東京地裁医療集中部 事例A 伊藤事件:その1
法曹三者と医師が一体となった「過失の捏造」
池田意見書排除により成立した破廉恥事件@東京地裁医療集中部
目次
犯人達の所属/肩書き、 自白記事、告発事実(伊藤満寿子、兵頭秀樹)、池田意見書、的場医師の回答、兵頭医師の解剖資格への疑問、解剖は死亡当日に的場医師が行った、私が告発に至った経緯、
●犯人達の所属/肩書き。(事件当時と現在が異なる場合にはその旨を記載した)
男澤聡子:裁判官 当時 東京地裁30民部総括(医事部) 現在 東京高裁8民判事
島 昭宏:弁護士 アーライツ法律事務所
加城千波:弁護士 アテナ法律事務所
的場光太郎:北海道大学大学院 教授(法医学)
兵頭秀樹:当時 北海道大学 准教授(法医学)、現 福井大学 教授(法医学)
田上 隆:当時 日本医科大学講師 現在 東京慈恵会医科大学 教授(救急医学)
●犯人達による自白記事
この事件の本質を知るには弁護士ドットコムの記事が一番分かり易い。何故ならば偽造された解剖結果診断書を用いての血税詐欺成功譚が、当の犯人達によって得意げに語られているからだ。「口外禁止条項なし」を要求したのは当の原告らである。
●告発事実
―伊藤満寿子(事件の詳細については→告発状)被告発人伊藤満寿子は、国家賠償訴訟(東京地方裁判所令和元年(ワ)第29145号損害賠償訴訟、以下本事件)の原告として、北海道大学 死因究明教育研究センター特任准教授(当時)だった兵頭秀樹から、平成29年10月17日に死亡した夫、耕の死体を、死亡後4週間経った同年11月15日にあたかも兵頭が解剖したかの如く装う「解剖結果診断書」(以下 兵藤診断書 甲9号章(3))を受け取った。被告発人は亡耕の解剖が実際には死亡後速やかに行われたことを知りながら、兵藤診断書が偽造公文書であることを秘して被告国を欺き、令和5年2月17日、和解によって4300万円余を被告発人に交付させたものである(4)。
―兵藤秀樹(事件の詳細については→告発状)
被告発人 兵頭秀樹は、平成28年から北海道大学 死因究明教育研究センター特任准教授、平成30年からは同大学 法医学教室准教授とし
て、死因究明を主とする法医学教室の業務に携わっていたものである。被告発人は、後述する国家賠償訴訟(東京地方裁判所令和元年(ワ)第29145号損害
賠償訴訟、以下本事件)の原告 伊藤満寿子(以下 満寿子)の要請に応じ、平成29年10月17日に死亡した満寿子の夫、耕(以下 亡耕)の死体が、あたかも死亡から4週間経った同年11月15日に解剖されたかの如く装う「解剖結果診断書」(以下 兵藤診断書 甲9号証)を作成し満寿子に手渡したものである。満寿子は兵藤診断書が偽造公文書であることを秘して国を欺き、令和5年2月17日、和解によって4300万円余を国に交付させた。
●兵藤診断書が捏造であることを明らかにした→池田意見書
この意見書がそのまま証拠として採用されていさえすれば、あのチンピラどもが4300万円余もの血税を呉れてやらずに済んだのである。
●最初から捏造はバレバレ:的場医師への照会状とそれに対する回答
そもそも解剖前の遺体の保管場所からして原告と的場医師の説明が決定的に食い違っている。
―原告は、遺体は東京での葬儀のために一旦「帰宅」して葬儀後は葬儀屋でドライアイスを詰めた棺の中にあった。解剖前に「航空機」で運び「空港」で大学に引き渡したと説明している。
―的場医師は真相究明のために大学で解剖が必要となることを見越して法医学教室の「冷蔵庫」で保管していたと説明している。
解剖記録(書面・録音)も臓器標本もプレパラートも残っていない??
―原告はそう言っている。これは裁判の記録にも残っている。北大法医ではそういう「解剖」をやっているのだろうか?
●兵頭医師は2017年10月以前に死体解剖資格を取得していたのか?
