はじめに
今回も、「そんな馬鹿な」と多くの皆さんが疑問に思います。もちろん一口では説明できません。心理学的な落とし穴、臨床疫学的観点、バイアス、利益相反問題、同調行動といったキーワードは難しいと感じるかも知れませんが、実は非常に身近な、あなた自身に関わる問題です。
根本的な原因はあなたの心の中にもあります
「どうしてこんな馬鹿げたことが起こったのか?」と多くの皆さんが疑問に思いますが、その思いに根源的な答えがあります。誰もがそういう想いを持っているから、ここまで誤診・誤判が放置され、事が大きくなってしまったのです。
「まさかそんな馬鹿なこと、ありえない」と大多数の人が思っている環境こそが、「そんな馬鹿なこと、ありえないこと」が発生し、放置される絶好の母地・培養環境となるのです。だってそうでしょう。「そんな馬鹿なこと、ありえないこと」は存在しないことになっているのですから、誰も「そんな馬鹿なこと」について考えなくなり、検討しなくなる結果、放置されるのです。
「そんな馬鹿なこと、ありえないこと」が、もしかしたら起こりうるかもしれない との仮説に基づいて考察を進めるなんて、暇な変人のやることだと思いますか?それよりも、犯人が見つかったとはしゃぎ立てる警察による報道発表の垂れ流しに目を輝かせ「奴を吊せ。火あぶりにしてしまえ」と思考停止して叫ぶ方が好きですか?
自分たちが棲息する天体は巨大な球体であるとか、太陽ではなく、地球が動いているとか、科学の進歩とは、しばしば、「そんな馬鹿なこと」と思われていたことが現実に起こっていることが多くの人々に検証され、確認され、徐々に認識されていく過程です。この、事件性のない事件は、司法事故の存在が認識され、真の意味での司法改革が行われていく出発点に過ぎません。
そもそも発想が馬鹿げていた:臨床疫学的観点の欠如
そもそも、「事件」の発想が、臨床疫学・臨床推論・バイアスといった医学常識を踏まえない馬鹿げたものでした。臨床疫学・臨床推論の観点から言うと、「点滴していた人が急変したから点滴に原因があるに違いない」という発想は、「畳の上で死ぬ人が多いから畳に死因があるに違いない」、「墓石の下には必ず死体があるから墓石が死因に違いない」という発想と何ら変わるところはありません。馬鹿げた発想が馬鹿げた誤診につながり、馬鹿げた判決が生まれたというわけです。
畳や墓石ならば誰でも馬鹿げていることだとすぐわかりますが、点滴だとか、アミロイドだとか、非日常的で科学らしい臭いのする言葉になると、途端に馬鹿げたことだと認識できなくなって、ころりと騙されてしまう。そこが落とし穴でした。「点滴」の一言で、一般市民・警察・検察はもちろん、国立大学の麻酔科教授まで(アミロイドの場合には高名な研究者まで。まあ、研究費が必要だから騙されているふりをしているだけのしたたかな人も多いのですが)が、その落とし穴に嵌り、馬鹿げた誤診をしてしまったのです。
この裁判の特殊な構造
医療訴訟同様、いや、ベクロニウム中毒の疑いという、世にも希な事象をあつかうだけに、一般の医療訴訟よりはるかに厳密な臨床的検討が必要な事例でした。それなのに、刑事裁判扱いでしたから、全く正反対の見解で対立する二人の麻酔科医のどちらが正しいのか、素人の裁判官が判断したのです。これでは裁判ではなくて、丁半博奕も同然です。さらに、法廷で証言した医師のほとんどは、自分の診療の記録を全て無視して、ベクロニウム中毒を否定しませんでした。中には、あたかもベクロニウム中毒を疑っていたかのような証言をした医師もいます。しかし、これはやむを得ないことでした。なぜなら、犯人に味方する奴は、一緒にしょっ引くぞという無言の圧力が検察からかかったからです。医師が自分の診療と全く異なる証言をする理由は他にはありません。
また、ベクロニウム中毒の診断について、一切文書が残されてない(鑑定が行われてない)のも極めて異常な裁判でした。ベクロニウム中毒診断の根拠となったのは検察側証人の麻酔科医橋本保彦氏の証言だけです。しかし証言は、検察官や弁護人といった素人との対話に過ぎません。医師の診断プロセスとは全く異なる対話です。対話集ですから、素人にわかりやす説明するために正確さが欠けます。さらに文献を精査しながら書く鑑定と違って記憶のみに頼ります。ですから、例え嘘を言わないつもりでも、あいまいな記憶に頼って不正確なことを言ってしまう危険性もあります。
