奢れる裁判所も久しからず
-いつまでも神様気取りでいられると思うなよ-

そもそも脈の取り方一つ知らねえ警察に「正当な捜査,正当な取り調べ」なんてできるわけがない.今古畑の捏造王土橋を頂く科捜研や科警研に「正当な科学捜査」なんてできるわけがない.ピペット一つ持ったことの無い検事に「正当な起訴」なんてできるわけがない.そして,古畑種基や石山昱夫を使い回して散々でっち上げを認めてきた裁判所が,今後とも神様気取りでいられる保証はどこにもない.
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“割りばし事件”後も医師の不当起訴はなくならず 第16回日本臨床医学リスクマネジメント学会・学術集会シンポ
M3.com レポート 2018年5月28日 (月)配信橋本佳子(m3.com編集長)

 結局、杏林大学割りばし事件とは、何であったのか。関わった人は、誰一人満足していない。皆、傷ついている。 これからも、こんなことを続けていくのでしょうか?
 5月26日に都内で開催された第16回日本臨床医学リスクマネジメント学会・学術集会のシンポジウム「杏林大学病院割りばし事件裁判に学ぶ」で、ビデオ出演した埼玉医科大学総合医療センター病院長の堤晴彦氏は、こう訴えかけた。堤氏は“割りばし事件”の刑事裁判で、一審、二審を通して鑑定書や意見書の作成を担当、法廷で証言に立った立場から、裁判の経過や証人を経験して感じたことを約50分にわたり語った(堤氏の講演詳細は、後日掲載予定)。

 堤氏は、裁判所や検察に対して厳しい目を向けるとともに、医師に対しても、「検察側/被告人側のどちらの証人になるにしても、頼まれたから引き受けるという対応はやめよう」「自らの経験の少ない分野の証人になるのはやめよう」などと警鐘を鳴らした。

 シンポジウムには、複数の医師と弁護士が登壇。“割りばし事件”の刑事裁判の一審での弁護人や民事裁判での代理人を務めた弁護士の棚瀬慎治氏は、「“割りばし事件”後も、不当起訴はなくなっていない」と問題視し、同事件の教訓から学ぶ重要性を訴えた。不当起訴がなくならない一因は、患者の死因などについて、科学的な検証・分析が行われるとは必ずしも限らないこと。公判の過程でも同様である上、仮に科学的な検証・分析を行っても、それを裁判所に理解してもらうのは容易ではないという。

 弁護士の伊東秀子氏からは、「科学に対する裁判所の冒涜が許せない。裁判所が科学を無視するのを何とか阻止しなければいけない」と厳しい意見も挙がった。伊東氏は、「恵庭OL殺人事件」(2000年3月に北海道恵庭市で発生した殺人事件。被告人は懲役16年の有罪となったが、無罪を訴え、再審請求中)の主任弁護人を務める。
 医療事故訴訟で、科学的な検証・分析を担うのは、医師の役割。“割りばし事件”では、業務上過失致死罪に問われた耳鼻咽喉科医を無罪に導いたのは、堤氏らの鑑定書や法廷での証言だ。一方で、検察が提出した医師の鑑定書は、堤氏らの意見と対立する内容だった。

 座長の一人、弁護士の安福謙二氏は、シンポジウムの最後に、堤氏の“割りばし事件”に関する下記の論考を引用した(『判例時報』2016年9月21日号)。
 「検察は、訴訟上、不利な陳述は証拠として採用しない。司法関係者には当然のことかもしれないが、科学の世界では、あり得ない話である。検察のこれらの行為は、医学に例えれば、自説の証明に不利なデータを省いて論文を作成するようなものである。そんなことを行う科学者がいたら、その時点で科学者としての生命は絶たれる。こんな当たり前のことが、刑事訴訟においてなぜできないのか。まずここを正さないと公正な裁判など行えるわけがない
 「私は、医師が、自分の専門分野において、本当に純粋に科学的な立場で、自らの信念に基づいて、真摯に鑑定書や意見書を書けば、そんなに大きな違いは生じないと考えている一人である。そうならないのは、その裏にさまざまな“科学的ではない背景”が潜んでいるからである」
 “割りばし事件”とは1999年7月、男児(当時4歳)が割りばしをくわえて転倒、杏林大学医学部付属病院の救急外来を受診して処置後に帰宅したものの、その翌日に死亡した事案。救急外来の担当医が業務上過失致死罪に問われたが、2008年11月の東京高裁判決で無罪(『“割りばし事件”、高裁判決でも医師無罪』を参照)。民事裁判でも2009年4月、遺族側の損害賠償請求が棄却された(『“割りばし事件”、民事高裁判決でも医師の過失否定』を参照)。