兵頭医師の経歴並びに業績を検討しても、伊藤耕氏が死亡した2017年10月17日以前に死体解剖業務を行っていた形跡が見いだせない。本当に解剖資格を持って解剖をしたのだろうか?少しでも解剖の経験があれば下記のような滅茶苦茶な説明はできないはずなのだが(私と病理解剖)。
死体現象の常識を完全に無視した説明
―冷蔵庫で1ヶ月遺体を保管した後の解剖の結果、小腸間膜ヘルニアと腸閉塞が判明したことになっている。そんなこと、誰も信用しない。マグロだって、冷凍前には必ず腸(はらわた)を取り除くのだ。ましてや人間の腸だ。便も腸内細菌も、腸内容をそのままにして冷蔵庫で1ヶ月も経った死体。そこには、その腹の中には、「腸」なるものが存在しない。どす黒く悪臭を放つ液体のみ!!
死ねば脳は数日で泥になる そんなことも学生に教えていないのか?(右上の図は、「死亡時画像診断(Autopsy imaging)におけるチェックシートの活用」より)
―解剖結果診断書とやらには、新鮮な脳の記載がある。
「重量は1395g。臓器硬度は柔らかい。硬膜、損傷はなし。架橋静脈、破綻はなし。帯状回の脱出はなし・・」。
↑
これが死後1ヶ月の脳か??ありえない。あるとしたらタンパク分解酵素によって溶けた泥のはず(上記写真)。兵藤診断書の所見は死後間もなくの解剖の結果に他ならない。→私と病理解剖
●実際に解剖は誰がいつ行ったのか?
もちろん死亡当日(2017年10月17日)である。解剖は鮮度が命である(私と死後脳)。遅らせる理
由がない。教授御自らの執刀である。解剖記録もある。ICレコーダーの音声記録も、ホルマリン漬けの標本も、プレパラートもみんな保存してある。1ヶ月
待ったなんていうのは、見え透いた嘘に他ならない。私が余程の馬鹿に見えたのだろう。だからこそ、ここまで見え透いた嘘をつき通してきたのだろう。如何に
も帝大教授らしいお目出度さである。人を見る目がないから、こういうことになる。
●これで黙ってろって方が無理だってぇの
私は最初から詐欺だとわかってた。だからこそ穏便に図ろうと、的場さん、あんたにも手紙を書いたし、刑事告発も原告本人の伊藤と兵頭の二人に絞った。後の連中については検察に任せるつもりだった。でも、それも的場さん、あんたが後ろから検察に手を回して不起訴にしてくれたよね。この野郎と思ったよ。舐められたと思ったよ。
それまでも引き返すターニングポイントはいくらでもあった。でも、検察に圧力をかけてまで、私の意見書を抹殺しようとした。ほんと。馬鹿だねあんたは、俺が黙ってるとでも思ったのかよ。あたしを誰だと思ってやがる。この田舎者が。そこへ、あの村主隆行と、海渡雄一の馬鹿二人が別々に、島と加城のチンピラコンビの猿真似をして、あたしの顔に泥を塗ったというわけさ。どいつもこいつも舐めた真似しやがって。これで黙ってるほど、俺はお人好しじゃねえんだよ、わかったか、このタコども!!。
●私と死後脳: 私
は35年前、1990年4月から2年間、スコットランドはグラスゴー大学でアルツハイマー病の研究をしていた。Glasgow Coma
Scaleで名高い脳神経外科医グレアム・ティーズデイル (Graham
Teasdale)が主任教授を務める大学病院から、「患者さんが亡くなって今から解剖が始まる」との連絡が入ると、相棒デビー(Deborah
Dewar)が運転する初代FIAT
Pandaに乗って、皮質と海馬の一部を研究用の組織として受取りに行ったものだった。
ドライアイス、イソペンタン、液体窒素、検体の扱いと凍結切片作成は日本での筋生
検で慣れていた。こうして得られた隣接脳切片のペアで、私が神経細胞のイオンチャンネルの局在をオートラジオグラフィで、デビーがタウ染色でそれぞれ検討
し、データを突き合わせて書いた査読誌掲載論文は合計8本(No. 5, No. 7, 8, 12, 14, 16, 17, 22) 。だから脳の「新鮮さ」については、的場さん、法医学専門のあんたなんかよりずっとうるさいんだ)
●私と病理解剖: 1999年~2003年までの4年間、国立犀潟病院(当時)の臨床研究部室長時代、巻渕隆夫部長の御指導で、主執刀10体、助手5体の経験あり。主執刀10体についてはレポートも書いた。ただし死体解剖資格は申請していない。
→ 伊藤事件:その2 血税詐欺を主導した裁判長
→ 海渡雄一の本当の罪深さについて
→ 北陵クリニック事件:今此処に暴かれた最高裁の陰謀
→ 法的リテラシー
→ 表紙へ