死後の世界を想像する

といっても、いわゆる「あの世」のことではない。そんな不可知・未経験のことはどうでもいい。私にとっての、死後の世界とは、私の肉体がこの世から消失した後の、私がそれまで何十年か生きていた後の、この世である。私にはその「死後の世界」に大変興味がある。だからいろいろなことを想像してしまう。たとえば下記のような野望の数々は、誰がいつどうやって達成するのだろうか?それを考えただけでもわくわくしてしまう。

私のBMJの仕事はどうやって検証されるのだろうか?意識障害患者の頭蓋内病変の有無に対する収縮期血圧のROC曲線は年齢によって違うに決まっているのだから、n数を十分に増やして、一体それをいつ誰が証明してくれるのだろうか?

お告げの研究は、いつ、誰がやってくれるのだろうか?

医師のキャリアパスについての教育が学部に導入されるのは、いつのことになるのだろうか?

医師のうつ病に対するDIY認知行動療法が導入されるのは、いつのことになるのだろうか?

科学捜査が科学的になるのはいつのことになるのだろうか?

警察官、検察官、裁判官に対する医学教育の問題は一体いつどうやって取り上げられるのだろうか?彼等に対する医学教育は一体誰がやることになるのだろうか?

新薬の承認審査をする時の審査員の頭の中は一体どうなっているのか?そんな素朴な疑問にこだわる研究はどんなふうに発展するだろうか?あるいは誰も見向きもせずに消失しているだろうか?

臨床開発や承認審査のガイドラインが航海のための天体観測だとすれば、レギュラトリーサイエンスは天文学・宇宙物理学に相当する 
「レギュラトリーサイエンスとは何か?」と尋ねられた時、私はそう説明しているのだが、21世紀の人間は誰も私の言葉を理解できないでいる。22世紀になれば、誰かが私の言葉を理解して学問を進めてくれるようになるのだろうか?

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