終活とやらについて
(ある人と終活とやらについてのやりとりを公開用に一部加筆、改変)
生まれ方(親も含めた、生まれてくる環境)を選べないのと、同様に死に方(周死期状況)も選べないのは動物も人間も同じ。だから動物がやらない終活は、極めて「人間らしい」活動ということになる。
宇野千代は「私何だか死なないような気がするんですよ」と書いた後、半年経たずして亡くなった。享年九十八。瀬戸内寂聴は「死ぬ死ぬ詐欺」を自称している。享年七十三だった西行が「願わくは花の下にて春死なん」と詠んだのは、五十代前半だったそうな。
その西行を気取った私(当時五十)が、それからさらに十年前(ホームページを開設した96年)、つまり四十で「私が死んだらこのホームページはどうなるのか? 」なんて心配していた。埼玉の重度知的障害者施設に居た時だ。6年半の在職中、何人か見送ったが、もちろん誰も終活はしなかった。一方、私は当時から終活気取りだったわけだ。そのページを読んだ人から「長生きするリスクを考えていない」と批評をもらったけれど、当時は「何言ってやがる」と思ったもんだった。「若くして亡くなっていく人を見送っている自分」みたいな「若気の至り」があったんだろうね。それが今は、還暦を2つも超えてしまって、「長生きするリスク」の顕在化に苦しむ当事者となっちまったわけだ。
でも、「長生きするリスク」って、本当にそうなんだろうか?「還暦」が肉体の減価償却完了を意味するのならば、後は、「余命1年、但し随時突然の打ち切りもあり」という契約書が、毎年誰にでも必ず届く(*)。そんなありきたりの契約に対して「長生きするリスク」なんて、「看板に偽りあり」じゃないのか?
「終活という選択肢は人間らしい特権」みたいなキャンペーンが大々的に展開されているけれど、実はそれは選択肢でも何でもなくて、誰にも周死期状況は選べないという、厳粛な事実に対してじたばたする人間がいるだけ。猫が縁の下に入って亡くなるように、動物には自分の死に様は見せないという自由がある。一方、動物が持っている自由さえない「社会的存在」には「孤独死」さえ許されない。そんな衆人環視の周死期に対するささやかな抵抗が「終活」なんだろうか。
やりたいこと(それを「仕事」と称する)しかやらない病気は死ななきゃ治らないからね。私のエンディングノート=死ぬまでやりたい放題。
*門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし(一休宗純 狂雲集)
参考:私のエンディングノートとやらの変遷
つひにゆく(1996年)
まだ生きている(2002年)
西行気取り(2006年)
我々は不完全な死体なのです(2011年)
→二条河原へ戻る