「尚絅会」について
この度、第11代の尚絅会会長を拝命致しました産婦人科学講座の庄子忠宏です。尚絅会についてはあまりご存知無い方もいらっしゃると思いますが、現臨床遺伝科教授の福島明宗先生が第8代尚絅会会長をされていた平成19年に書かれました尚絅会の歴史と活動についての文を最新版に手直し致しましたので、以下をご参照ください。
岩手医科大学准教授・講師会は「尚絅会(しょうけいかい)」と名づけられている。この名称の由来は、本会結成前年に逝去された、故三田定則学長の戒名「尚絅院殿哲心定則大居士」にあやかったものである。中国の古典、中庸第三三章には「衣錦尚絅」なる成句があるが、衣は「羽織る」、錦は「にしき」、尚は「加える」、絅は「うすぎぬ」をあらわし、華麗な着物をまとっても、うすぎぬを掛けて、外にあらわさないということ、深い教養や学問を身につけていても、それを見せびらかさない・鼻にかけないという意味がある。
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歴史
- 草創期:昭和23年に教授・助教授・講師からなる「親和会」、昭和26年に助教授・講師からなる「尚絅会」が結成された。これが本会の始まりである。当初学術講演会などをはじめとして夕食会など盛んに行われていたが、時代の変化と共に次第に衰退していき、一時活動は途絶えることとなった。
- 変遷期・再編成期:昭和44年、本学の発展のため「尚絅会」の再編成の機運が高まり、会則の作成、運営委員による会の運営が行われた。昭和51年末には会則の改正を行い、名称を「助教授・講師会(尚絅会)」、選出役員を「幹事」、会の代表を「会長」と定めた。改正された会則の主な変更点は、会員相互の親睦を従とし、大学の教育・研究・診療の円滑化を第一目標にした点、会の運営の一貫性をはかる目的で、役員の再選を認めたことである。
- 現在:大学教員呼称の変更等により、平成19年度に規約改正を行い、本会の名称を「准教授・講師会(尚絅会)」とし、また新たに副会長(一名)のポストを新設して現在に至っている。
- 役員:昭和52年7月6日の総会での選挙により、初代会長に中舘興一氏が選出されて以来、現在は11代目の会長となっている。
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活動
- 役員:会長1名、副会長1名の他、規約により選出された幹事(医学部6名、歯学部3名、薬学部1名、教養教育センター2名、看護学部3名)15名からなり、幹事の中から幹事長、会計幹事、庶務幹事をおのおの1名互選している。また会計監査と会務を監督する監事2名をおいている。現在までの会長・幹事長一覧を表1に示す。令和3年現在の役員は、会長:庄子忠宏、副会長:幅野 渉、幹事長:泉澤 充(幹事兼務)、庶務幹事:廣瀬清英(幹事兼務)、会計幹事:阿保亜紀子(幹事兼務)、監事(会計監査):坂本泰光、宮坂昭生、幹事:一ノ渡 学、大橋祐生、大畑光彦、小松 真、高橋智弘、照井克俊、友安 信、成田欣弥、西里真澄、野里 同(敬称略)。
- 会員数:尚絅会発足当初(昭和26年)、20名足らずの会員数は令和2年10月現在では138名の会員を擁している。
- 各委員の派遣:本会が職制に順ずる団体として認められ、昭和52年より岩手医科大学における各種委員会の委員選出要請を受け、各委員を選出派遣している。主なものは以下の通りである。①岩手医科大学総合移転整備計画策定委員会(1名)、②学長候補者選考委員会委員(8名)
- 学長選挙:昭和53年2月9日、岩手医科大学として初めての学長選挙が行われ、三田俊定学長が誕生した。尚絅会では当初より学長候補者選考委員会、学長選挙管理委員会にそれぞれ委員を送り、また会員全員が選挙権を有することとなっている。これは本会の歴史上特に画期的な出来事として記録されている。
- 講演会、懇親会:尚絅会の主だった活動として、毎年1-2回、学内外から講師を招請して講演会を行ってきている。これまでに行われた講演会の一覧を表2に示す。また講演会の後には、会員以外の方々も交えて講演者を囲んでの懇親会を開催している。
平成19年度に薬学部、平成29年度に看護学部が新設され、本会の会員数は年々増えてきております。また、令和元年の矢巾新病院移転後は医・歯・薬・看護のすべての学部が同じ敷地内で学び、働くという本学の新しい時代が始まります。今まで以上に各科、各学部間の連携を緊密に保ち、良好な関係を培っていくことが重要であり、尚絅会の役割もより大きなものになると考えます。これには、尚絅会の趣意をご理解いただき、会員の皆様のたくさんのご協力やご意見が必要です。何とぞよろしくお願い申し上げます。
令和3年11月