月に公開した手記  [1] は、解剖所見を呈示して警官による扼死説を主張しているため、これを「決定的証言」[2]と捉える向きもあります。

出羽教授による刑事告発の報に接して思い出したのが、この丸屋氏の手記でした。樺さんもまた、警察官による暴行死の犠牲者なのだろうか?、もしそうでないとしても、人雪崩による窒息死という判断の妥当性はどこまで担保されているのだろうか?そういう疑問対する解答を得るため。私でも手軽に入手・閲覧可能な資料を使って、私なりに樺さんの死因についての丸屋氏の見解の妥当性を検討してみました。

検討に際しては、丸屋氏自身が安保に強く反対する陣営側の病院に勤務し、樺さんの御遺族とも親交があったことを考慮し,警視庁の検死官を長年勤めた芹沢常行氏のメモ [3] を比較対照の資料にしました。ネット上の丸屋氏の手記は誰でも閲覧可能ですし、芹沢氏のメモを記した書籍[3]も、電子書籍でも古本でも入手可能です。

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2.解剖所見自体に争いはない
樺さんの司法解剖は,亡くなった翌日の6月16日朝から慶応大学法医学教室で中舘久平教授執刀の下で行われました。この時,解剖に立ち会ったのは,芹沢氏のメモ[3]によれば、東京地検特捜部検事 難波 治氏,東京大学法医学 上野正吉教授, 代々木病院副院長 中田友也氏,参議院議員(社会党)で医師でもあった坂元昭氏の4名でした。しかし,丸屋氏の手記[1]には,上野教授,中田氏,坂本氏が登場するだけで難波検事の名前はありません。

1953年に岡山大学医学部を卒業、当時の臨床研修制度であるインターン修了後内科医として東京の代々木病院に勤務していた丸屋氏は,自身では解剖には立ち会っていません。丸屋氏が解剖所見を知ったのは、中館教授が解剖を進めながら説明する所見を中田・坂元両氏が口述筆記したノートを両氏から渡されたからです。丸屋氏は,そのノートを,当時の東京大学伝染病研究所(現 医科学研究所)病理部の草野信男氏に呈示し、草野氏の助言を受けながら丸屋氏が所見をまとめ、樺さんの死因について得た結論を手記に記しています.一方、芹沢氏は1960年から検死官として警視庁に勤務していたので、樺さんの解剖に業務として立ち会い、自分の目で確認した所見を残しています。

その丸屋氏の手記[1]と芹沢氏のメモ[3]を照らし合わせた解剖所見は,以下の通りです.

1.急死の三徴候(*)(暗赤色流動性の血液,皮膚,漿膜下,粘膜下の溢血点,実質臓器の鬱血)
2.甲状軟骨周囲に大豆大、小豆大、甲状軟骨右上角周辺に粟粒大の筋肉に出血、食道上端部の出血。
3.膵頭部の出血:出血量が5.6立方センチという少量で、かつ、膵臓の外へあふれ出ていなかった。(出血の程度の記述は資料[4]による)
4.頭部外傷・脳への損傷はなかった(丸屋氏の手記には頭部外傷・脳への損傷について全く記載がなく、芹沢氏も解剖時に頭部外傷・脳への損傷が全く無いことを写真撮影まで行って確認している)
5.体表面の異状も認められなかった(丸屋氏の手記にも、芹沢氏のメモにも体表面の異状についての記載が全く見られない)
*しばしば窒息の三徴候と誤解されていますが,窒息に特異的な所見ではなく,窒息以外の急死でもこの所見は共通して見られます.

上記の所見について、丸屋氏の手記と芹沢氏のメモの間に明確な相違はありません。ただ、芹沢氏のメモの方が、細部まで克明であり、頭部・脳への外傷所見が全くないことにも言及されています。

デモに参加した学生に対する警察官の攻撃は、警棒で頭を殴打する事例が圧倒的に多かったため、もし警察官による暴行が死因であれば、頭部外傷・脳損傷が確認されるはずだと多くの人が思っていました。ところが、芹沢氏のメモにより、関係者が当初懸念していた頭部外傷・脳損傷は解剖で完全に否定されたのです。樺さんは少なくとも頭部に対する攻撃は全く受けなかった。その証拠となる重要な陰性所見を芹沢氏は記録しているのです。

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3.死因についての見解が分かれた
丸屋氏と芹沢氏の間には、職業経験、安保闘争にする政治的見解、立ち会いの有無等、各人が得た解剖所見について大きな齟齬が生じる余地は非常に大きかったにもかかわらず、両者の記録の間には決定的な違いはありません。にもかかわらず、樺さんの死因について、1)検察(1965年6月16日)、2)中田・坂元両氏の記者発表(同年6月21日)[4]、3)芹沢氏に伝えられた中舘教授の見解(同年7月6日)、4)丸屋氏(2010年12月24日)で四者四様となりました。以下、時系列で古い方から新しい方へ並べてみます。

