専門家だからこそ愚か者になれた:自分で自分を騙した人々
失敗の本質は疾うの昔に医学・医療を超えていた
ホロコースト、大東亜戦争、そして新コロバブルと認知バイアス

戦後、ヒトラーを「怪物」と呼ぶことで自らの責任から逃げたユンゲや シュペーア、その他の側近たちだけを責めても、問題は解決しません。問題は、戦争がないという意味で当時よりは幸運な時代に生まれた者が、そこから何を考 えるかということ。ユンゲらの責任逃れの論理も注目に値しますが、何よりも重要なのは、人間がこんなにも、愚かになれるということです。藤肥孝幸 映画「ヒトラー〜最後の12日間〜」 2017/12/27)
「人は目の前の映像のとんでもなく目立つ事象を認識できないことがある。注意喚起してもなお、認識できないことさえある」
「人は記憶の書き換えを、じつに簡単におこなってしまう」
自分の行動を自分が決めていると考えるのは誤りだ
(中略)
ところが、認知バイアスには共同で生じるものもあります。たとえば、同調。目の前の人が言ったりやったりしていることに、人はなかなかノーとはいえないものです。他にも多くの理由があって、チームだからこそ、社会があるからこそ生まれる誤りも数多くあります。本書ではホロコーストを、多分に人の認知バイアスが関わって成された事件として取りあげています。(「見たいものしか見ない」心に潜むふしぎな働き『認知バイアス』を解き明かす ほんのひきだし) (紹介されている書籍は、鈴木宏昭 認知バイアス 心に潜むふしぎな働き ブルーバックス B-2152 講談社
大木 途上、チタの総領事館から「シベリア鉄道の集中輸送の状況は開戦前夜を思わしむるものあり」と打電した、と言うのです。しかし、作戦系の人は、ここでソ連に来られると困るから「まだ先だろう」などと考えている。
 願望があるんですね。正しい情報が来ても、自分が「それは困 る」と思うと、そういう情報を意識の中で拒否してしまう。自分の受け入れやすい情報は受け入れるけど、嫌な情報は排除する。それは情報の受け入れになって いません。情報で一番難しいのはいかにチョイスするか、です。情報を得る能力はもちろん必要ですが、それを判断する能力の方がさらに重要です。日本は陸海 軍とも願望に沿った情報を重視するという、甚だ情けないことをしています。第一章 作戦系と情報系 戸一成 大木毅 帝国軍人 角川新書

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」 ユリウス・カエサル 塩野七生, ルネッサンスとは何であったのか 新潮文庫

仮説と実験データとの間に齟齬が生じたとき、仮説は正しいのに、実験が正 しくないから、思い通りのデータがでないと考えるか、あるいは、そもそも自分の仮説が正しくないから、それに沿ったデータがでないと考えるかは、まさに研 究者の膂力(*)が問われる局面である。実験がうまくいかない、という見かけ上の状況はいずれも同じだからである。ここでも知的であることの最低条件は自己懐疑ができるかどうかということである。福岡伸一, 生物と無生物のあいだ 講談社現代新書 *池田注:膂力(りょりょく)→「膂力」の意味と使い方

42万人死亡説と白色のペスト
認知バイアスは誰にでも生じます。もちろん自他共に認める専門家にも。そして、大きな悲劇の前の不幸な出来事によって専門家達に対する市民の評価が高まれ ば高まるほど深刻な認知バイアスがその専門家達を襲います。それはもちろん、「自他共に認める専門家」という認識そのものが、他者からの助言も忠告も、そ して自己懐疑をも排除するからです。これが「自分で自分を騙す」と私が呼ぶ所以です。
    流行初期に唱えられた42万人死亡説マッドサイエンティストの冒険)は,自他両者の懐疑の徹底的排除による認知バイアスが創造した妄想の典型例でした(ヤスパース『原論』の再読(第一章)2)。42

    白色のペストは「インフルエンザは絶滅したのにコロナは絶賛流行中」という現実を直視すれば直ちに消失したはずなのに,今まで2年間も流行し続けてきました。それも認知バイアス(マスクに対する精霊信仰)が専門家の間で脈々と受け継がれてきたからです。ここで留意すべきは専門家という名の愚か者達は地球上のあらゆる国・地域に満遍なく分布し,インフォデミックの根源になっているという問題です。デマは市民が生み出すものではなく,認知バイアスまみれの専門家達が発信してきたのです(こびナビが見逃したデマ)。そのデマがブーメランのように彼ら自身に返ってくるまで,それほど長い時間はかかりませんでした。

ワクチン禍の背景にも認知バイアス
    そうして新型コロナと戦う英雄達が結成したのが「こびナビ党」です。「俺たち専門家の言うことを聞け,逆らう奴はコロナに罹って死ぬがいい」そんな恫喝に市民は戦慄を覚えました。「コロナとの戦い」でも恐怖による支配が大活躍したのです(嘘と恐怖による支配),後はワクチン禍まで一瀉千里でした。真珠湾からミッドウェイまでわずか半年でしたが,「有効率95%」との呼び声が「ブレイクスルー感染」「3回目接種」のスローガンに取って代わられるようになるまでは,半年もかからなかったのです。それでもまだ彼らは、「超過死亡14500人」を無視し続けています。病膏肓に入るとはよく言ったものです。
    ワクチン禍の背景にある認知バイアスは複数ありますが,一番分かりやすいのがワクチン効果を巡る「記憶の書き換え」です。「95%の有効性=感染防御に極めて高い有効性を発揮する理想のワクチン。しかし臨床試験では重症化抑制/死亡率低下までのパワーはないことも明らかになった」(N Engl J Med 2020; 383:2603-2615)。
    そういう明確なメッセージが出ていたのに、デルタ株には効かないという現実を直視せずに「感染抑制効果はないけれど重症化抑制効果がある」と、台湾沖航空戦顔負けの空想戦果を発表し、その空想に基づいて勝てるはずのないオミクロン株に対して、今日も3回目接種が行われています。認知バイアスに冒された専門家という名の愚か者達による共同謀議の果てに,レイテ島の悲劇が七十余年の時を経て再現されているのです(日本軍がアメリカの空母を沈めたはずがない…大敗北・レイテ決戦前の「握りつぶされた報告」)。

国家が正義の仮面を被る時
私の内なるアイヒマン
新コロバブルの物語
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