このように不正確な対話集のみに頼って、臨床の素人である裁判官が下した結論が正しい確率は、たかだか50%に過ぎません。
診療の基本・診断に必須の情報を無視
国立大学医学部教授の臨床能力が検察官と同等ないしは劣るといっても、誰しもが、「そんな馬鹿な」と取り合ってくれません。しかし、それは事実でした。
診療の根本である病歴・身体所見・症状を無視して検査信仰に走ったことも誤診の主因の一つです。病歴・身体所見・症状の無視は、それを記載した診療録の無視につながりました。筋弛緩剤中毒と誤診した橋本保彦氏は、筋弛緩剤中毒との鑑定書を書いていません。法廷での証言(検察官との問答)で「いずれの症状・所見も筋弛緩剤中毒に矛盾しない」と言っているだけです。しかし、その問答で取り上げられている「いずれの症状・所見」というのは検察官が強力なバイアスを持って診療録から恣意的に拾い上げた症状です。
検察官は全ての症状・経過・検査所見を網羅的に挙げているわけではありません。検察官は当然、有罪であるという強力なバイアスに囚われていますから(何しろ、それが検察官の使命ですから)、筋弛緩剤中毒では絶対に説明できない所見、すなわち、11歳女児例では、来院に至るまでの症状経過や、高乳酸血症、左側の難聴、肥大型心筋症といった、MELASの診断に至るための重要な所見は全て無視して橋本氏に呈示しています。検察官によるこのようなバイアスに満ちた恣意的な情報提示は他の4例でも全く同様に行われています。何しろ、それが検察官の使命ですから。
しかし、もし橋本氏が多少なりとも臨床能力を持ち、自分の目で診療録を検証していれば、筋弛緩剤中毒では絶対説明できない数々の所見を見出して、筋弛緩剤中毒との結論は出さなかったでしょう。にもかかわらず、5例全例に対して、筋弛緩剤中毒と誤診してしまったということは、橋本氏の臨床能力が検察官のそれを越えることができなかったということに他なりません。ここでも「そんな馬鹿な」ことが起こったのです。「橈骨動脈の拍動と呼吸数を間違えることがある」(橋本保彦証人尋問調書平成13年(わ)第22号等 P44)との橋本氏の証言は、いくら辻褄合わせの必要があったとはいえ、悲しい墓標を残してしまったものです。
利益相反問題
ステキ製薬の新規肺癌治療薬ヨクナールの臨床試験の責任医師である、よかとこ大学医学部の善田良人教授は、熱意溢れる善良な研究者です。ヨクナールの臨床試験が無事に終了し、その結果をまとめ、学会に発表しました。従来の治療薬を投与された100人の患者さんのうち、半年以上生存した患者さんの数が10人だったのに、ヨクナールを投与された患者さん100人のうち、半年以上生存した患者さんの数は20人と、従来の治療に比べ2倍に増えていたのです。発表を終えて鼻高々の善田教授に向かって、その発表を聴いていた意地悪大学の日根田教授から、善田教授に向かって質問が出ました。
日根田:「半年以内に死亡した患者さんの数は、それぞれの群で何人だったでしょうか?」
善田:「従来の治療薬を投与された100人の患者さんのうち、半年以内に死亡した患者さんは10人でした。ヨクナールを投与された患者さん100人のうち、半年以内に死亡した患者さんの数は30人でした」
日根田:「発表の中では利益相反が開示されていなかったようですが」
善田:「リエキソウハン・・・とおっしゃいますと・・・・???」
日根田:「たとえばですね、ステキ製薬から、研究費、講演料、出張旅費などの資金提供や、研究設備、実験装置などの物品の提供を受けているかどうか、その他にも、ステキ製薬関係者が臨床試験実務に直接関与していたどうか、善田教授ご自身がステキ製薬の株をお持ちかどうかとか・・・」
