大切なことほど

大切なことほど後になってわかる.それはイレッサも例外ではない.

間質性肺炎が日本で多発したのは,「副作用のない夢の抗がん剤」という風説にしたがってイレッサを乱用したお医者様達の責任である.もちろん風説を流布して,厚労省に「ドラッグラグ解消」を迫ったのも,その舌の根も乾かぬうちに「なぜこんな危険な薬を承認したのだ」とう厚労省を攻撃したのも二枚舌マスメディアですが,新聞記者が処方箋を書くわけではありませんので,やはりお医者様達の責任だったのです.
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「イレッサ」承認から見る3極の判断過程  「先駆け」で試される日本の実力 (日刊薬業  2015年8月31日 )

  米FDA(食品医薬品局)が7月、アストラゼネカ(AZ)の肺がん治療薬「イレッサ」(一般名=ゲフィチニブ)をEGFR遺伝子変異陽性の進行・転移非小 細胞肺がん(NSCLC)患者に対する第一選択薬として承認した。日本が世界で最初に承認してから13年がたち、これで日米EU全てがイレッサを承認して いることになった。

 イレッサはEGFR遺伝子変異陽性のNSCLC患者に特異的に効果を発揮する。同遺伝子変異を持つ患者の比率は欧米 人(白人)が10%のところ、日本人では30~40%。日本の承認後に明らかになったメカニズムで、これをめぐり日米EU各当局は最終的な承認に至るまで 異なる経緯をたどってきた。

●「EGFR遺伝子変異陽性」めぐる3極の対応
 日本の初承認は2002年で、当時の適応は NSCLC全般だった。強い期待を集めた新薬だっただけに多くの患者が使用し、副作用による死亡例が社会問題にもなった。05年に「EGFR遺伝子変異陽 性」に関する海外の知見が報告され、日本肺がん学会がガイドライン(GL)を改訂。投与の推奨対象として「EGFRの遺伝子変異を示す症例」を示した。臨 床現場ではGLが運用され、11年の添付文書の改訂で「EGFR遺伝子変異陽性」を効能・効果に追記し、現在に至る。

 米国の初承認は 03年で、適応は日本と同じくNSCLC全般。しかし試験は「EGFR遺伝子変異陽性」を念頭にデザインされておらず、白人での有効性が確認できなかっ た。このため05年に新規患者への投与が原則禁止され、12年にはAZが承認申請を取り下げ、一度は撤退した。その後、白人のEGFR遺伝子変異陽性の NSCLC患者を対象とした新たな試験で有効性を確認。14年に再度申請し、今回の承認に至った。

 EUでは03年に承認申請されたが、 承認を受けることなくAZが05年に承認申請を取り下げた。理由は米国と同様、白人への有効性が確認できなかったことによる。その後、未承認のままで、初 承認は09年と3極で最も遅かった。ただし適応は当初から「EGFR遺伝子変異陽性の局所進行または転移を有する非小細胞肺がん」で、結果的にEUは3極 中、最も早く「EGFR遺伝子変異陽性」を正式に明示している
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参考:”イレッサ”の逆襲

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