1)検察発表:解剖が行われた後,6月16日の午後に東京地検は、樺さんの死因について,@窒息死(人雪崩による圧死)、A腹部に強い圧迫が加わったための急性出血性膵臓炎,B@Aが同時に起こった の3つのいずれかであると発表しました[3]

2)中田友也・坂本昭両氏による発表(6月21日、参議院会館)[4]:死因は扼死であって、膵頭部の出血は死因とはならない。膵頭部に限局した出血は、固い鈍体が強く作用した結果と認められる、きわめて珍しい所見であるが、比較的面積が狭く、かつ出血量が5.6立方センチという少量で、かつ、膵臓の外へあふれ出ていないので、これが死因とは考えられない。

3)中館教授から芹沢氏に宛てた報告(7月6日付け)[3].死因は窒息死.頸部圧迫による窒息死よりも胸部圧迫によるものが強い.扼頚によるものとは考えられれない.ただし鼻・口に対する圧迫を否定するわけにはいかない。(死因としての膵頭部出血の関与については言及されていません)

4)丸屋氏の手記(2010年12月24日)[1] :「通常であればこの程度の扼痕で窒息を起こすなどは考えられないが、樺さんは膵臓の挫滅出血で既に重症の状態であって、さらに追い討ちをかけるようなノド仏の両側の扼痕が、手で頚を絞められたことが、彼女の直接の死因となった」と述べ、「樺さんは腹部に(警棒様の)鈍器で強い衝撃を受け、外傷性膵臓頭部出血と、さらに扼頚による窒息で死亡した」と結論しています。

解剖所見に争いがないにもかかわらず、その所見と死因をどう結びつけるかで見解が異なることがわかります。相違は下記の2点から生じています。
●膵頭部の出血が樺さんの死に関与したか?
●膵頭部出血の原因は特定できるか?
●窒息死の原因は人雪崩による圧迫か絞扼か?
では誰の主張のどの部分が妥当と考えられるのでしょうか?

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4.膵頭部出血は軽度であり死因とは考えられない
膵頭部出血が死因として関与した可能性を認めているのは検察と丸屋氏です。丸屋氏の手記には「膵臓頭部の激しい出血」「膵臓の挫滅出血ですでに重症の状態」とあります.また芹沢氏のメモにも「高層(ママ)の出血 特に,スイ臓頭部に相当する所が強い」と記載されています.ところが,いずれの記述においても,「激しい出血」、「高層の出血、強い」とあるだけで、出血量も出血範囲も特定されていません.剖検に立ち会ったことのある方ならわかると思いますが、剖検が行われ、しかも極めて珍しい所見だったのですから、解剖執刀者は、必ず具体的な出血量や出血の範囲を調べて口述します。それは中田友也・坂本昭両氏による発表に明らかです。膵頭部の出血は明瞭で特異ではあったものの、出血量としては軽度であり、死因にはなりえなかったのです。執刀した本人である中館教授も死因として膵頭部出血に言及していません。

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5.膵頭部出血の原因も人雪崩で窒息と一元的に説明可能
膵頭十二指腸部は3-5%の確率で腹部への鈍的外傷で損傷されうる部分です(Maggio P, Clark D. Management of duodenal and pancreatic trauma in adults. UpToDate)。膵損傷の診断は非常に困難であり、特に画像診断機器が発達していなかった時代には、樺さんのように剖検しなければ見過ごされる例も多々あったと思われま す。近年は超音波やCT/MRI等で診断可能となっていますので、樺さんが亡くなった1960年代に比べて、鈍的外傷による膵損傷の症例と知見がより多く 集積され、研究も進んでいます(Ann R Coll Surg Engl 95:241-245)(World J Gastroenterol 19:9003-9011)(Medscape Pancreatic Trauma)。ただし単に膵頭部に血腫があったからといって、樺さんが亡くなった時のデモ隊と警官隊との衝突のような状況下では、樺さんの腹部に対して、意図的でないものも含めて誰がいつどんな形で外傷を与えたかなど特定する根拠にはなりません。

樺さんの剖検で見られた膵頭部の出血について、丸屋氏は「警棒様の鈍器で突かれた」と判断していますが、そのように決めつけるには無理があります。なぜならば、腹部への鈍的外傷はその種類如何を問わず、膵損傷の原因となるからです。丸屋氏は血腫が膵頭部に限局したことをもって、警棒様の鈍器による限局した強い圧力が膵頭部を脊椎との間に挟んで膵頭部に血腫を形成したと考察していますが、それはあくまで数多ある外傷機序の可能性一つに過ぎません。何者かに腹部を踏まれたのかもしれません.もちろん,それが警官なのか学生なのかは解剖所見からは決して特定できません.