善田:「それでしたら、そもそも私の講座がステキ製薬様からの年間1億円の資金で運営されています。ですから、私のお給料もステキ製薬様からいただいていることになります。研究設備、実験装置も全てステキ製薬様から提供されています。今回のヨクナールの臨床試験に際しても、ステキ製薬様からのスタッフの全面的支援をいただきました。ですから、そのご恩返しの意味で、私はステキ製薬様の株をせっせと購入しています。幸い臨床試験結果により、ヨクナールが素晴らしい新規抗がん剤であることが証明されましたので、これでステキ製薬様の株がどんと値上がりしますから、これぞ、win/winのビジネスモデルというわけでありまして・・・」
馬鹿げた話と思うでしょう。そうです。実際にはこんな馬鹿げたことは起こりません。科学の世界では。なぜなら、科学の世界では、潜在的なものを含めて、利益相反問題を全て明らかにした上で、研究成果を発表するように義務づけられているからです。ところが裁判では、利益相反問題は一切考慮されていません。科学の世界より20年以上遅れているのです。利益相反問題一つとっても、裁判には科学性・中立性が欠落しているのです。
そのため、証言の中立性が一切担保されていません。東北大学医学部教授が経営し、診療以外にも、その教授が受けていた莫大な研究費を使って臨床研究も行っていた施設で起こった「事件」の裁判。その裁判で証言した医師は、筋弛緩剤中毒を否定した弁護側証人の小川龍氏(日本医科大学麻酔科教授)を除き、全員が東北大学医学部関係者でした。特に東北大学は、東北地方で図抜けた影響力を持っています。さらに当時は臨床研修マッチング実施以前の時代であり、教授を頂点とする大学医局による医師の人事支配は非常に強力なものでした。小川氏を除く全ての医師が、潜在的なものを含めて、利益相反問題を抱えていたのです。
一方、診療録は全て適切に記載されていました。ですから、診療録を見る限り、証言した医師達に、精神的、人格的に問題があるとはとても思えません。その医師達が、自らが行った診療、自らが記録した診療録、自らが下した診断を全て否定して、筋弛緩剤中毒を支持したり、黙認したりする極めて異様な行動をとったのです。ですから、彼らの異様な行動と、今日に至るまでの沈黙の原因は、この利益相反問題以外には考えられません。詳細については→FES臨床研究における研究倫理と利益相反問題ー
複数の信仰の相乗作用
沖中重雄先生の定年退官講演で、自らの誤診率を14%と発表し、一般市民はその多さにびっくりし、医療関係者はその少なさにびっくりしたという有名な話があります。1963年のことです。医療事故が騒がれる遙か前の、牧歌的な時代です。その根底には、医師に対する無謬性信仰があったわけです。そして、警察官、検察官、裁判官に対する無謬性信仰は今でも厳然として存在する。だから、「司法事故なんて、まさかそんな馬鹿なこと、ありえない」。そしてこの無謬性信仰に、専門家・国立大学・教授信仰と検査・機械信仰が加われば、それはそれは鬼に金棒です。
「医療事故」という言葉が広く認識される前や、その黎明期は、やはり「そんな馬鹿なこと、ありえないこと」ばかりだったわけです。それが、「そんな馬鹿なこと、ありえないこと」が実際に多発していることがわかって、「そんな馬鹿なこと、ありえないこと」の認識が様変わりしました。司法事故も、医療事故との相同性ゆえに、今後そういう経過を辿るのです。この「事件」はその端緒に過ぎません。
ホロコーストを生んだ心理
Solomon
Aschの心理学実験(多数者意見の影響力は個人の行動をどのくらい束縛するか:同調行動に関する社会心理学の研究)は、筋弛緩剤中毒「事件」のようなトンデモ裁判だけでなく、ホロコーストの発症機序についても考察の材料を提供してくれます。彼は、たとえ妥当性・科学性が欠けていても,多数派意見ならばそれに同調しようとする心理を説明してくれます.単なる線分の長さでさえ,誤った多数派意見に同調してしまうのですから,医師が「病気ではなく,事件だ」と言えば,警察・検察・裁判所・メディア・地域社会が何ら疑問を持たずに一丸となって突っ走ってしまい、それはおかしいという少数の声がかき消されてしまう悲劇は,今回のような地域レベルに留まりません。「悪いことは全てユダヤ人の陰謀だ」というスローガンに反対する声が抹殺されて、罪もない一人の人間が無期懲役にされるどころか、数百万人が虐殺される事件まで起きたのですから。人々は、70年経っても、「どうしてそんな馬鹿げたことが」と問い続けています。
