私が死んだらこのホームページはどうなるのか?
どうなるのでしょうかね?著作権がありますから,すぐ除去されないだろうとは思うのですが,著作権を引き継ぐ人に通告があって,契約が継続できればいいんでしょうかね.
こんなことを書くのは,このホームページを維持,管理する目的の一つが,遺言を作ることだからです.いつ死ぬかわかりませんから,こうやって少しずつでも遺言を書いておかないといけません.遺言といっても,もちろん,お金とか,持ち物とかについてじゃありません.
いつ死んでもいいように,なんて体裁のいいことではなくて,明日死んでも,被害をなるべく少なくしたい,という意地汚い気持ちからです.被害というのは,言うべきことを言わなかった,伝えておくべきことを伝えなかったということです.
わざわざ時間を割いて,僕のページを尋ねてきてくれる人に少しでも多くのメッセージを伝えておきたいのです.僕が学んだことで,誰かに役に立つことを記録しておきたいのです.
葬式はしない:生きている間じゅう,さんざん人の手をわずらわせたはずなのに,死んでからもなお生きている人間に迷惑をかけようとするのは,何という業腹なのかと思います.諸葛亮は死して司馬仲達を走らせましたが,僕のような俗物が諸葛亮を気取るのは,物笑いの種にしかならないでしょう.葬式は絶対にお断りします.参考→今様諸葛亮
戒名は不要:成仏して極楽浄土に行けるかどうかは,仏の教えを守って功徳を積んだかどうかによるのであって,死んだ後に坊主に払う金の額で決まるものではありません.こういうところは森林太郎みたいな偉い人を見習いたいものです.
ゴミは海洋投棄:火葬でどうしても焼け残ったごみの処置は困り物ですね.生物は海から生まれたものですから,海に帰すのが一番いいでしょう.海は世界中どこでもつながっていますから,どこの海でもいいです.
死んだ後まで責任は持てない:借金の押しつけ合い,財産(不幸にも,もし残っているとしたら)の取り合いについては,生きている人々で適当に喧嘩して下さい.そういう馬鹿げたことで争えば,生きている人もいい人生勉強にもなるでしょう.あたしゃ,死んだ後まで責任は持てませんよ.僕が出来るのは,争いの種になるような財産を残さないことだけです.
身死して財(たから)残ることは,智者のせざる所なり.(徒然草 第百四十段)
これは1996年の遺言でしたが,これが6年後にはどう変化したでしょうか?→まだ生きてる