法曹関連読書メモ
その都度ふと考えたことをメモしています.誰かに読んでもらうと言うより,私自身の備忘録です.順不同
特捜検察は必要か,
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江川紹子 特捜検察は必要か
そもそも検察の仕事の基本は,身柄にせよ,書類にせよ,送られてきた案件における警察の捜査のチェックである.特捜云々を論じる時に,この国では25万人いる警察官のやった仕事を2000人に満たない検察官でチェックする体制になっているのに,この事実を指摘した論説・記事を見たことがない.その25万人いる警察官がおしなべて優秀ならまだいい.しかし現実は国民の皆様がよくご存じの通りである.守大助氏を逮捕してから「後」,9日経ってから初めて診療録を押収した宮城県警の,基本中の基本さえ弁えない杜撰な捜査を全くチェックできなかった検察が,袴田事件を上回る氷見事件(富山事件)のでっち上げ捜査を見抜けなかった検察が,「特捜」なんて偉ぶっている場合かよ.
第3章 検察が暴走した原因の一端が,検察に対する研究を怠ってきた日本の学者にあるとの著者の主張に対し(p.45),法社会学者の河合幹雄は,研究ができないのは司法が情報を出さないからで,責任は研究者の側にはない」(第5章 p.77)と述べている。確かに検察官は個人も組織も何でも隠蔽したがる透明性恐怖症だし,最高裁判所も法定でのメモが「静謐を乱す」と本気で主張していたぐらいだから,「情報を出さない」という点では,河合の主張は間違っていない.しかし,「当事者が情報を出さないから,研究ができない(研究をやらない)」という主張には全く説得力が無い.というか,研究者として失格である.それは以下の二つの理由による,
1.当事者が情報を出さなくても(隠しているつもりでも),しばしばそれは公開されている.捜査能力低下のために郷原信郎さんにいじられ続けている検察と,調査報道能力ゼロとなった番犬マスメディアなんか,しょっちゅう「頭隠して尻隠さず」である.
●血友病HIV/AIDS裁判で,安部 英氏無罪の決定的な証拠になるフランソワーズ・バレ・シヌシ,ロバート・ギャロ両博士の嘱託尋問調書を東京地検特捜部が隠蔽していたのは有名な話だが,これとて,シヌシ博士なり,ギャロ博士に照会し,(たとえお金はかかるにしても)場合によっては日本に来てもらうこともできたし,実際にシヌシ博士にはわざわざ来てもらって証言してもらった.
●血友病HIV/AIDSでは,検察の番犬であるマスメディアも同様に数々の事実を隠蔽して薬害ビジネスを展開した.
●さらにウログラフィン誤投与事故裁判の場合には,そこまで大がかりな仕掛けも必要なかった.PubMedを含むネット上のサイトを調べただけで,検察が隠蔽していた事故原因の数々を簡単に拾い上げることができたのである.
2.司法が情報を出さないことこそが研究対象となる:検察の隠蔽,裁判での見落とし国家の行政機関である検察が有罪立証に役立つ証拠だけを開示して,他の証拠を隠蔽する行動自体が,極めて興味ある問題である.国家公務員たる検察官がなぜそのような利益相反まみれの行動に走るのか?数十年以上にわたって検察官の隠蔽行為を黙認するばかりか,彼等を正義の味方と賞賛する市民のリテラシー,メンタリティは如何にして形成され,維持されてきたのかといった,それこそ法社会学の本質的な問題であるはずだ.
毎日新聞社記者(和泉かよ子)の手になる第4章「検察とメディア」には,噴飯に続く嘲笑を禁じ得ないが,新聞記者と言いながら国語辞典を引かずに文章を書くので,下記のように翻訳が必要になっている.
事件記者の任務は「検察と常に良好な関係を築いていくこと」であり,検察の取材妨害に対して「抗議したり批判的な記事を書いて事態が好転するとは考えられな」い(pp.60-61)
ここで「良好な関係」とは,ご主人様と忠実な番犬の関係であり,「事態」とは検察の餌付けに従って垂れ流しをありがたく頂戴する状態である.
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