もちろん表に出ている方
ー勝ち馬はどちらか?

王室のお目出度の性別さえも賭の対象にしてしまう国と違って、日本は裁判の結果を賭の対象にはしませんが、カジノができたらどうなるんでしょうか?その日に備えて、裁判で勝ち馬に載る方法があったとしたら、皆さんの関心の程はいかがでしょうか?そんな方法があるのかって?ありますよ。

「表に出ろ!」と言えば、必ず「おう、上等じゃねえか」と返事があって初めて喧嘩が始まるのが一般社会です。一方が、「表に出ろ!」って言っても、相手方が、「ぼくちゃん、暴力は嫌いだから」とか、「外は雨が降っている。ぼくちゃん濡れるの嫌だから」とか言って店の中から出なければ、どちらが強いかは以前に誰の目にも明らかです。たとえ「ぼくちゃん」の方が店の中に引きこもったまま、「全量消費撤回」や「決定通知期日だまし討ち」のような驚天動地の反則技を繰り出して、「ぼくちゃんの勝ち!」と勝手に宣言したとしてもです。

そういう意味で現在係争中の裁判を見てみると、かなりの情報開示非対称性が見られます。

HPVワクチン裁判の場合
ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンを巡る一連のどんちゃん騒ぎで、一体誰が言っていることが正しいのか、医師でさえも混乱している方が多いと思います。この場合「正しい」という意味は、多数決でも、声の大きさでも、政治力でもありません。もちろん、科学的に正しいかどうかです。では、HPVワクチンの反対派と推進派のどちらが正しいか?簡単に見極める方法なんてあるんでしょうか?お医者さんでもわからない人が多いのに?

あります。上記の喧嘩のルールに則ればいいだけです。つまり、反対派と推進派のどちらが表に出ているか?どちらが裁判の透明性を確保しているかで決めればいいのです。→守れる命を守る会 訴訟記録公開。このサイトを一見して、どちらの派か直ぐには見極められないとしたら、サイトの良心の証拠です。つまり自分たちの見解を最小限にとどめて、来訪者に判断してもらおうという配慮からです。時間のない方はこのサイトの作りを見て判断すればいいでしょう。

その判断だけで不安な方は、厚労省の見解を御覧ください。→厚労省ウェブサイト それでもなお、もっと詳細に知りたい方は、岩田健太郎 ワクチンは怖くない (光文社新書) をお読みください。ウェブサイトで公開されている厚労省の見解を、某全国紙が「編集」し、お手製の大本営発表を行った様子が詳しく説明されています。

勾留中医師死亡事件の場合はもっと明確
勾留中の医師が暴行を受けて死亡した事件の記事では、出羽厚二教授が写真とともに登場しているのに対し、肝心の鑑定書を書いたのが「法医B氏」ですから。同じ大学教授なのにね。

北陵クリニック事件再審請求でも、全く同じ事です。いくら検事でござい、判事でございを偉そうな顔をしていようと、こそこそ隠れるだけで、文書でただ「池田は藪医者だ」と公文書で誹謗中傷するだけ。

名前を名乗って自分の意見を公表できるか?いつでも批判を受ける用意があるか?その批判に対して公の場で回答する用意があるか?こと北陵クリニック事件再審請求に限っても、検察官にも裁判官にもそういう姿勢が全く見られない。騙し討ちで棄却決定をこっそり出しても、自分だけ「勝った」つもりになっても、市民の目はごまかせません。検察官や裁判官が騙せるのは、せいぜい、いまだにロッキード事件は日本の検察の勲章だとの与太話から脱却できない、裁判真理教信者だけです。誰が喧嘩が強くて、誰が腰抜けかは、今や誰の目にも明らかです。

全量消費撤回」は検察官の、「決定通知期日だまし討ち」は裁判官の、それぞれの倫理観の欠如をよく現しています。なぜ、法曹資格まで取った人が、こんな非常識な行動に出るのか、不思議に思う必要はありません。そもそも、検察官も裁判官も倫理観なるものは持ち合わせていないのです。何しろ、「(日本の)裁判官と検察官の倫理教育をどう行うか」について、2014年に国際シンポジウムが行われたぐらいですから。(それ以後、裁判官と検察官の倫理教育が始まったかどうかについては、寡聞にして存じません)

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