 神奈川県立がんセンター事件でも不当起訴
 事件発生から約20年、無罪判決から10年経った今、改めて“割りばし事件”を取り上げた理由として、座長の一人、弁護士で日医総研研究員の水谷渉氏は、「時間が経っても検討すべき課題が多い事件であり、事件の教訓を生かすことが必要。また時間が経ったからこそ、言えることもあるだろう」と説明した。

 弁護士の棚瀬慎治氏は、不当起訴の例として棚瀬氏が弁護人を務めた、2008年4月に神奈川県立がんセンターで起きた麻酔事故を例示(2013年9月の横浜地裁判決で麻酔科医は無罪。『神奈川県立がんセンター麻酔事故、医師に無罪判決、横浜地裁』を参照)。“割りばし事件”と比較して、神奈川県立がんセンター事件における検察の捜査等が「すごく良くなったという感覚はない」と棚瀬氏はコメントした。
 横浜地裁が判決文の中で、「異例の苦言」を呈したことも紹介。
 「捜査が十分でないにもかかわらず、証拠を精査検討することなく起訴したのではないかという疑問がある。被告に刑事責任を問うのであれば、検察において慎重な事実認定、法律判断が望まれるところだが、残念ながら本本件ではその基本が欠けていたと言わざるを得ない。これは単に見解の相違というレベルではない」
 さらに棚瀬氏は、「民事医療事件と比較して、刑事医療事件では、誤った医学的知見の導入による不当な起訴がなされる制度的リスクがある」とも指摘した。“割りばし事件”では、「検察官が描くストーリーに従った供述以外は録取されず、専門家としての意見は受け入れられなかった」という。
 東京地裁では、民事裁判の医療集中部で、原告と被告の代理人、裁判官、医師証人らが一堂に会し、医学的な検証を行うカンファレンス鑑定を採用している。これに対し、刑事裁判ではそうした仕組みはなく、検察側が立証し、弁護側が反論、それに対して検察がまた反論するというエンドレスなやり取りになる。「民事裁判のカンファレンス鑑定の方が効率的」(棚瀬氏)。

 「裁判官は死因を自由に決めてよいと思っている」
 東京医科大学法医学主任教授の吉田謙一氏は、「東大ルンバール事件」の1975年最高裁判決で、「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして高度の蓋然性を証明すれば足りる」と判示されていることから、「裁判所は死因を自由に決めてよいと思っている」(注:質量分析のシグナルの意味も裁判官が自由に決めてよいと思っている)と問題視。一方で、2008年8月の福島県立大野病院事件の福島地裁判決では、「癒着胎盤剥離を中止し、子宮摘出しなかったことが妊婦死亡につながった」との検察の主張について、「当該行為の危険性だけでなく、中止しない場合の危険性を具体的に証明し、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠」と判示している点を評価、「確かな医学的根拠に基づいて法的判断しなければならない」と指摘した。
 オーストラリアのビクトリア州などでは、コロナー(法曹)、メディカルイグザミナー(法医病理医) 等の専従行政官が死因究明全般を指揮していると紹介。「法医解剖され、専従医師・看護師にカルテをチェックされ、事例検討会で、コロナー、法医とともに討議される。死因究明に関する情報は全て公開される。法的な過失は、死因究明の過程では判断しない」。日本でも、チームで死因究明を行う体制作りと、「東大ルンバール事件」の最高裁判決をリーディングケースから外す必要だとした。
 裁判官時代は多くの無罪判決を出し、今は弁護士の木谷明氏が、シンポジストの最後として登壇。「裁判に絶望していては、依頼者を救えない。そうした場合に頼りになるのは科学者。中には良心を売って鑑定書を書く科学者がいるが、そうではない立派な科学者がいることを信じている。科学に謙虚でなければいけない。科学は客観的な真理であり、それを歪曲してはいけない」と語った。
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裁判官の科学教育
法的リテラシー