オープンアクセスの意義とは?
-不定冠詞の意味から考える-
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(前略)Natureが拓く初のオープンアクセス Edanz2020年12月31日 (木)配信より抜粋
もっとも、Natureは他のトップジャーナルに追い付こうとしているだけともいえる。他のトップジャーナルには、アクセスに関する選択肢やポリシーが 数年前から存在している。The New England Journal of Medicine(NEJM)およびThe Journal of the American Medical Association(JAMA)は、すべての研究論文を出版6ヵ月経過後は無料で公開しており、JAMA Open Networkはアクセスが無料のOAである。American Cancer Society’s CA(A Cancer Journal for Clinicians)は、読者および著者の費用負担ゼロですべての論文に無料でアクセス可能で、そのインパクトファクターは、あらゆる雑誌の中で最も高 い(2019年で292.278)この数字はNature (42.778)、Science (41.845)の7倍、NEJM(74.699)4倍である。
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オープンアクセスの元祖としての図書館
科学論文に対するオープンアクセスはネット以降に発生したわけではない。紀元前3世紀(プトレマイオス朝)アレクサンドリアに創建された時から図書館はオープンアクセスだった。アレクサンドリアの開放度は書籍・文字情報に限らなかった。ヒポクラテスの時代も含めてそれまで禁じられていた人体解剖が初めて行われたのもアレクサンドリアだった。古代エジプトで貨幣が本格的に流通したのはプトレマイオス朝以降とのことだから、図書館で入館料を徴収していた可能性は皆無である。

何に対しての購読料なのか?
医学図書館ではもちろんNatureもただで読める。それが電子媒体となると論文入手のためになぜ金を払わなくてはならないのか?我々は何に対して金を払っているのか?現役の研究者の中で、そんな素朴な疑問を持つ人は今や何割ぐらいだろうか?21世紀初頭から自然科学・生命科学系雑誌の電子化が進行する前に研究者人生を始めていた人はどんなに若くても四十代半ばを過ぎている。
 研究室から図書館まで足を運び、書架から目的の号を取り出し、論文を複写し(これは別料金)、研究室に帰り、通読してから自分の引き出し、あるいは書棚の然るべき場所に納める。いや、そんな簡単なもんじゃない。引用文献の中に必要な論文の2つや3つ、必ずある。だからそれも図書館でチェックした上で、所蔵のあるものはまた複写し、ないものはカウンターで取り寄せ手続きを取る。たった一つの引用文献にこれだけの手間暇を投入していた。それが電子媒体で一気に解消される。そこに目を付けた出版社がお客様である読者対して「てめえ達に便宜を図ってやってるんだから金よこせ」となって今日に及んでいる。、ここまで読んで頂いた方が思い浮かべるのが、出版社が図書館に請求する購読料金の高騰(参考記事 伊藤穰一の対エルゼビア戦略研究者から搾取する出版社)、ハゲタカジャーナルといった問題だろう。これらの二つの問題の難解さを考えると、途端にオープンアクセス問題についてこれ以上考えるのが嫌になるかもしれない。しかし今少し読み進めてもらいたい。

なぜ不定冠詞なのか?
A Cancer Journal for Cliniciansは私の間違いではない。もちろん誤植でもない。Theではなく、Aである。
「ウチは、『我らは斯界の最高峰。唯一無二の存在である。だから読者の皆様からもそれなりの対価をいただきます』と宣言するような身の程知らずのジャーナルではありません。ましてや営利企業である出版社の商品でもなければ、製薬企業の広告塔でもありません。ですから弊誌を御愛顧くださる大切な読者の皆様個人から金を巻き上げるような傲慢な営業はいたしません。もちろん、まともな査読もせずに低俗な論文を満載するような恥知らずな真似は決していたしません。ウチはあくまで一学術誌としての原点、つまり読者から評価される掲載論文の質だけで勝負します」
タイトルでそう宣言しているのだ。それがNature 、Science の7倍、NEJMの4倍のインパクトファクターの理由である。おわかりだろう。ジャーナルのタイトルを不定冠詞にする度胸さえあれば、ハゲタカはもちろん、ブラック企業さえも吹き飛ばすことができるのだ。このあたりにオープンアクセス問題の解があるのではないだろうか?

参考文献 上田修一 学術情報の電子化は何をもたらしたのか 情報の科学と技術 2015;65 (6):238-243.

追伸:なお、私の「法的リテラシー」も「コロナのデマに飽きた人」も,その他おなじみコンテンツも, みんな1996年のHP開設当時(2021年25周年)から,ずーっとオープンアクセスである。私が自他共に認める医療法務の第一人者(*)でいられるのも、このオープンアクセスのおかげである。
*日本の医療法務専門家は世界中で私一人しかいない

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