結論として、膵頭部の出血は腹部への鈍的外傷によるものだが、その鈍的外傷が果たして警棒で突かれたのか、誰かに腹部を踏まれたのか,だとしたらそれは誰なのか?恣意的なものか否か? あるいは人雪崩による腹部全体の圧迫が原因だったのか,いずれかを特定することは不可能です。ただし、窒息の原因は頚部絞扼ではなく、人雪崩による胸腹部の圧迫と考えれば、膵頭部出血の原因も一元的に人雪崩による腹部圧迫と考えられます。

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6.窒息死の原因は頚部絞扼ではなく人雪崩
上記4者はいずれも窒息死という点では共通しています。しかし窒息の原因については、検察と中館教授は人雪崩による胸腹部の圧迫、中田・坂本両氏と丸屋氏は扼死で判断が分かれています。

ここで第一に問題となるのは、扼死との判断の根拠となった前頚部筋肉内出血です。この筋肉内出血については、扼死説を採る丸屋氏自身が「通常であればこの程度の扼痕で窒息を起こすなどは考えられない」と述べています[1]。なお丸屋氏は手記の中で「前頸部筋肉内の出血性扼痕」と表現していますが、これは正確には「筋肉内の出血」のことであり、体表面に扼痕を認めたわけではありません。体表面の扼痕については下記に述べました。

解剖で得られた所見の程度の前頸部筋肉内出血自体は非特異的なものであって、胸腹部への圧迫による胸腔内・縦隔内圧の上昇、鬱血で十分説明できます [3]。前頚部の出血は絞扼・絞首・窒息にに限らず、溺死(Am J Forensic Med Pathol 19:223)(Appl Med Res 2:31-4)や、心疾患、呼吸不全、薬物中毒死等の内因性疾患でも生じる非特異的な所見です(Int J Med Toxicol Forensic Medicine 3:10-19)。従って、前頸部出血だけで扼死と判断してはならないのです。

扼死ならば前頚部筋肉内出血に加えて頸部に扼痕があるはずです。ところが扼死を主張する丸屋氏の手記にも、芹沢氏のメモにも、扼頸を裏付ける肝心の体表面の扼痕の記載が全く見当たりません(*)。扼痕がなければ扼死とは判断できません。上述のように、前頸部筋肉内出血は内因性疾患でも生じるのですから、心疾患や呼吸不全による死亡を犯罪と取り違えてしまう可能性も十分あるわけです。そのような司法過誤が実際に起こったのが、樺さんの死の約20年後、1984年に山下事件という冤罪事件です。拡張型心筋症末期でワーファリンを服用していた患者さんが突然死した例で、解剖したところ前頚部筋肉内に出血を認めたので、それだけで「扼痕のない扼死」と断定され、夫が被疑者となり、警察官がでっち上げた自白調書に署名させられたのです。山下事件の詳細については別のページで触れましたので、興味のある方はご覧ください。

以上より、樺さんの死因として扼死は否定され、人雪崩による胸腹部圧迫(J Forensic Leg Med 22:33)(Am J Forensic Med Pathol 25:358)が窒息死の原因となったと結論できます。。解剖の目的は死者の尊厳を守るためです。決して特定の組織や個人の利益・主張に資するものであってはなりません。樺さんが自分の死をもって教えてくれがことに対して、予断を持たず、謙虚に学んだ結果を後の世代の不幸を少なくするために生かす。それが我々の使命です.

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7.結論
樺美智子さんは人雪崩による圧死、つまりデモ隊が国会敷地内に突入後、折り重なり倒れた人々の下敷きになって胸腹部が圧迫されて呼吸ができなくなったために亡くなった。体表面の扼痕が認められないので何者かによる扼死ではないことは明らかである。頭部外傷の可能性も剖検により完全に否定されている。
膵頭部の出血は腹部への鈍的外傷によるものと考えられるが、その外傷機序を特定することはできない。また、その出血量は死因となるほど高度ではなかったので膵頭部の出血が死因とは考えられない。
以上より、樺美智子さんの解剖所見には、特定の組織あるいは個人の恣意的な行為や犯罪の関与を示す証拠は認められなかった。

8.参考資料
[1] 樺美智子さんの「死の真相」(60年安保の裏側で)―60年安保闘争50周年(ちきゅう座)
[2] 「横浜日記」(186)その5―樺美智子「死」の真相=丸屋博医師が決定的証言
[3] 山崎 光夫 東京検死官―三千の変死体と語った男 講談社文庫
[4] 中田友也・坂本昭。故樺美智子さんの剖検所見に就て (1960年6月21日参議院会館における中間発表、6月22日朝日新聞。[1]より引用)

失敗の本質:法医学版

一般市民としての医師と法

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