ディオバン「事件」で黙秘する人々
日経メディカルオンライン 2016年7月29日掲載
文句を言わずに急に来なくなる。そんな日本人観光客は、欧州では「妖精」扱いされるそうです。特に日本人ではサイレントクレーマーの比率が非常に高いそうですから、日本でサービス業を営む人々にとって、その意向把握はしばしば死活問題となります。
一方、検察官や裁判官のように、自分の仕事はサービス業ではないと考える人々は、マスメディアのような声の大きさを身上とする集団への対処に専心する余り、サイレントクレーマーの存在など一切念頭にありません。このことが中世の水準と国連で厳しく批判される日本の裁判を形作っているのではないのか?
だとしたら、マスメディアに迎合した裁判を分析する一方で、そんな裁判に対するサイレントクレーマーの意向を把握することは、裁判の品質改善に貢献するのではないか?今回はこのような検証仮説の下に、ディオバン「事件」裁判では意外にも全く言及されていない、Kyoto
Heart Study (KHS)論文の重大な瑕疵について解説します。
広告価値ゼロの「誇大広告」
「KHSの事後サブ解析を行った二つの論文は、医薬品医療機器等法(旧薬事法)66条違反の誇大広告に当たる」。これがディオバン「事件」裁判における検察官の極めて独創的な主張です。この主張は以下の二つの大前提があって初めて成り立つことは既に説明しました。第一に紙くず同然の当該二論文に広告価値があること(関連記事1)。第二に日本中の医師が添付文書も読めない大馬鹿者であること(関連記事2)。
処方箋医薬品の広告の対象は医師です。もし当該二論文が検察官の主張するような「悪質極まる誇大広告」であれば、論文を読んだ全国の医師が、「バルサルタンはなるほど類薬よりもとびきり優れた降圧薬だ」と、すっかりだまされてしまうほどの御威光があったはずです。でもそれは検察官の頭の中にしか存在しない空想医学物語でした。
そもそも当該二論文の元となったKHS論文が、広告価値ゼロのイカサマ論文であることは論文発表当初からわかっていました。なぜなら、今からちょうど7年前、オンラインに掲載された論文の表紙にそう書いてあったからです。「Received 4 August 2009; accepted 13 August
2009; online publish-ahead-of-print 31 August 2009」 論文がEuropean Heart Journal(EHJ)の編集部に届いてからアクセプトされるまで9日間。peer review(ピア・レビュー)がどういうものかを知ってさえいれば、この9日間という時間がどういう意味を持つかはすぐにわかります。
ただし添付文書さえ読めない検察官には別途単純化した説明が必要です。たとえば「査読免除というとんでもない八百長でアクセプトされたKHS論文のイカサマ度は、何人もの専門家から厳しい査読を受けて初めてNatureに掲載されたSTAP細胞論文をはるかに凌ぐ」というように。
これで「奨学寄付金ロンダリング」のつもり?
利益相反開示は研究論文の基本中の基本です。仮にもアクセプトを目指すのならば、嘘はもちろん、わずかの間違いも許されません。ましてやバルサルタンの「降圧を超えた効果」を示す研究の論文ならば、ノバルティス社がスポンサーになるのは当然ですから、利益相反を開示するのに何のためらいも要らなかったはずです。
実際Jikei
Heart Study (JHS)の論文には、「The study was funded by the Jikei University School of Medicine, with
an unrestricted grant from Novartis Pharma KK, Japan」と、ノバルティス社からの奨学寄付金により行われた研究であることが明記され、さらに個々の著者についても、その多くが同社との間に利益相反を抱えていることが開示されています。ですから、松原弘明氏(元京都府立医科大学教授)自らが「JHSの二番煎じ」と呼ぶところのKHS論文の利益相反の記載も、JHS論文と同様になっているはず。誰もがそう思っていました。
ところが、驚いたことにKHS論文はノバルティス社との間にある利益相反について一切触れていません。末尾に「The study was funded by Kyoto Prefectural
University School of Medicine. Conflict of interest: the sponsor had no role in
study design, data collection, data analysis, data interpretation, or writing
of the report.」とあるだけで、 Novartisという言葉は全文を通して一度も出てきません。
京都府立医科大学からは資金提供を受けたが、ノバルティスからはビタ一文もらっていない。KHS論文の著者達は全員、高らかにそう宣言しているのです。
前代未聞の「査読スルー」と子供だましの「奨学寄付金ロンダリング」。冒頭と末尾の両方にイカサマ論文の動かぬ証拠を残すとは。そんな悲しくなるぐらいの著者達の幼さも、もし彼らが被告人席に座っていれば、幾ばくかの同情を引くのに少しは役立ったのかもしれませんが。
サイレントクレーマーの代弁者
上記のような経緯により、KHS論文を巡る医師の立場は、論文発表直後からすでに下記のように真っ二つに分かれていました。
1. KHS論文がイカサマであり、広告の価値なんぞこれっぽっちもないことを知っていた。(私も含めてノバルティスからビタ一文ももらわなかった大多数の医師はこちらに属します)。
2.
KHS論文がイカサマであり、広告の価値なんぞこれっぽっちもないことを知りつつも、ノバルティスとの間にある利益相反ゆえに、何の根拠も無い陳腐な営業トークを繰り返していた。心ない一部の医師からは罵詈雑言を浴びせられることもあったが、貧乏人どもと喧嘩するよりもお金の方が大切なので、しらばっくれていた。(ディオバン「事件」裁判では、検察側証人としてノバルティスへの恩を仇で返しているKHS論文の著者達はこちらに属します)。
こうして日本中の医師が、KHS論文がイカサマと知りながら黙っていました。でも検察官はそれを逆恨みしてはいけません。親切に間違いを指摘してやっても藪医者呼ばわりされるだけならば、黙っている方が得と誰しもが考えます。それよりも、医師達の声なき声を代弁して、検察の致命的な問題点を率直に指摘してくれる“クレーマー”(今風に言えば文春砲?)に、礼の一つぐらい言ってやったらどうでしょうか.