司法事故・医療事故以外のトンデモ科学スキャンダル
10年前のこの「事件」を巡る世間の状態は、常温核融合スキャンダル勃発時にそっくりです。
「常温核融合スキャンダル・・・迷走科学の顛末」 ガリー・トーブス著、渡辺正訳、朝日新聞社、3200円(今はアマゾン古本で200円から)
物理学の常識を知らない化学者が実験の失敗から生じた事故(?)を世紀の大発見と思い込み大々的に報道発表、超大型研究費獲得のために利用しようとする大学・公的研究機関・そして政府、ビジネスチャンスとばかり飛びつく数々の企業・ウォール街と、研究を知らない人々が入り乱れての熱病が大流行しました。仙台の「事件」の成立過程も常温核融合スキャンダルによく似ています。
この問題が解けますか?
ここまで説明しても、「警察官、検察官、裁判官は決して間違うことはない。守が無罪のはずがない。なぜ急変患者が多発したのか?それを説明できない限り、守の有罪の可能性は完全に否定できない」と主張する方がいらっしゃるかもしれません。
そういう方は、刑事裁判では検察側に立証責任があるという「基本のき」をご存じない無知な方です。「なぜ急変患者が多発したのか?それを説明できない限り、守の有罪の可能性は完全に否定できない」との主張は立証責任の放棄です。そして警察官、検察官、裁判官はすべて神である。絶対に間違わないとの信仰を頑なに守る方です。そしてもちろん、「畳の上で死ぬ人が多いから畳に死因があるに違いない」、「墓石の下には必ず死体があるから墓石が死因に違いない」というユニークな発想ができる方です。
そういう無知や信仰を相手にするほど私は暇ではありません。ただし、自習教材を提供するぐらいのことはできます。特に医師免許をもっている人で、ここまで説明しても納得できない人は、免許を使う資格はありません。せめて、この自習材料で学生時代に戻って勉強してください。
下記は実際に長崎大学の教養課程の講義で学生(経済学部、教育学部、工学部、水産学部、環境科学部といった、医歯薬以外の学部の1-2年生)に課したレポート課題です。「臨床疫学」とか「臨床推論」とか「バイアス」とか難解な専門的な用語・概念を一切知らなくても、半分以上の学生が正解でした。
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坂本記者の同僚、上司、あるいは坂本記者が書いた記事を読んだ読者3通りのうち、いずれかの立場に立って、坂本記者の取材に対してコメントしてください。読者の立場に立つ場合には、坂本記者の書く記事を想像して、よかとこ新聞社に投書するつもりになってください。
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坂本しげるは、正義感溢れる、よかとこ新聞社の社会部新人記者である。ある日、厚生労働省の統計データ発表で、よかとこ県では、県民10万人あたり年間600人が死亡することを知った彼は、県民の命を守る最後の砦では、どれだけの命が救われているのかを知りたくなって、よかとこ大学付属病院の危機管理委員会の資料を入手した。
すると、 よかとこ大学付属病院では、入院患者600人のうち、平均で毎日一人が亡くなっていることがわかった。坂本は小学校時代から算数が苦手だったが、持ち前の正義感で懸命に計算したところ、なんと、よかとこ大学付属病院での死亡率はよかとこ県全体の死亡率の100倍となっていることが判明した。(もし病院での死亡率が県全体と同じならば、年間3.6人しか亡くならないはずなのに、毎日一人が亡くなるのだから、年間で365人亡くなっている)
県民の命を守る最後の砦のはずの大学病院が、実は殺人組織だったという大スキャンダルを発見し、慄然とすると同時に、白衣を着た犯罪者集団に立ち向かう自分の姿に勇気凛々となる坂本なのであった。
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