FREED研究が「誇大広告」にならない,これだけの理由
−Impact Factor 23のハゲタカの餌食になったゴミ研究を「事件」にしてはならない!!−

1.そもそも試験デザインからしてゴミだった
対照群の介入を見れば,FREED研究がゴミだったことは一目で分かる.なんとなれば,フェブリク群では全ての被験者に対しフェブリクの通常維持量40mg/dayが投与されていたのに対し,対照群被験者の2/3には尿酸降下薬が一切処方されず,1/3の被験者に対してのみ,アロプリノールがたったの100mg(通常維持量は200-300mg)しか処方されなかったからである.つまり対照群は,フェブリク群に対し,故意に(!)不十分な治療環境に置かれていた.これは重大な研究倫理違反である.

そもそも,対照群被験者の2/3には尿酸降下薬が投与されず,1/3の被験者に対して,アロプリノールが100mgだけ投与されるという奇怪千万なデザインは,一体何に対するフェブリクの優越性を検証しているかがわからないという点で内的妥当性が認められないと同時に,地球上のどこにもこんな対照群は存在しないという点で外的妥当性も認められない

フェブリクの承認は2011年1月,薬価収載は同年3月,販売開始は同年5月である.一方,FREED研究開始は承認後3年近く経った2013年11月だった.つまり,FREED研究は,帝人ファーマから資金の提供を受けて行われた市販後の医師主導臨床研究である.FREED研究はプラセボを使用しないオープン試験として行われた.つまり,医師ばかりではなく被験者も,自分がどちらの群に入り,どちらの薬を飲んでいるのか,どちらの薬も飲んでいないのかも知っていた.従って,仮にいずれかのエンドポイントで何らかの差が認められたとしても;

オープン試験故の重大なバイアス:プラセボを使わないオープン試験であるが故に,この研究で得られた結果をフェブリクの有効性に帰することはできない.対照群の被験者が「通常の半分以下の古い薬,あるいは無治療でいいんだったら.自分の病気は大したことないんだな」と判断し,これ幸いとばかりに暴飲暴食に走り,運動もろくろくしない一方,フェブリク群の被験者達が,「新薬をこれほど飲まなくてはいけないぐらい,自分の病気は重症なのか.それなら,食事を節制し,適度な運動を心がけねば」と思い,実際にそのように行動する などということが現実に起こりうる.これがオープン試験の怖さである.
●ましてや対照群被験者のわずか1/3に対し,アロプリノールを100mgしか処方していないのだから,アロプリノールに対する優越性はもちろん,非劣性を主張することさえできない.

2.試験途中での主要評価項目変更という見え透いたイカサマ
試験デザインの論文(J Cardiol 2017;69:169-175)では,主要評価項目に含まれる死亡例は,心血管腎疾患(death due to cerebral or cardiorenal vascular disease)によるものに限られており,それ以外の死亡例は含まれていなかった.これは研究の性質上,当然であろう.しかし,研究結果を報告したEur Heart J掲載論文では,主要項目に心血管腎疾患以外の死亡(death due to other causes)が含まれている.つまり,FREED研究の研究者達は,試験の途中で,フェブリクには癌や認知症による死亡を防ぐ力もあると信ずるに至ったことになる.一体何を根拠にそんな奇想天外な法螺話を思いついたのだろうか.そしてそんな法螺話に対して,リュッシャー(Thomas F. Lüscher, Editor-in-Chief,  European Hear Journal)や査読者はどう反応し,著者らはどう答えたのだろうか?こんな見え透いたイカサマをやった人間にはそれを説明する責任を負う.

3.唯一の有意差のお粗末な中身
FREED研究の主要評価項目は,ソフト&ハード&糞&味噌全て一緒のエンドポイントから成る.その中で唯一,フェブリク群と意味不明対照群の間で統計学的有意差を示したのが,アルブミン尿・蛋白尿の出現or悪化という代用エンドポイントの複合エンドポイントである.一方,クレアチニンの倍増にも,end-stage renal diseasesへの進展にも群間に有意差を認めなかった(Supplementary material, Table S6).主要評価項目変更というイカサマをやってまで,大漁を目論んでいたのに,網にかかったのは腐った鰯一匹だけそれがFREED研究の正体である.

4.フェブリク「事件」にはならない,してはならない,これだけの理由
上述のように,FREED研究からは何の結論も得られない.だからゴミだというのだよ.至極簡単な理屈だ.しかし,ゴミだからといって捨て去る必要はない.ゴミだからこそ,そこから学べることがある. Kyoto Heart Studyと全く同様に,FREED研究もIF23のハゲタカジャーナルの餌食となった.不名誉という点では,Kyoto Heart Studyを上回るFREED研究という名のゴミが事件にはならない,そして間違っても事件にしてはならないことを,ディオバン事件は教えてくれる.バルサルタン問題は,臨床試験に対する我々のリテラシーを向上させる,絶好の機会だった.それを台無しにしたのが,SBPが何の略かも知らずに「ディオバン事件」としてでっち上げた,無知無能な新聞記者達だった.ロッキード事件血友病HIV医療事故裁判,そしてディオバン「事件」マスコミと警察・検察が合体して繰り返してきた思考の振り込め詐欺(*)は,常に真実を隠蔽し,マスコミの収益と警察・検察の虚栄に貢献し続けてきた.(*事件でない事象を事件化・刑事裁判化することにより,裁判真理教信者達を思考停止に追い込むこと)

その 試験の発案から論文投稿まで,European Heart Journal掲載という恥辱を阻止できるポイントは無数にあった「はずだった」.しかし,結果的に論文として掲載されてしまった.Kyoto Heart Studyとは異なり,幸いFREED研究論文が取り下げられることはない. 捏造も改竄もない論文を誰が取り下げようとするだろうか.ましてや,豊かな学びを提供してくれる生の教材となれば,台湾沖港空戦にも比肩する「失敗の本質」臨床研究版として,この ままネット上でに誰でもが利用できるよう,放置しておいた方がいいに決まってる.下記はFREED研究が教えてくれることのほんの一部である.

●捏造・改竄は一切なかった
捏造・改竄は,ゴミを偽装するために行われる.FREED研究は誰が見てもゴミであるがゆえに,捏造・改竄は一切無かったと断言できる

●新聞記者は手も足も出ない
「SBP」「ARB」が何の略号かも知らない新聞記者には,FREED研究がゴミだとは決して理解できるはずがない.IF23のハゲタカの権威の前にひれ伏すのみ.

●臨床研究法にはゴミの発生防止効果はない
臨床研究法の条文には,「倫理」という言葉は一度も出てこない.ましてやヘルシンキ宣言の「ヘ」の字も出てこない.

参考
ニュルンベルク裁判再び?:I was just follwing protocols- FREED研究における重大な研究倫理違反 -
見捨てられたフェブリク
米英何するものぞ−国粋主義学会によるガラパゴスガイドライン−

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